ニュージーランド

酪農 男性

<ニュージーランド花卉研修報告書>

≪研修について≫
●語学研修 (2006年5月13日~6月9日)
1) ホームステイ
家族構成 

ジェフ ホームファザー。コンピュータ関係の仕事。すごいユーモアでいつも僕らを楽しませてくれる。 
リズ ホームマザー。専業主婦。明るくて僕らの洗濯物を洗ってくれる。そしていつも体を心配してくれるやさしい奥さん。
タイラー 二人の娘。12歳で高校生。ネットボールやヒップホップなど今風の女の子。けどやっぱり12歳なのかリズに甘えていることもある。

 約1ヶ月間過ごしたが、実際もう少し居たかったのが正直な感想である。それはやっと学校にも家族の人たちとも親密になれてきたときだったからである。ここでは農家ではない一般家庭の生活が見えた気がする。それは休日は家族でドライブしたり、スポーツしたりして、普段は学校や仕事に行って、奥さんが家で家事をする。当たり前のことですが、農家の家では休日も仕事があったり、家族でドライブに行くことなんて滅多にありません。だからこの1ヶ月間は新鮮ですごい楽しかった。
 心配していた食事もおいしくて満足でした。NZではオーブンを頻繁に使用して食事を作ります。だから時間がかかり、8時過ぎに夕食をすることもたびたびあった。
朝食は自分たちで好きなものを食べ、昼食は学校で食べ、夕食はホームステイで食べるという生活だったので、食事の時間に会話することができなかったのでもっと会話をしておけば良かったと感じました。

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 NZの人たちの家には庭があり、そこでは主に花ではなく、観葉植物を栽培していた。また冬は寒くてもマイナスにはいくことがなく、比較的暖かかった。しかし、夜は寒く、最も寒いのは夜の3時頃である。ここの家には暖炉があり、夜は薪と石炭をたいていた。

2) 語学学校
 語学学校は週休5日制で日本の学校と同じだった。学校には毎日バスで市内まで行き、そこから徒歩で通った。バスはステージコーチという会社のバスでステージ制になっている。私の買ったパスは3ステージでオークランド市内ならどこにでも行けた。だから休日は友達といろいろなところに行った。
 語学学校はクラスが8クラスあり、それぞれのレベルによって分けられる。私は一番下のクラスでしたが、クラスの人数が少ないためほぼマンツーマンでかなり上達した。午前と午後とでは先生が代わり、授業内容も先生によって異なるので楽しかった。この学校には日本、韓国をはじめサウジアラビア、タイ、ブラジル、ヨーロッパなど世界各国から来ていて様々な人と英語一つで会話ができるのでさらに英語力が上達するし、友達もでき非常に充実していた。

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 ここの施設には図書室や、DVDを見たりCDを聞いたり、会話をする時間が設定されるなどして自由に勉強することができる。またソーシャルプログラムといって予約制の活動もある。内容は毎日時間帯が指定され、映画を見たり、スポーツしたり、カフェに行ったりして誰でも参加できるものでクラス以外の人とも会話をしたり、友達を作る場なのである。

 ここに通ってみていろんな国の人と友達になれたり、英語一つでこんなにも世界交流ができるのかと言葉の大切さを実感した。会話をすることでその国のこともわかったり、自分の国のことも知ってもらえたりしたりして視野が広がった気がする。


●農業研修
1) トウィ・ダウンズ・ナーサリー社(2006年6月10日~8月20日)
(1) 経営状況

1990年 ナーサリー(観葉植物、家庭用樹木、街路樹)を始める。
1998年 野菜導入
2005年 面積47エーカー(19ha)
2006年 32.5エーカー(13.1ha)に減少

