ニュージーランド

酪農 男性

<NZ酪農研修報告>

 私は2007年4月からニュージーランドで一年間、酪農の実習をしてきました。何故、ニュージーランドかと言われたら、英語力がなかったためあえなくニュージーランドになってしまいました。しかし、帰ってきて思ったことは「もう一度行きたい、もう少しニュージーランドにいたかった、ずっと住んでいたかったなあ」などと、よく思うことがあり充実した1年間がおくれたんだなあと実感しています。

 それではニュージーランドの一年間を振り返ってみたいと思います。まず4月の同じ日に私を入れて4人の研修生と出会いニュージーランドに渡航しました。オークランド空港では現地担当者に会い、家におじゃましました。それからオリエンテーションをして色々とお話を伺いました。それからすぐに現地でのホームステイが始まりました。渡航して1ヵ月は英語学校に通う予定だったのでニュージーランド最大の都市、オークランドでの生活となりました。
 
ホームステイ先の方は、おばあちゃん1人と私だけだったので最初はうまく生活できるのかと思いました。しかし、とても親切な方でご飯はうまいし、やさしいし、とても不自由なく1ヶ月を過ごす事ができました。英語学校に関してはいい学校だったと思います。でも英語が話せない分、できる友達は日本人ばかりと、今思えばもう少し英語の勉強をしておけばよかったなあと思います。でもうれしい事にそこの学校で仲良くなった女性と今はお付き合いしています。よかったー。


農場編
 そんなこんなで楽しい1ヶ月が過ぎ5月19日にオークランドから南にあるニュージーランドで第4番目にでかい都市ハミルトンの近くの農家さんで働くことになりました。ハミルトンから約15分、東の方に向かうとある山々の間に位置する農家に1年間お世話になることになりました。農家さんの名前はレイ・バッジョーさん(親方)、奥さんはデニス・バッジョーさん。家族構成はだんなさん、奥さん、長男、長女、次女、次男の六人家族で、次男以外の兄弟はみんな結婚していました。農場での労働者は親方1人でした。息子さん達は農場を手伝うことがありませんでした。親方に話を聞くと農場を継いでほしかったようですが、やはりやりたいことをやってもらいたいということで跡継ぎになることをやめたようです。

 農場の概要は搾乳牛200頭、若牛約50頭、育成牛約50頭。その他に肉牛もやっていて肉牛総頭数は150頭近くいたと思われます。総面積は約130haあり、そのほとんどを放牧地として使っていました。放牧地は約60個に分けられていて、そのほとんどが2~3haに細かく仕切られていました。1つのパドックには2個、多くて3個のゲートがありそこから牛が出入りできるようになっていました。そして放牧地の真ん中をはじからはじまで、牛の歩く通路が通っていました。

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仕事の流れ

 まず、ニュージーランドの酪農は季節分娩となっています。1年間の流れを説明します。5~7月は乾乳期になります。7月下旬~10月まで分娩期となります。10月中旬から人工授精、雄牛を搾乳牛と同じパドックにいれ自然交配させます。12月までそれを続けます。1月~4月は搾乳だけとなります。乾乳期は朝7時から牛の移動をします。約1時間で移動は終わり朝食となります。1時間の休憩後、日中の仕事となります。

 日中の仕事は古くなったフェンスの修理、パーラーの清掃、その他は雑用をしています。搾乳期は朝5時に起きて犬と牛を集めに行きます。そして搾乳が始まり約1時間で200頭を搾り終えます。その後パーラーを清掃し、朝食となります。1時間休憩し日中の仕事に入ります。乾乳期以外の日中の作業は牛の移動、パドックを簡易フェンスによって分ける作業、雑草駆除、その他諸々です。


家族のライフスタイル

 家族での労働者は親方だけです。奥さんは何をしているかわかりませんでしたが分娩期の忙しい時期は哺乳を手伝っていました。ほかの期間は家にいたり外に出かけて夜まで帰ってこないということがありました。長男は結婚していてオークランドで先生をしていました。長女は同じ敷地内にあるもう1件の家に旦那さんと住んでいました。旦那さんは町の電気工事の店に働きに通っていました。僕はこの長女夫婦と暮らしていました。次女の方はオークランドで働いていて12月に結婚しました。次男の方は家に居て学校に通っていました。普段、家に居るのは親方、奥さん、次男の3人でした。

