海外派遣事業 研修生レポート

デンマーク

酪農 男性

<デンマーク農業研修レポート> ~ツッコミどころ満載のデンマーク王国~

  2006年9月23日から一年間、デンマークでの農業研修を行ってきた。正直、デンマークの予備知識がほとんどなく、酪農が盛ん?程度の理由で決めたようなものでした。そのため不安が期待値を遙かに上回っていました。私は英語がほとんど出来ないので、そのことも不安の一端を担う形になっていたと思います。そんな状況から出発した波乱万丈なデンマーク実習を報告したい。

1) デンマークの概要
   デンマークは人口約540万人、ウクライナ人の友人ロマンによると、デンマークにいるウクライナ人は200万人。真偽はわかりませんが、本当だとすると九州よりも小さい面積にその人口密度は通勤ラッシュの山手線クラスではないかと思います。実物は見たことがありませんが。

 四季は夏と冬が短く、春と秋が長いような感じのする気候です。雪はほとんど降らなく、年中、雨、雨、雨ばかり降っています。特に10、11月に雨が降った日は手がしばれて、仕事どころじゃねーとつい口を滑らすほどでした。夏の短さは顕著なもので、7月に近くのロモ島で海水浴をしたのですが、また次の休みに来ようと思いきや8月に入ったとたんに気温が快く秋を迎えられたようで、早々と夏は過ぎました。

 そして、これを書き忘れるわけにはいきません。デンマークの風は俺の天敵でした。普通に風速10m前後が日々吹き荒れ、冬の気温が下がったときには、追い討ちをかけるかのごとく禁断の20mを超えます。それに雨が混じった日には、引きこもりの気持ちが良く理解できます。

 デンマークは基本的にデンマーク語を使います。私はほとんど覚えることが出来なかったので、デンマーク語で聞かれても英語でお返しします。デンマーク人はドイツ語も学校で習うらしく、英語、ドイツ語はほとんどの人が話せます。が、中には、といいますか、お年寄りの方々は基本的にデンマーク語オンリーなわけでして、農場の見学に行ったときは大変な思いをしたものです。

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2) デンマークの人々
 デンマークの人々は、おおらかで、かなりアバウト、それでいてやるときはやる、というようなメリハリのある人達です。休日にアポなしで見学に行っても、「ん?見学?見たいだけ見ていけ!」という具合に懐が深いのです。ただ、例外も当然あるわけで、この適当ぶりに私が多大な迷惑を被ったことがあることは、否めません。
3) デンマークの食文化
 デンマーク人の主食は、芋です。パンも主食ですが、「芋があったらパンは食べないの!」という硬い意思が彼らを支えています。おかずが欲しい日本人代表としては、肉があって芋がある、そんな食事が望ましいのですが、そんなわけにはいかないことも多々ありました。もう最初は、今日も芋?という感じなほど芋を食べていましたが、その内、私の主食も芋へと矯正されました。

 基本的に毎日の食事は質素なもので、朝食はパンと肉、昼食はパンと肉、夕食は芋と肉という具合でした。ただ、私が実習に行ったところは、食事を作ってくれていたので、作る手間がない分、好きなものを食べることが出来ませんでした。そのため、肉がちゃんと毎日出るわけではないし、食欲の減退するメニューが何度も私の前に出現し、空腹を十分に満たせない日もありました。

 その食事を敬遠させるメニューのひとつは、「何でスープにオレンジ入れんだよ!」と、顔に出てしまったパンプキンスープ。ちなみに書き間違いではなく、本当にオレンジの食感がします。口の中に広がる軽い酸味と、ほのかな甘味、そして口の中でプチプチとオレンジの粒がはじけるような優しい刺激、食事から約2秒で感じた最悪の邂逅でした。

 二つ目がマッシュルームのアルプス盛りです。その名から想像できるとおり、ただマッシュルームをバターで炒めたものです。これだけ聞いたなら「なんだ美味しそうじゃないか」などと欠伸の出るようなリアクションをされるかもしれません。いえ、一言付け加えさせてもらえるなら、私は茸は好きですので、それならどんなに良い事かと思います。そう、このマッシュルーム炒め、何が気になるかといいますと、どうやら奥さんとおじいさんが山で採ってきたらしく、ごみと泥がしっかり洗われていませんでした。一口噛むごとにジャリッ、ジャリッという食感、そしてアルプスを彷彿とさせる大盛り、極めつけは、茸以外は何もなし、オンリー茸でした。

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 最後に、まずくはないし、むしろ美味しいのですが「今出しますか?」というような、がっかりメニュー、それは苺です。そう、イチゴ。美味しい果物、およびデザートとして名高いこのイチゴ、しかし、夕食の主食として出されたら皆さんどう思います?しかも、仕事でくたくたで、「胃の中を芋のデンプンで満たさなきゃ気がすまねー!」と、意気込んで食卓に着いた後の出来事です。テーブルには、あまりの量でグロテスクにさえ見えるイチゴが、ボールの中にこれでもか!と、入っていました。それをそのままむしゃぶるだけで、お好みでミルクとあえて食べました。美味しいですけどね?