品目としてナーサリー・ズッキーニ・ナス
ナーサリーの詳細として約2000種類の苗を扱っている。

雇用は季節により異なるが、収穫時期の11月は13~20人、現在は6人。

Tim 農場主。実家は酪農だったが、自分には合わないことから学業終了後自分自身で育て始めた。とにかく体が大きい。
Yuan Timの奥さん。タイ人でお兄さんが最初にTimの下で働いていたのをキッカケに知り合い結婚した。よく働く人。
Nee Yuanと同じタイ人。朝から夜遅くまで働き、6年前くらいからTimの下で働く。料理の上手なおばさん。
Lee 韓国人。オーストラリアの資金稼ぎとして2月からここで働いている。釣り好きな人。
Anna 大学を目指す18歳。元気でかなりしっかりしている。ここの農場ではもう不可欠な存在。
Wayne メカニックマン+トラック運転手。とってもファニーなおじさん。


(2) 一日の流れ

7:00 起床・朝食(自炊)
8:00 仕事開始
10:00~15 休憩
12:00~30 昼食(自炊)
15:00~15 休憩
18:00 終了(個人個人終わる時間は異なる)
19:00 夕食(自炊)
21:00 就寝

金曜はだいたい17:00には終了。
日曜はOFF
毎週水曜はオーダーの日。

(3) 仕事の内容

ポッティング: 鉢上げ
ウィーディング: 除草
オーダー: 基本的に水曜日。注文の来た商品を集め、きれいにしてからラベルを貼り、まとめておく。それらはオークランドまで持っていく。
積み込み: オーダーの品をパレットなどに置き、トラックに積み込む。
マルチはがし、マルチング、トンネル作りなど。

(4) 実習を通して
 NZで冬(8月)に植え付けるズッキーニはハウスである程度大きくしてから定植する。(移植)夏(1月)は暖かいためそのまま圃場に播種する。(直播)
 ここの農場は発足してからまだ16年とまだ若い農場である。ナーサリーを始めた理由としていつも仕事がおもしろい。とTimは話していた。まるで少年のような考えを持つ人だと考える。
 また私は会社にするここの農場に対して疑問を持った。それを尋ねると税金が安くすみ、野菜に関しては雇用が簡単に手に入る。収入をしっかり奥さんと分割できるなどの理由であった。私はしっかり分割することでお金のトラブルを防げると考える。しかし、ナーサリーの場合、利点ばかりではなかった。スタッフを手に入れるのが困難、コストがかかる。そして価格が同じという欠点もあった。

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 それでもTimは農業は楽しくて、自由だと言っている。ここは経営以外に他の農家さんからオーダーの搬送とマルチングを引き受け、副収入としている。

 最後にTimは今後ナーサリーをさらに広げたい。海外で働きたい。と考える。それを聞いて私は改めて少年のようだと感じた。でもこういう好奇心は大切だと考える。また一緒に作業をしたAnnaのおかげで語学力もついたと考える。

2) トニー・ジョーダン農場(2006年8月23日~11月1日)
(1) 経営状況

面積: 面積:28エーカー(11ha)
栽培作物: ルーガデンドロンゴブレット
アーベント
パーフェクション
サファリ
ワラタ(2種類)、キングプロティア、エリカ
メルタ、バーゼリアなど計30種類
出荷先: 日本、オークランド、カナダ、アメリカ、香港、台湾、ヨーロッパ
労働力: トニーと奥さん、休みの日は息子2人が手伝う。主に家族労働。
忙しい時期は私たちのような協会から受け入れる。

(2) 一日の流れ

7:00 起床
8:00 仕事 10時に一度休憩
12:00 昼食
12:30 仕事再開
16:30 終了

金・土は休み、日曜は9時から

(3) 仕事の内容
除草、収穫、選花

株整理: 不必要な葉や花などを除去し、生長がスムーズなおかつ良いものを取れるようにする。
定植: すべて自家で増殖しているため、昨年に播種したものを圃場へと植える。
ラビッシュ捨て: 選花などで出た花の葉などを捨てに行く作業。ちなみにこの農場では植物の株元にまき、堆肥として再利用。

