海外派遣事業 研修生レポート

デンマーク

酪農 女性

<デンマーク農業研修報告> 私はデンマークが好きです   ~Jeg elsker Danmark~

  2008年5月14日、私は日本を飛び立ち憧れのデンマークでの酪農研修がスタートした。
初めての1人旅に、不安しかなかった機内で必死に覚えた英語。そう、私は英語が苦手だけれど海外に行きたいという思いがあったのです。カストラップ空港に到着し、英語やデンマーク語と思われる標識しかなく、本当に来てしまったのだと実感しました。
こうして私のデンマーク生活が始まろうとしています。

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 私の配属農場は、首都のコペンハーゲンから鉄道で3時間、さらに車で30分位の所にあり、農業が盛んな町”LφGUMKLOSTER”にあります。農場の周りには牧場と畑と風力発電があり、とっても静かな農村でした。

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 私が1年間お世話になったホストファミリーのGert van den Heuvelはオランダ人で、酪農がやりたくて14年前にデンマークへ移り住んだ家族でした。毎日にぎやかで、私を家族の一員として迎え入れてくれ楽しく過ごすことができました。働き者で迷惑を一番かけてしまったお父さんゲルト、いつもおいしい晩御飯をつくってくれ、色々な所に連れて行ってくれたお母さんアネット、カッコいい少年で空手教室に通い始めた長男オーレ、サッカー大好きでスケボーが上手な次男イープ、一番の仲良しでいつもデンマーク語を教えてくれた3男ペーア、自転車の補助輪が取れて牛舎を走り回る4男ジース、そして肥満気味の犬マギー、野良猫キム、ウサギにモルモット、卵をなかなか産まないニワトリ、可愛い瞳で近寄ってくるたくさんのジャージー牛とともに過ごしました。あと、研修が始まった頃はオランダからの実習生ジェラートがきていて、1か月一緒に仕事をしました。従業員のフレーダは素敵な男性で主に外仕事をしていて、ゲルトの良き相棒でした。

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農場の概要
 牛はすべてジャージー種でフリーストールとフリーバーンが1つの牛舎に入っており、その牛舎に哺育牛以外のすべての牛が暮らしています。哺育牛はハッチ~スーパーハッチと移動しその後牛舎で過ごします。フリーストール側には経産牛が140頭程いて、搾乳は常時125頭程搾っています。フリーバーン側の育成牛は3つの群に分けられ、だいたい授精前・授精適期・受胎牛群に分かれています。乾乳牛も乾乳前期後期に分けられています。すべて1つの牛舎の中での移動なのでかなり効率よく回っている印象を受け、牛の状態も観察しやすかったです。
 糞尿はスラリーや牛舎の床がスノコになっていて、地下に貯蔵されていました。散布するときはコントラがきて大型機械で草地にすき込んでいました。
 牛舎の屋根は、透明な箇所を作っていてすごく明るい印象をうけた。太陽の光が入って来るので、牛床は乾燥しやすく冬でも少し暖かいと思った。

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 作付品目は採草地40ha、ルーサン20ha、デントコーン30ha、小麦25haの計115haで収穫作業はほとんどがコントラクターに委託していましたが、自分達で行うことも意外に多くありました。
牧草収穫では、テッターとコンパクトベールの運搬は自分たちでしました。バンカーサイロのシートかけや、詰めている間にもコントラの踏みだけでは不十分とのことで、農場のトラクター2台を使っての鎮圧(私はしていません)や終わってからのシート掛けタイヤのせ、そして1つのバンカーに1~3番草を詰めるので、めくったりはがしたりと結構な作業でした。

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 私の初めての大仕事は、ルーサンコンパクトの運搬でした。トラクターにトレーラーを付け初めての右側走行は、かなり緊張しました。角を曲がるたびに”右右右・・・・”と、唱えながらの走行でした。そして私の前を走っていたフレーダの速いこと速いこと、トラクターはこんなにスピードがでるのか!!と思いながら追いかけました。そしてコンパクトを積んで帰る途中、一車線しか通れない道でドでかいショベルと出会ってしまい、できる限り右により何とかかわして農場につきしばらくすると、右側前輪がパンクしているではありませんか!!まだ1度しか運んでいないのに私の仕事は終わってしまい、申し訳なさでトラクターをさけるようになってしまいました。でもゲルトはこりずに私をトラクターに乗せてくれました。ありがとうございます☆
 夏の小麦の収穫では、アネットと行くはずだったミュージックフェアをつぶして小麦の運搬をしたり、タワーサイロに小麦をひたすら夜中まで詰めたりと、収穫作業に奮闘しました。デンマークでは貨物での運搬はほとんどなく、いつもトラクターにトレーラーをつけての作業だったので、牽引が上達しました。そうして調子にのると牛舎の屋根にトレーラーをぶつけたりと、私はこの農場にたくさんの傷を残してきました。

