海外派遣事業 研修生レポート

アメリカ

酪農 男性

新しい世界、そして新しい自分 <アメリカ・バーモント州ミルボーンファームで1年半実習して>

 2003年3月に帯広畜産大学別科を卒業して、ある一般企業に1年半勤めた後、両親の牧場に後継者として就農しました。しかし家族が作り上げた酪農の基盤を”ただやればいい”という考えの甘さがあると気づき、言葉も生活習慣もまったく異なる地で酪農実習を行う事を考えるようになりました。それによって、自分の酪農への知識と技術の向上、そしてなによりも得難い人生経験ができると思い海外での酪農実習を希望しました。そのとき北海道国際農業交流協会の存在を知りました。
 
 私は隣りの国、カナダの酪農をも体験したいと考え、実習先をアメリカ北東部に希望しました。その後、アメリカ北東部のカナダに隣接しているバーモント州のミルボーンファームでの酪農実習が決定しました。なんて美味しそうな名前の州なんだと思い、出発への期待と不安を膨らませました。

 アメリカ出発前にしたことはやはり英語の勉強でした。中学・高校では大の英語嫌いだったのでこれではいけないと思い、必死に英会話を重視して勉強しました。そして2005年の8月13日にアメリカへと出発しました。まず最初にプログラムの一つである語学勉強のために、ミネソタ州のセントポールで4週間ホームステイしながら、語学学校に通いました。その後、世界各国から私と同じプログラムの人々がミネアポリスで集まり、3~4日間のオリエンテーションに参加しました。そこでプログラムの規則や実習先での注意点を学びました。

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 私は語学学校とオリエンテーションではまったく英語がわかりませんでしたが、かたことの英語とボディーランゲージで気持ちを伝え、沢山の国の人と仲良くできました。まさに生まれて初めての英語を使ってのコミュニケーションでした。そして、ミルボーンファームがあるバーモント州に向かいました。 

 バーモント州は北海道とほぼ同じ北緯に位置し、気候もよく似ていました。東には日高山脈に似たグリーン山脈があり、まるで十勝にいるようでした。この州の主な産業は酪農とりんご、メイプルシロップです。秋には世界有数の紅葉の名所でもあり、世界各国から観光客が訪れます。ミルボーンファームは丘陵地域のショーハム地区にあり160頭の搾乳牛、約450エーカーの畑を持っています。家族は親方のガートと妻のアーダ、娘のケルシー、息子のデニスの4人家族です。

 親方と奥さんはオランダ出身で、結婚後新規就農するために2つの牧場で一緒に10年以上実習していました。この地に入植したのは1999年です。牛舎自体は1989年に建てられ、パーラーは比較的新しく広々としていました。今までに国外から4人の実習生を受け入れ、東洋人は私で初めてだったようです。私がこの牧場に来た当初は従業員が三人いましたが、その後一人になりました。

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 私はこの家族の家で一緒に過ごし、朝昼の食事は自分で用意し、夕食は奥さんが作ってくれました。私の主な仕事は搾乳と搾乳牛・育成牛のえさやり、除糞、そしてベッドメイキングです。他には哺乳を行なったり、農機具の修理やメンテナンスなどを手伝いました。ミルボーンファームでは収穫機具を持っておらず、全て委託していました。播種や収穫を行わない分、手間が減り機具の維持費を抑え、なんといっても機具や倉庫がないので敷地内がすっきりしていました。

 バーモント州の牧場では糞尿用の溜め池を持ち、定期的に畑に散布していました。これもまたミルボーンファームでは委託していました。コントラクターが持つ収穫機器やミルク集荷車などは日本とは比べられないくらい大きくてびっくりする日々でした。

搾乳

 搾乳は8Wのへリングボーンパーラーで行い、一日三回搾乳です。私は朝5時に起床、するとすぐにパーラーに入り、搾乳の立ち上げの準備を始めます。次にフリーストールにいる第一グループの牛をホールディングペンまで追い込みます。パーラーへの牛の出入りは比較的スムーズに進みます。第一グループが終わると、第二グループをフリーストールから追い込んできて、同じように搾乳を行います。