(4) 実習を通して
 この農場は父から後継して経営している。しかし、父の農場とは違い、173種から30種と大幅な減少を図っている。理由として良いものをつくるためという。私はこのことから父よりも良い経営を目指さなくてはならないと感じた。ただ父と同じことをしていても私はやはり満足できない。改めて自分の目指す農業を最初から形付ける必要があると考えさせられた。
 また、この農場は日本だけに留まらず、世界各地へと出荷している。会社を通じてだが、輸出をしている。さすが輸出国だと実感した。
 しかし、その割には管理が充分に行き届いてないと感じたのも事実である。たびたび輸出できない花もかなりの量で出てきていた。そういう花はすべて国内に出荷する。日本より選花の厳しさが軽いからである。

 NZでは農薬の法律というものが厳しい。スプレーヤーを購入時にはライセンスが必要となり、事前にライセンス取得の講習を受けなければならないのだ。そのため、この農場でも特に害虫の多い時期に週1のペース、使うときで月2~3回くらいしか使わない。かなりの減農薬。このことから今や日本もNZのような環境先進国を見習わない時代になったのかもしれないと私は考える。
 またNZでは昼寝の習慣がないため、昼休みが短く、疲労が溜まりやすい。トニーは日本のように昼寝をすると疲れが取れて効果的だと話した。

3) ラッセル農場(2006年9月30日~10月18日)
(1) 経営状況
両親と3人暮らしのため、1人で働いている。

面積: 4.5エーカー(1.8ha)
品目: ルーガデンドロンゴブレット
アーベンタム
ウォーターリリー、バーベナ、エリカなど全10種。
出荷先: オークランド、日本

(2) 一日の流れ

8:00 起床
9:00 仕事
17:00 終了

土・日は基本休み

(3) 仕事の内容
選花、株整理、ラビッシュ捨て

(4) 実習を通して
ここではわずか2週間程度しか滞在しなかったが、農業以外にもいろんな話ができたのですごく良かった。
まず、感じたことがよく一人でやっていけるなと言うこと。一人だとかなり辛い。収穫から箱詰めまで取れる時期は1日約100箱位できる。ここも自家増殖を行っていた。挿し木でうまく増殖させ、防除も年に4回、ゴブレットは毎年植え変える。好きだからこそやっていけるのだと感じた。この人が一番農家らしいと思った。そして一番日本の農家に近い暮らしをしていた。毎日朝が早く、仕事のキリの良いところで昼食を取り、終了する。

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 ここでは農業よりも他のことで学んだと考える。ラッセルの両親は私にいろいろな話をしてくれ、とても感心した。そしてまたここの家に来たいと思った。
 ここで学んだことは今は形として明確ではないけれど、今後農業や生きていく中で何かに変われば良いと考えている。

4) ジョー農場(2006年11月2日~12月2日)
(1) 経営状況
ジョーと奥さん、サモアのワーカーの3人で働いている。忙しいときは何人か雇用する。

面積: 4ha
品目: 中国野菜、ゴーヤ、ラン
出荷先: オークランド近郊の中国野菜店

(2) 一日の流れ

7:00 起床
8:00 仕事
12:00 昼食
12:30 仕事再開
18:00 終了

仕事は月曜から金曜。土日はOFF。

(3) 仕事の内容
収穫、植え付け、培土作り、出荷、株整理、受粉(朝と晩の2回)

(4) 実習を通して
 この農場の人たちは台湾から移住してきたので、アジアの食事でとても満足した。農業以外にも二人の娘さんにいろいろな人を紹介してもらったりして交流ができ、とても充実していて良かった。
 ここにはガラスハウスとプラスティックハウスを所有しており、管理はすべてオートマチックだった。NZに来てハウスを見かけたがすべてオートマチックで日本のようなハウスは見かけない。やはり気候の違いだと実感した。私の住む北海道とは違い、一年中栽培することのできるNZは管理も大変、ということでオートマチックだと私は思う。