 仕事の時間帯は朝5時から夕方の5時まででした。ですから5時を過ぎてからは自由時間なので好きなことをやっていました。親方たちは仕事が終わってから映画を見に行ったり、ショッピングにいったり、友達とディナーを楽しんだりと時間を有意義に使っていたと思います。土曜日は午前中まで仕事をして昼からは休みとなりました。日曜日は朝・夜の搾乳、移動だけで他には仕事がなかったので自由時間はかなりありました。

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作業内容
 乾乳期の作業内容は、1日1回すべての牛の移動をします。この時期はニュージーランドでは冬にあたり、放牧地には毎日のように霜が下ります。親方に教えてもらいましたが、霜をついた草を牛に食わせてはいけないと聞きました。理由は霜の中にある何かが牛の胃の中に入ると病気になると言っていました。ですから必ず太陽がでて霜が水滴に変わるまで牛の移動は行いませんでした。それを終えて朝食。1時間休憩後、日中の仕事に入ります。日中の仕事は日によって変わりますが、多かった作業がフェンスの修復でした。多分1年間のなかで乾乳期にすべての傷んだフェンスを修復すると思います。特にフェンスを補強するため杭を地面に打ち付ける作業が多かったです。他は搾乳が始まる前にパーラーの清掃をしました。きれいに見せるために壁に新しく、白色でペイントをしたりもしました。牛に銅を飲ませたり、除角をしたり、アイボメックをしたり、そういう仕事をしました。分娩期に入る前に片付けておかないといけない仕事ばかりをしました。分娩期に近づくといい草を食べさせないといけないということで、放牧地に窒素をよく撒いていました。1日中それをふることもありました。

 分娩期の作業として、朝・晩の牛の観察は毎日していました。多い日で8頭生まれたこともありました。しかしまだまだ少ないらしいです。親方が経験した中で最高20頭を越える日もあったらしいです。分娩の場所は放牧地で生ませていました。分娩が近い牛を1ヵ所に集めて飼っていたのでそこだけの観察だけですみました。しかし中には早期に分娩する牛もいました。その時は大変です。他の牛は平地で飼っていなくて子牛を連れに行くのが大変でした。子牛を担いで何百mも歩くこともざらにありました。中には川をはさんで向こう岸にいる牛もいたので、川を牛を担いだまま渡ることもありました。そのころは筋肉痛がたびたびありました。子牛は日本に比べ、さほど大きいとは感じませんでした。私の農場では毎年約50頭前後のホルスタイン種しか人工授精しておらず、他はすべて肉牛の自然交配しかしていませんでしたので、ほとんどが小さい牛でした。生まれた後は1日親牛のそばにおいていました。理由は初乳を親がやらせることと、もってくるのが面倒くさいということです。他にも理由がありましたが忘れました。哺乳は奥さんが絞りたての牛乳をやっていました。最初の1週間近くは奥さんが1頭ずつやっていましたが、それ以後はミルクバーという乳首が何個もついた哺乳かごでやっていました。他に1ヶ月あたりからスターターも与えていました。3ヶ月後からは放牧地に放していて畑にある水とスターターを与えていました。搾乳期の日中の作業は次の日のパドックの作成が毎日欠かせません。

 他には雑草の駆除、機械のメンテナンス、牧草収穫、と色々とやってきました。1番きつかった作業が雑草駆除です。背中に10kgのタンクを背負って放牧地の坂道を上がったり下がったりして雑草を1つ1つ駆除していきます。それを毎日、夏の暑い日にやっていて辛かった記憶がまだ残っています。他は大した仕事はなかったと思います。他に私が研修している期間、新しい住まいを大工さん2人と親方、3人で作っていたのでその手伝いが多かったです。そのおかげで大工作業が多かったのも覚えています。