 第三グループも同じですが、脚腰が悪い牛が多いので追い込みは無理なく、そして健康チェックも欠かせませんでした。毎朝第三グループを搾乳しているときはたいてい親方が第三グループのペンの除糞とベッドメイキングを行います。搾乳後はパーラーとホールディングペンを掃除します。ミルボーンファームではこれらの作業を全て一人で行います。

 最初は5時間から6時間かかっていた搾乳時間が、次第に4時間前後で終えることができるようになりました。基本的に平日の昼と夜の搾乳は従業員が行い、週末は親方や奥さんが搾乳する機会が増えます。私は朝の搾乳を担当していましたが、週に数回は昼も行いました。最初乳房炎の牛を発見したときは戸惑いましたが、すぐ治療できるようになりました。分娩後まもない牛の搾乳もすぐに対処できるようになりました。搾乳中はリラックスできる反面緊張もありました。なぜなら私自身の搾乳方法、日々の牛の健康管理、えさやりによって乳量が変化するからです。乳量が上がった日はとても嬉しかったです。 

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牛の管理

 牛舎内の牛のグループ分けは、若いグループとそうではないグループ、脚腰の悪い牛と分娩後まもない牛が混ざったグループの3つでした。フリーストールの除糞は自動のアーリースクレーパーがしてくれます。とても便利ですが、よく故障するので私と親方は糞塗れになりながら修理します。糞尿はスラリーにしてから溜め池に送られます。フリーストールのベッドには週に一度大鋸屑を追加します。ベッド上に新しい大鋸屑を敷き終わった後は牛がはしゃいで、その後気持ちよさそうに横になっているのをみるととても心が休まります。

 私はベッドメイキングがとても大切だと感じました。例えば大鋸屑と土があまりなくて牛が横になって自然にできた窪みに牛体がはまりパイプが邪魔をし、牛自身で起き上がれなく朝の搾乳する前に牛を追い込む際死んでいたということが何度かありました。牛はとてもデリケートな動物だと思いました。だから私は牛の健康を見極める力はありませんが、不調な牛・分娩が近い牛・発情の牛・異常がないか・設備が破損していないか毎日何度もチェックしていました。
 
 フリーストールで生活している牛は蹄がすぐ伸びます。だから削蹄師は3ヶ月に一度きます。日本で見るよりごっつい削蹄用の枠場で40~50頭の牛を二日間でやってもらいます。乾乳牛は夏は放牧地で過ごし、青々とした新鮮な草を食べながら、自然に近い状態で分娩することができます。冬は牛舎内にあるペンで過ごし、そして分娩もそこで行います。授精はある精液業者の授精師が毎日来て発情の牛がいれば授精するというシステムでした。毎日来るので発情の見逃しが極度に減ります。

 ミルボーンファームでは牛乳や牛体のデータが算出されるミルカーは持っていません。だから乳検や日ごろのデータをパソコンで管理していました。そしてアメリカには農協がありません。だからファームのお金の管理や取引も自分たちで行わなければいけません。私の親方は労働時間やプライベート以外はずっとパソコンの前で仕事していました。まさにマネージャー兼労働者といったところでしょうか。

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えさやり

 ミルボーンファームでのえさ代は支出全体の40%を占めています。それはとても高い値だと親方は説明してくれました。主な粗飼料はアルファルファとコーンです。アルファルファはなんと年に3回も収穫できるので時期や栄養を考えて収穫をしていました。高品質の粗飼料を手に入れることで飼料代をうかせることができます。飼料はキャノーラ・プロテイン・コーン・ブレッドミールの4種類のものを使用します。一度に沢山の量を注文するので、安く手に入れることができます。搾乳牛には一日3回TMRをミキサーで与えます。育成牛は一日一回です。

 バンカーサイロはとくかく巨大でした。私はスキッドステアを使い、サイレージや飼料をミキサーに入れます。最初はスキッドステアを使いこなすのにとても苦労しましたが、すぐに慣れ除糞の際もなにをするときもそれを使っていました。スキッドステアは私の仕事をする際無くてはならない存在で、ベストパートナーでした。私の牧場でそれに乗れないのが寂しいです。