 ランは切り花ではなく、鉢花として栽培・販売していた。鉢花のランは生長が遅く、花が咲くまでに2~3年はかかる。そのため、植え付け時期を一年ごとにずらし、毎年出荷できるようにしていた。そのため、種子更新は4ヶ月に一度というペースで行われている。苗はとても小さく私が居るときには植え付けができなかった。その苗は自国である台湾から輸入していた。

 ここではアジアの人と言うことであまりNZにいる気はしなかったが、他のアジアの人が日本をどう見ているかも知れて良かった反面、ショックなことでもあった。英語についてもそう思う。日本以外のアジア各国の人たちは日本人より確実に英語を話せる。日本は母国語を愛しすぎているとも感じた。良いことではあるが、他国との交流の場では世界共通の英語が話せると有利である。もっと日本人は英語を話せるよう学習するべきである。またもや私の望む切り花農家ではなかったが、ここでの生活は充実し、いろいろな新しいことも吸収できた良い研修だった。

5) ヨハン&ソンヤ農場(2006年12月3日~2007年1月30日)
(1) 経営状況

面積: たくさんの畑を所有しており、本人もはっきり把握していなかった。
畑はカイタイア、ワイパパ゚、キングフィッシャーにそれぞれ所有。
品目: ズッキーニ、スイカ、カムカム、スイートコーン、メロン、豆など。

いつも何人かの雇用を雇っている。
12月は8人、1月は4人であった。

(2) 一日の流れ
 その日の作業などによって違っていて決まってはいなかった。また休みもほとんどなく、毎日働いた。

(3) 仕事の内容
 収穫、マルチはがし、フープはずし、選果

(4) 実習を通して
 ここの主人はオランダ人、奥さんはタイ人としてきた家族であった。またワーカーも日本、デンマーク、ドイツ、マレーシア、チリ、チェコ、台湾と国籍も様々で私としてはいろんな国の人達と交流できて楽しかった。また、ここは学ぶと言うよりお金稼ぎに来たような所だった。唯一学んだことは産直。副収入としてここの農場では産直の店を経営している。NZでは珍しくないことだが昼頃になるとお客さんがしょっちゅう来て忙しくなる。売上を教えてもらったが、一日で1,000$(日本円で約8万円)は超えるらしい。産直の商品はせいぜい高くて500円程度。そのことからすごい副収入だと思った。日本に帰国した時には産直の店も出したいとも思った。

 国際交流を通じていろいろな興味がわいたり、勉強になった。タイ人と話してみて私は新たにタイに行ってみたいと思い、また決意した。タイの米文化に触れて今後の経営に役立てていきたいと思っている。これは今、密かに計画中である。
 ここでもう一つ確実なものとしたのは、NZの経営は多品目経営が多いと言うこと。そのため管理は行き届いていなく、ほとんどが雑草畑と化している。それでも収穫、出荷できているのだからNZでしかできないことだ。もし仮に日本でこの経営をしたら全然成り立たないと私は思う。そのため日本もまだNZには負けていない。

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6)

ユートピア農場(2007年1月30日~3月7日)

(1) 経営状況

面積: 2ha(3棟のガラスハウス)、約27,000株
品目: ラン(切り花+鉢花+育成苗)

基本的な雇用は3人。しかし冬の時期の収穫では10人くらい

(2) 一日の流れ

7:30 仕事
10:00 休憩
12:00 昼食
14:30 休憩
17:00 終了

(3) 仕事の内容
収穫、選花、株整理、防除、鉢上げ、潅水、花芽吊り。

(4) 実習を通して
 切り花農家だったこと。私がNZに来て初めて希望の農家に巡り会えたことが一番の印象。そのためかすべてが自分のために感じた。主人もすごく親切でいろいろなことを教えてくれる。さすが花の国、オランダで育っただけのことはある。考え方がまるで違った。