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労働時間・休憩・休日
労働時間は乾乳期は7時から夕方5時まで、搾乳期は朝5時から夕方5時までです。休憩は朝、昼の食事1時間ずつの休憩と日中の11時くらいにあるティータイムでした。午後は水飲み程度で体を休めることなく働いていました。休日は1ヶ月に3日間休めることになっていて、私はまとめて休みを取っていました。休日になると、オークランド近くに住んでいる日本人の友達ともっぱら遊んでいて、その友達の家に泊まることが多かったです。それか彼女とどこか旅行に行ったり、彼女の友達とクルーズに乗って海に出かけたりもしました。いい体験をしたと思います。夏に約10日間の休みをいただいたときは彼女と1番北にあるケープレンガに行ったり、北島の北の方を周遊してきました。楽しかったです。
意思の疎通
 私は英語が苦手でした。英語学校に通っている時もろくに勉強せず友達と遊んでばかりいたので、農家に入ったときはとても苦労しました。まったく日本語が通用しなかったのですべて英語での会話となり、部屋にこもることもしばしばありました。農家に入って3ヶ月がたったころ親方に呼び出されたことがありました。何かと思ったら、まるで英語が上達してないと言われてクビにすると言われました。現地担当者にとりなしてもらい、私が英語の勉強を頑張るということでなんとか事を終えることができましたが、とてもショックでした。それからは英語も仕事もがんばるようになりクビになるのは免れました。

 研修最後の方になると親方がもう1年働かないかと言ってきました。その時はとてもうれしかったです。研修最後の方はとても仕事が楽しく農場全般の事を私に任せられていたからだと思います。私自身もまだまだこの農場で働きたいという気持ちが強かったです。普段の生活の中での意思の疎通はあまり問題がなかったと思います。仕事の時と違い、辞典を持ち歩いていたので何か言われればすぐに対応できていたと思います。店や旅行先でも特に問題はなく快適だったことを覚えています。

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研修の成果

 研修を通してニュージーランドの牛のサイクルが完全ではないですがわかりました。季節分娩のことも理解できました。私は日本を旅立つ前に農家の方からニュージーランドのやり方は日本ではできないと言われましたが、そうでもないなあと仕事をしてきて思いました。ですから私はニュージーランド方式を我が家の経営に取り入れてやっていきたいと考えています。

 私が思ったニュージーランドの酪農は牛にも人間にも優しいサイクルでやっていける酪農だなあと思います。時間にゆとりがあり、牛の病気も少なく、低コストですばらしい酪農スタイルだと思います。私が今まで見てきた中で1番効率のいい酪農経営をしていると思います。私がなにより気に入ったのが人間にも牛にもゆとりのある生活ができていることがすばらしいと思いました。できれば私の農場でもこれからどんどん、ニュージーランドで体験して身についたことを取り入れていきたいと思います。成果というわけではないのですが、体重が10kg減ったことがよかったです。作業全般がほぼ歩きなのでとても健康に良かったです。

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アドバイス

 これからの皆さんにはぜひ、海外へ渡る前に英語を猛勉強してほしいと思います。私は英語が不十分だったため、外国の方と友達になることが苦手でした。けれど、本心では英語を話してもっと外国の方と会話をしたいとずっと思っていました。こんな後悔をしてほしくないので英語を猛勉強した方がいいと思います。他には仕事をするときはする、休む時には休むを徹底してほしいということです。周りの日本人は休みの時なのに無理して働いていることが多かったです。そうすると次の休みの時も働かされたりなどということも聞いたりしていました。ですから私は休みの時は徹底的に休んでいました。休みの時はなるべく外出、外泊するようにして家にいることを避けました。そうすると、農家さんも、私自身も気兼ねなく仕事をしたり、休むことができました。そのかわり仕事の時はしっかりと仕事をしていたので何も文句は言われませんでした。これから行く方もこういうことは徹底したほうが良いと思います。

 他には、ホームシックになる人もいるので、日本語の本なり、CDなり、飽きない日本語や日本の物を持って行った方がいいと思います。私は何も持って行かなかったので暇で暇で仕方がなかったです。絶対持って行って後悔はしないと思います。私は持って行かなくて後悔したから持っていったほうがいいと思います。病気については、特に言えることはありません。私は1週間近く腹痛が続いて何も食べることができないことがありましたが、何もしないで治りました。だからどこで何が起きるかわからないので何も言えることはありません。
 
 後悔しないようにやりたいことはよく計画してから実行してください。海外でしかできないこともあると思うので、ぜひトライしたらよいと思います。がんばって楽しい時間を過ごしてください。良くするのも悪くするのも自分次第です。
 後悔のない海外生活を。