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 私の毎日の作業は、朝4時から搾乳牛追い、ベット掃除をして4時半からゲルトと一緒に搾乳を行います。パーラーは10頭Wのヘリングボーンで個体ごとに餌が出てくるので、ほとんどの牛は自らパーラーに入ってくるため、追い込むことはほとんどしません。牛を呼ぶときには、”カムサッ”とか”キィッシュキィッシュ”と言うと牛はだいたいきます。たまにゲルトはうるさい牛にキレていたので、私も怒られないように頑張って動いて仕事を覚えました。搾乳は2人で1時間半くらいで終わり、ゲルトは哺乳をし給餌の準備をはじめ、私はパーラー内の清掃とベッド掃除をしゲルトと給餌を交代します。

 餌作業ではミキサーに単味の飼料やサイレージを入れ混ぜ、飼槽掃除をして餌を給与します。給餌用のトラクターもミキサーも無駄にでかくて、運転が怖かったです。狭い所を旋回するのでよくぶつけてしまい、最後にはゲルトの目の前で牛の出荷用ゲートを壊してしまい、2人でなおしました。給餌回数は搾乳牛が1日1回朝の搾乳後に行い、育成と乾乳は2日に1回なので、交互に行いました。はじめの頃は麦稈の長さ調整が難しかったです。8時から朝食にサンドイッチを食べます。朝と昼はサンドイッチなので、自分で好きなものをはさんで食べます。私はゴーダチーズとルレペルセというハーブの入ったハムがお気に入りでした。その後9時から日中の仕事です。

 日中は牛移動やバンカーのシートめくりに水槽掃除やベッド掃除など牛舎内のことや圃場管理などの外仕事をよくし、6月~10月くらいまでの空いた時間で、牛舎周りの砂利道をコンクリートにする作業をひたすらやりました。これはかなりの重労働で、土木現場で働いている気分で楽しかったです。特に地面を平らにする機械がお気に入りでした。生コンも自分達でつくり完成したときはうれしかったです。

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昼は12時~2時くらいまで休憩がはいるので、いつも寝ていました。午後は2時くらいから仕事が始まり、掃除や発情発見、ゲルトの手伝いをして、4時にティータイムをして、4時半から搾乳が始まります。夕方は私1人の搾乳なので、初めの頃は慣れるまで大変でした。なぜかよく搾乳がストップしたり水が止まったりとハプニングが多かったです。そして6時半位に搾乳がおわって、パーラー内の掃除をしてベッド掃除をして7時半位に1日の作業が終わります。夏の明るいときは8時半位まで仕事をしました。労働時間は1日11~12時間でした。そして夕食を家族みんなで食べます。夕食だけは手作りでアネットが作ってくれます。主にイモと肉・パスタでした。私はラザニアがお気に入りで、食べたい物を聞かれるとラザニアといつも言いました。その後シャワーを浴びて、ティータイムをして10時には夢の中でした。

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 私は研修開始2週間目から語学学校に通うことになり、朝の搾乳後からバスで隣町の”TφNDER”にいき、月水金の午前中は仕事を休ませてもらいました。デンマーク語は未知の世界で、少しずつ分かっていくのがおもしろかったです。初級クラスで知り合ったいろいろな国の人と仲良くなれました。みんな日本のことを知っていて嬉しかったです。年配の方には、北海道・札幌を知っている人もいたり、昔のオリンピックが記憶にあるそうです。学校のイベントで自国の料理を持ち寄り食べるというのがあり、私はみんなのリクエストで巻きずしを作りました。意外にもスーパーには寿司セットというものが売っていて、米やのり、酢などが入っていました。評判はなかなか良かったです。中には、のりを食べられない人もいました。