 ここまでがデンマークで、ありえないでしょと、思った料理です。そしてデンマークで美味しいと思った料理は、ねぎトントロ(自称)です。生の豚肉に、刻んだたまねぎとオリーブオイルをあえ、塩コショウで味付けしたもので、パンにのせて食べる。実際、ネギトロと同じような味がする。その味とパンがこれまたよく合い、この料理が出ると、朝食が著しく進みます。牛肉からよく出汁が出ていてすこぶる美味い肉団子と芋のスープもお勧めです。休みの日に食べる、ハンバーガーなどのジャンクフードが地味にうまかったです。チューリップという店のハンバーガーはディスマーゴト。

4) ホストファミリーとワーカーたち
 私のホストファミリーは、恐らくかなり歪です。なぜなら、ボスはデンマーク人ですが、奥さんと、奥さんの祖父と祖母がドイツ人でした。ボスのステファンが買った農場に奥さん一家が移り住んだようで、家の中は常にドイツ語です。子供のセットレイクはデンマーク人だそうですが、おじいさんのヨハンとおばあさんのオマーがドイツ語しか話せないので、デンマーク語より先にドイツ語を覚えると思います。

 ステファンはデンマーク語、ドイツ語、英語を話すバイリンガルな人で、奥さんのドーターも同じ3ヶ国語を話します。ただ、英語で話すのは面倒なのか、よくステファンにドイツ語を訳させていました。デンマーク語は少し勉強して行ったのに、これはかなりの不意打ちで、「ドイツ語なんか知らんて」と言う感じでしたが、帰るころには少し話せるようになりました。オマーがよく話しかけてくれたおかげだと思います。

 オマーはとても私によくしてくれましたが、そのことでドーターによく怒られていて、なんか可愛そうでした。オマーは足が不自由で歩くことは出来ますが、ほんの少しの時間しか歩けないみたいでヨハンがよく付き添っていました。 

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 私はホストファミリーと同じ家の一室にウクライナ人のワーカーと同室で放り込まれました。しかし、楽しくはあったので悪くはありませんが、狭いんでワーカー用のプレハブ立てろと思いました。そのウクライナ人ロマンこそ、このデンマークでの最高の友人です。彼からはたくさんのことを教えてもらいました。

 ウクライナ人が全てそうなのか、彼が優れているかはわかりませんが、ロマンはものすごく機転の利く奴で、その辺をステファンも買っていました。ウクライナの公用語はウクライナ語とロシア語で、ロマンは映画が好きらしくよく部屋でロシア語に吹き替えした映画を見ていました。そのときに少しロシア語を教えてもらいました。スパシーバ、ロマン。

 そして、ドイツ人のワーカーが一人で、最初はワーカーが3人でした。このドイツ人のユラと言う女の人がすごいのです。もう搾乳から子牛の世話、注射もドスドスぶっ刺していました。「ここまでいかんとだめなのか」と彼女を見てしり込みするほどに洗練されたワーカーでした。彼女に少しでも追いつこうと毎日躍起になっていたと思います。1年たっても彼女に追いつけたとは思えません。

5) 仕事
 ステファンの牧場の概要は、搾乳牛が約150頭、未経産牛約100頭、耕地面積200ha、70haがデントコーンで残りが牧草です。デンマークでは普通の大きさの農家ですが、唯一アブノーマルなのが三回搾乳という点です。そのため労働力が余計に要るので、ワーカーが3人もいるわけです。3回搾乳をしている理由を聞くと、「治療牛にはこれがいい」とか「乳房にいい」などとモゴモゴ言っていましたが、複雑な英語はわからないので、要は金が欲しいのだなと、こちらで勝手に要約させてもらいました。

 私の休みは隔週に3日、金、土、日に休みを貰っていました。でも、三回搾乳しているので、色々仕事が重なると2日になったり、搾乳だけは仕事をしたりと、普通に3日休めない日もしばしばありました。それに、一緒の家に住んでいるので、休みの日はなんとなく落ち着きませんでした。3日休みということは、一人足りない状態で、3日間の通常どおりの仕事を、通常どおりの時間に終わらせなければならないということです。そのためロマンが3日休みのときは残像が残りそうなぐらいの速さで仕事をしていました。