バーモント州の夏は日本と同様高温多湿です。酷いときは朝与えた比較的古いえさが夕方には酸っぱい匂いを放ち、採食率を減らします。よって酸っぱいサイレージはいつまでも残ります。夏は特にえさやりが大変で乳房炎になる牛の割合も増え、えさ作りはとても大切なんだと実感しました。
 
 私のプログラムは1年間でしたが、この牧場での実習が楽しくてもっと勉強したいという気持ちでいっぱいだったので、実習期間を6ヶ月延長しました。私は牛のショーが好きでこの1年半の実習期間中、2つの大きな牛のショーを見に行きました。それはウィスコンシン州のマディソンであったワールドデーリィエキスポとカナダのトロントであったローヤルフェアです。

 ワールドエキスポでは授精師でもある牛好きな弟がミルボーンファームに遊びに来て、エキスポを一緒に参観しました。両ショーでの出品牛は日本でのショーとは格段にパワフルで体格が大きく、特に乳房の大きさや乳動脈の美しさは格別でした。牛が他の動物に見えました。そして沢山の日本人も訪問しており、色々と話をする機会があって嬉しかったです。ショーでは最新の農機具の展示販売があったり、他の動物のショーやイベントが行われていました。

 私がこの2つのショーで一番思ったことは、農業関係者だけではなく一般の人々が気軽に見学して、市民や子供たちが様々な動物に触れたり見たりして楽しんでいました。農業がとても身近なものでした。日本では見られない光景でした。日本でももっとみんなが気軽に参加できる場所を作らなければならないと思います。そうしなければ、農業の価値が失われ、食や生命の大切さが永遠に軽視されると思います。

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 そして私は3つの酪農ツアーにも参加しました。ミルボーンファームがある郡内での付加価値をつけた牧場を見学するもの、カナダの酪農と有名な牧場、最新搾乳ロボットを視察するもの、アリゾナ州の超大規模経営を視察し、その後ネバダ州での酪農の学会に出席するものでした。

 1つ目のツアーでは、チーズやヨーグルトを作る牧場や最新の設備を持つ牧場、州名産のりんご農家を視察しました。同じ地域でも様々な特色を持った農場を見ることができて嬉しかったですし勉強になりました。農業の可能性や希望を与えてくれるものばかりでした。農業を基盤に、本業以外にも力をいれ、農業の楽しさを教えてくれたような気がしました。

 2つ目のツアーでは念願のカナダの酪農を体験することができました。私たちはバーモント州とニューヨーク州、カナダのケベック州の様々な牧場を視察しました。搾乳ロボットを導入している牧場を訪れたときは、そのハイテクさとロボット数に感動しました。その狙いは労働の軽減とゆとりの確保でした。日本にもこの考えを広めてほしいです。

 そしてこのツアーで一番印象深いのは超有名牧場であるコムスターやラ・プレゼンテーション牧場を見学できたことです。とてもゴージャスな牛たちの写真を撮るのに一生懸命でした。そしてその素晴らしい牛たちを作り出すべき設備や飼育方法を聞いたり、調べたりして私の将来に役立てようと考えることができたのは大きな収穫でした。牛が機械で管理され、はたまた商品化されている現状を目の当たりにし、まだまだ日本の酪農は百姓の社会のようなイメージでしか考えれませんでした。

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 そしてこのツアーでいくつかの州立大学農学部の学生と一緒に行動し、酪農や牛について会話ができたのが楽しかったですが、日本語も同様英語でも農業の専門用語が沢山あり、聞き取りづらかったし、とても苦労しました。しかし帰国した今でも、伝えようとする気持ちが一番大切なものだと思います。恥ずかしがらず、間違っても問題ないので、気持ちを口に出してみましょう。そして気持ちが伝わったときはとても嬉しいです。

 最後の3つ目のツアーでは、ある酪農研究機関のメンバーと一緒にアリゾナ州に行き、それぞれ3千から8千頭もの搾乳牛を持つ3つの牧場を見学しました。全てアリゾナ州立大学がデザインしたサウジスタイルという屋根もないフリーバーンで牛を飼っていました。そのスタイルは夏でも涼しく高乳量を維持できるそうです。