 まず、ベストのものをつくる。当たり前のことだが主人はこれに対する気持ちが他の農家より強い。いかにいいものを追求するか、自分が満足するものをつくる。少品目でいいものをつくる。それが一番大切なのだとここでの実習・主人とのトークでわかった。
 次にいろんな人から良いところを吸収する。そのため主人はいろんな人と会話をする。業者、農家などいろいろな人たちから情報をもらい、今後に役立てる。今後と言うよりそれを元に自分だけのプランをつくる。ということだ。

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 そして私が一番役に立ったのは、人より一歩先を行くと言うこと。これが一番のここでの収穫。ということは新しいことを考える。未来をまず考え、そこから逆算し、今すべきことを考える。価格が落ちてからじゃ遅い。落ちる前に次のことをする。他の人が何かをしたときには自分は次のことを実行している。というように常に先々を考えること。これがこの農場、主人から教わった大きなことである。


7)

ステムズ農場(2007年3月27日~5月9日)

(1) 経営状況

面積: 2.8ha(35aのハウスを含む)
品目: バラ(9種)、ワイン用ブドウ

基本的な雇用は5人。しかし場合によって何人か雇う

(2) 一日の流れ

8:00 仕事
9:00 休憩
12:00 昼食
14:30 終了

※終了時間はその日によって異なる。特に火・木・土曜日は選花のため多少遅くまで仕事をする。

(3) 仕事の内容
 収穫、選花、防除、除草、ハウス内掃除、わき芽取り、芝刈り

(4) 実習を通して
 NZの人には珍しく、ここの主人はとても几帳面で毎日潅水量や日照時間、ECなどチェックしていて常に植物にとっていい状態にしている。ここでも直接土には植えていなかった。ロックウールや鉢植えにしていた。そのため一年中収穫可能。日本では絶対考えられないことである。

 また私は主人からいろんな話を聞いた。親切にもここの会社のスタッフマニュアルまでくれた。ときには日本在住経験のある知人にお願いして翻訳してもらったりと今までの農家よりも理解度は高かった。そして初めての体験もここでは行った。ブドウの収穫である。一つ一つ丁寧に手で収穫する。とても時間のかかる作業であるが、友人や親戚など招いて大収穫会を行ったため、一日ですべての収穫を終えた。その後は娘の夫のワイナリーへと運び、ワイン製造する。記念に私はここのワインを購入した。
 最後の農場では、農業のことはもちろんたくさんの人との交流があり、とても充実した実習となった。

≪最後に≫
 私はこのNZでの一年間はとても充実した一年であった。驚き、楽しさ、達成感などいろいろな感情があったが、一番の大きなことは海外でも生きていけるという自信がついたということ。農業以外にも学ぶことは山ほどあった。私の中の目的でもあった視野を広げるという課題は現在こそ実感はないが今後わかると考える。

 海外に出て私は自分の足りないものがわかった。それは自分のこと、農場のこと、自国のことが全然わかっていないことが身をもってわかった。事実、自国のことを聞かれ、答えられないというのは恥ずかしいことであった。また英語力。この研修で一番辛かったことは仕事なんかより自分の言いたいことが言えないことだった。辛いというより悔しい。そのため今後も英語はさらに磨きたいと考える。この研修で新たに他の国にも行きたいと強く感じた。
 英語は実際生活していくと自分では気づかないうちに上達した。特にヒアリング。しかし、勉強して海外に来るともっといいと思った。私はコンピュータを持っていったが、あればかなり役立つ、しかし帰りはとてもジャマなものだったので個人で決めた方がいい。過去の人もいっていたが、本当に日差しはかなり強く想像を絶するものだった。日焼け止めはかなり大切。

 私は今後北海道の農業、いや日本の農業を担う後継者としてこれからもっと学んでいきたいと考える。もちろんこの研修で得たものを生かし、地元はもちろん日本の農業に貢献していきたい。そしてこの研修に携わったすべての人に感謝したい。そして北海道国際農業交流協会の皆様には本当にお世話になりました。