 私の仕事は1日約10時間労働で、早朝から夕方までのパターンと、朝から夜中までのパターンと二つのパターンがあり、ロマンと1週間交代で交互に仕事をしていた。朝番をしたあとに夜番をしたりするためなかなか生活が安定せず、慣れるまでに時間がかかった。朝からのときは朝6時から9時、9時半から12時、1時から6時まで、夜中までのときは朝9時半から12時、1時から6時、8時から11時半までとなっており、夜搾乳が朝遅いとはいえ辛かった。

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 私の仕事内容は、搾乳、牛押し、給餌、掃除です。搾乳は基本的に昼が私の担当で、朝はドーター、夜はステファンが担っています。ユラが辞める前はユラが昼と晩の搾乳をしていた。朝と晩の搾乳もステファンやドーターが用事などの時にはすることもあった。ただ、二人の結婚記念日には、二人とも「今日、私たち仕事は一切しないから」とのことで、三回の搾乳を一人ですることになった。少々腹が立つので、会場に乱入してやろうかと思いました。

 牛押しは、パーラーに牛を押し、牛床を掃除して藁をいれる仕事です。これは比較的簡単で、実習に行った日からこの仕事を教わった。まず、牛をある程度押した後にゲートを閉め、牛床の糞や汚れた藁をシャベルで取り、タンカルを牛床にひき、スタイキャットという小さいショベルのようなものに、藁を入れながら床を掃除する特殊な機械を取り付けて使います。運転に多少のコツがいるので、難しかったです。

 給餌は主に私は作るだけで、給与するときはステファンが給与していました。といっても、昼の搾乳担当になってからは、給餌はほぼステファンだけでしていました。ステファンはバンカーサイロが足りないらしく、スタックサイロがひしめき合っていました。このサイロがやっかいで、タイヤではなく土を載せてあるので、取り除くのにえらい手間がかかります。しかも、ビニールを傷つけないように取るために、手作業でシャベルを使って土除けするので、しんどい思いをしました。将来は有望な土木作業員になれそうです。

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 ステファンの仕事の信条は「アクティブではなくイフィクティブに仕事をすること」だそうです。つまり効率的に仕事をしろということで、仕事を工夫すれば急がなくてもきっちり終わらせることが出来ることを学びました。

6) 一番の大仕事
 私がデンマークで経験したことで一番印象に残っていることは、牛の解体です。日本でも解体くらいしますが、ステファンとこで見た解体は、「しばらくお待ちください」と画面に出そうなほどのヌチャグロぶりでした。解体前日、ステファンが「明日、牛廃用にするから朝見においで」というので、牛が家畜車に乗るのを見てどうするのだろうと思っていました。

 そして次の日、業者の人が来たというので行ってみると、家畜車ではなく、冷凍車に肉屋のおじさんにしか見えない人がいて、牛を連れてくるやいなや、まさか、と思ったときには時すでに遅く、牛の喉をナイフで裂き、血抜きを始めました。うわっと思っている間に、あれよあれよとバラバラになる牛だったもの、私も足を支え手伝いました。

 ヨハンは、牛のタンを取ろうと舌を引っ張っていました。いや、引っ張っても取れないでしょ。業者の人がそれをナイフで切り肝臓と一緒に搾乳に使うバケツに入れ、「そのバケツ洗ってないよ」と言うまもなく家の中に連行され、その晩レバーが食卓に出た。生ぐさくて食えないから。どうやらデンマークでは自宅で解体するのはさして珍しくないようです。

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7) まとめ
 私のデンマークの一年間は、ものすごく濃厚な一年間で、一年をこんなに長く感じたのは初めてでした。あらゆるものが新鮮で、見ること聞くこと全てが勉強になったと思います。それは仕事ももちろんそうですが、日常の生活の中から多くのことを学びました。デンマークの友達は残念ながら出来ませんでしたが、ロマンと友達になれたことは、私の人生でも大きな財産となることでしょう。ウクライナやロシアの文化も彼から多くのことを教わり、ロシア人の考え方、生き方はなんとなく日本人と似ているなと感じました。
機会があればウクライナにいってみるつもりです。

 デンマークにいる間、周辺の農家を10軒以上観て回った。似ているところもあれば異なるところもあり、とてもいい勉強になった。英語がうまいと褒められたときもあり、有頂天になったこともありました。ただ、ステファンには一度も英語は褒められていないです。どの農家に行っても、アポなしにも関わらず「おう、観てけ観てけ!」というようなのりで、ああ、いいところだなぁと感じた。デンマークには綺麗なところが多くあり、昔ながらの民家や教会など、建物にも趣が強く感じられ面白かった。

 まだデンマークの全ては見ていないですが、多くの人々と触れ合うことでデンマークのことをほんの少しかもしれませんが理解することが出来た。

 最後に北海道国際農業交流協会の皆様にはとてもお世話になりました。この経験を活かせるように日々努力していこうと思います。本当に色々とありがとうございました。