 訪れたのは3月上旬だというのに、気温は25度(湿度は10%以下)を超えていました。暑さに弱いはずの牛、と思っていた私ですがこれらの牧場では一日一頭当たり75~80lbsの牛乳を生産しているのが驚きでした。ちなみにアリゾナ州の一頭当たりの平均乳量は約10,000kgで全米2位です。アリゾナ州は乾燥地帯なので糞尿はすぐ乾燥します。だからフリーバーンからの除糞作業がなく、ただ専用の土均し機で均すだけです。しかし逆に、水の確保がとても厳しいようです。

 48頭搾乳可能なロータリーパーラーを2つ持ち24時間稼動させている牧場、50~70Wのパーラーを持つ牧場があったりと、日本では考えられない次元でした。ただただ牛の数と施設のスケールの違いに驚くばかりでした。これらは牧場ではなくまさに工場だった、と強く思います。大規模で牛乳を大量に生産し、経営を考えたら農家としては理想かもしれませんが、生き物や食べ物を扱っているということでは無機的な感じで機械を作っている感じでした。牧場視察後の学会では講義はもちろんのこと、多くの酪農関係者と話をできる機会があったのでとても勉強になりました。

 私は実習生にもかかわらず、このような数多くの牛のショーや酪農ツアーに参加できました。親方や家族のみなさんにはとても感謝しています。

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 ミルボーンファームでは付加価値事業として飲むヨーグルトを作っています。パーラーに併設したヨーグルト作り専用の施設があり、オレンジとストロベリー、バニラ味の3種類のヨーグルトをだいたい週一回作ります。朝搾乳した牛乳をそのまま使用します。だからとても美味しく、しかも全て天然の香料や材料を使用しているので、風味がよく滑らかな舌触りでした。そして健康に良い菌が沢山入ったプロバイオティクス商品でもあるので、私は好んでほぼ毎日飲んでいました。でも朝搾乳の担当は私だったので、私の搾乳次第で味が変わったらどうしようかと思い(クレームや注文数の減少も心配)、特に衛生面に気をつけて搾乳しました。

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 最初バーモント州だけが販売領域でしたが、ボストンやコネティカット州などから注文があり、販売拡大に成功していました。注文の多いときには週二回作るときもありました。一番大変で人手が必要なヨーグルトをボトルにつめる工程では、私もよく手伝っていました。牛舎に食品会社があるような感じでした。そのときに衛生やマーケティングについて親方が話してくれました。

 牛乳は私たちの力で形を変えることが可能なので、とても魅力ある産物だと思います。そして市販されている牛乳ではなく、私たち自身がこだわりのえさを与え、育て、搾乳した牛乳を使い加工して、販売あるいはお裾分けしてみんなが喜んでもらえるのが、愛を与えたりもらったりする関係なんだと思いました。牛乳はまさに生活だけを豊かにしてくれるばかりではなく心を豊かにしてくれます。

実習生活での一番の生命線は日本から持ってきたパソコンです。日本との連絡手段も日本語と接することもあのパソコンがなかったらとても大変でした。また日本食を家族に紹介するときもとてもパソコンが活躍しました。調理方法を調べたり、聞いたりととても役に立ちました。今までにカレーライスと肉じゃが、豚の角煮、和風スープ、ロールキャベツ、和風野菜炒めなどを作りました。家族のみんなはとても喜んで食べてくれて本当に嬉しかったです。文化鍋で米を炊いて成功したときも最高に嬉しかったです。

 ミルボーンファームに来て半年を経過したころには、車の運転に慣れてきました。冒険心や探究心が強い私は休日、ほぼ毎回夏は湖・ハイキング・ドライブ・博物館・史跡・映画館など、冬はスキーやスノーボードをしに出かけていました。休日なのに家で過ごすのが嫌でしたし、せっかくアメリカにいるわけですから、その土地柄や歴史、大きい町とその地域の機能などを知りたかったからです。自転車で20・40km先の町まで出かけたこともありました。

 一番近い人口8000人の酪農・ショッピング・アウトドアの拠点となるミドルバリという町が一番のお気に入りです。そこには外国語大学があり、そこの学生と友達になりディナーやスポーツ観戦をしたり学内のイベントによく参加していました。とても活発な大学だったので休日は足りないくらいでした。そこの大学には農学部がなかったのが唯一残念なことでした。

 しかし、ある日バーモント州立大学農学部の学生と知り合い、その出会いで私の酪農実習がより濃いものになりました。その大学はミルボーンファームから1時間くらいの州最大のバーリントンという都市にあります。私は彼と一緒にバーモント州の酪農家の実態を調査したり、彼の大学を案内してもらったり、食事もしました。州立大学ともなれば敷地や施設のスケールが日本よりかなりでかく、州内への影響はかなりのものでした。わかりやすくいうと、第一から第三次産業の拠点となる一つの公共施設でした。またアメリカの学生は日本の学生より、夢・志し・自立心をきちんと持っていました。だから年下のはずの学生たちが私より人間として大人だと感じました。そこは私も日本人の若者すべてが見習わなければいけないと思いました。

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 アメリカで生活して酪農家や学生と触れ合う中で思ったことは、仕事と娯楽をバランスよく保ちきちんと生活の一部にしているところです。アメリカの酪農家は時間の余裕を持ち知人と情報交換したり、パーティーによく参加して時間を楽しんでいました。そして親方は帆船を所有し、平日・週末関係なく、私や家族、知人を連れておしゃべり、時間そして自然を楽しんでいました。冬は家族でスキーにも行きました。これらは娯楽ですが、自然と深く密着しており、自然体験学習ともいうのでしょうか。またアメリカの10代の子供たちは完全週休二日制で日本よりも短期・長期連休が沢山あったと思いますが、子供たちはその都度、自然と触れ合い成長していくものだと感じました。

 私にとってアメリカ特にバーモント州は第二のふるさとになりました。初めて迎えた冬に冬季オリンピックがソルトレイクシティーで開催され、私は日本人にもかかわらず、アメリカの選手が味方のように感じました。しかも言葉も文化も習慣も方角もまったくわからない大地で私は1年8ヶ月の間、多くの人と出会い、親切にして頂き、人の優しさや愛のおかげで今の自分があります。

 実習後アメリカの国立公園を巡る旅をしましたが、本当に自然は素晴らしいと感じました。人間として次世代にこの素晴らしい自然をいつまでも残していくのはもちろんのこと、酪農家として何ができるか考えていきたいです。海外から訪れた日本に慣れない方々にも優しい助けをあげたいです。

 外国人は日本や日本人を知りたがっています、話したがっています。そのためにも私たちは日本をもっとアピールすべきです。そしてもっと英語を勉強するべきです。私たちが生活する場所は日本だけではありません。地球規模です。私はアメリカで実際に体を使って酪農実習することで、新しいスキルと知識を得ることができました。英語とコミュニケーションの能力を伸ばすことができ、将来の視野が広がりました。これからも親方やアメリカの友達と連絡を取り合い農業や文化について意見交換したいです。

 日本に帰国して「あのときもっとファームのことを考えて行動しとけばよかった」や「もっとやるべきことがあったんじゃないか」と感じます。しかし、親方を始め多くの方々が暖かく接してくれました。私の実習生活が半年を過ぎたころには沢山の仕事を任され、その責任の重大さをかみ締めながら充実した日々を送ってきました。きっとミルボーンファームの歴史に大きく残ると思います。この実習は私にとって最高の思い出となり宝です。とにかく色々なことを勉強でき体験できて本当にありがとうございますミルボーンファーム、いやミルボーン大学。 

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 ”まいにちまいにち”これが農業・酪農の好まれない一つの理由かもしれませんが、私は、それだけこの”農”というものが生活の中にとけ込んでいるのだ、と胸を張って言うことができます。自信を持って言えます。「動植物の生命」を肌で感じることによってその大切さを知り、そしてそれらを介して「人の生命」を育んでいることへの誇りこそが酪農の一番の魅力であると言えます。

 支えて頂いた両親や友達、農業関係者にはとても感謝の気持ちでいっぱいです。感謝しても感謝しきれないくらいです。私はまだまだ一人の大人として未熟ですが、アメリカ・ミルボーンファームで得たことを将来に、そして農業の未来に最大限活かしていきたいと思います。