 私の楽しみは、帰りのバスの待ち時間に街を歩いたり買い物をしたり、図書館へ行き雑誌を見たりCDを借りることでした。大通りにはパン屋さんがいくつもあり、焼きたてのチョコパンがおススメです。通学はバスでバスカードを180krで買い10回乗れるカードでした。バスには学生がたくさん乗るので、毎回混んでいました。

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 休日は2週に1回土日が休みでした。はじめの頃は休みのないゲルトに申し訳なくて、朝の搾乳に出たりしていました。あとは家でゴロゴロして外に散歩に行く程度でした。
出かけるにも土日はバスがほとんど運休、店もほとんど開いてなくなかなか出かけずにいました。仕事に慣れてくると、休みの日でも仕事を頼まれるようになり、休みのない月もありました。

 春に1度海外研修生受入機関の集まりがオーデンセであり、他の国の研修生と交流することができました。みんなで吊り橋を渡ったり、迷路がすごく面白かったです。

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 冬にデンマークで研修していた女の子、平田さんとみなちゃんと知り合い、何度か集まるようになりました。そして年明けくらいから、休みの日はできるだけ出掛けるようにしました。その時はアネットに駅まで送り迎えをしてもらい、本当に感謝しています。

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 2人に列車の料金が安くなる”DSBのWild Card”を教えてもらい半額くらいで列車にのることができてお勧めです。このカードは私の場合インターネットでアネットに手伝ってもらい買うことができました。値段は180krで、18歳から25歳までのデンマークで住民登録している人が買えます。乗車中に見せるよういわれるので、このカードと黄色い住民登録カード、パスポートは常に携帯しておく必要があります。
 黄色い住民登録カードは、デンマーク生活の初めに街のセンターへ行き登録をします。このカードは図書館で本を借りる時や、眼鏡が壊れた時に保険で買い替える時などいろいろな場面で使うので、いつも持ち歩くことが大切です。

 デンマークのイベントでは、6月に夏至のお祭りがあり近所の人たちが料理を持ち寄り、食事会をして最後夜の10時くらいから、木を燃やしました。この時間でも暗くなく変な感じでした。
共進会にも参加しリードした牛が部門で1等をとった時はすごくうれしかったです。

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 夏休みには家族が1週間ドイツにキャンプへ行き、フレーダと牛舎作業をしました。夜は1人の家が怖かったのでフレーダが一緒に泊まってくれて安心でした。毎月のようにパーティーがあり、ゲルトとアネットについて行き食事をしダンスも初めて経験しました。デンマーク人はビールが大好きで、お酒の苦手な私はいつもジュースを飲みました。子どもたちの小学校の行事にも、いつも連れて行ってもらいました。学芸会や運動会、学校祭でのお化け屋敷は、リアルで怖かったです。授業も何度か見学させてもらいました。

 11月にはハーニングという街で機械の展示会が行われ、初めて見る機械がたくさんあり大きさもデカイ!ものばかりでした。日本にもいつかこんな大型機械が入ってくるのかなと思いました。

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 クリスマスはデンマーク最大のイベントだと思います。10月くらいからラジオでクリスマスソングが流れ、街にはクリスマスグッズが並びイルミネーションがすごくきれいでした。ツリーの周りにはたくさんのプレゼント、クリスマスメニューにクリスマスソングと家でもクリスマス一色でした。ツリーの前でみんな手をつないで歌い、私も日本の歌を何曲か歌いました。プレゼントもたくさんもらい、牛好きの私には牛グッズがプレゼントされました。

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 クリスマスが終わってからアネットと子どもたちと一緒にオランダへ行ってきました。アネットの兄弟の家に泊まったり、ゲルトの実家へ行ったりアムステルダムを観光しました。友人の酪農家を見学させてもらい、デンマークに比べて飼養頭数が少なく平均80頭くらいの搾乳牛だと言っていました。オランダの食べ物といえば”パンケーキ”でクレープに似たものと、お好み焼きに似たものの2種類があり両方ともおいしかったです。

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 大みそかの31日は、子どもたちが近所の家の玄関に用意されたお菓子をもらいに、みんなで出かけます。その時ありがとうという意味で、ロケット花火や爆竹を鳴らして帰ります。夜も爆竹などで遊びました。夜は近所の家に集まり、夕食を食べて過ごします。クラッカーがたくさん置いてあり、家の中も外もにぎやかでした。12時には街のほうで打ち上げ花火がたくさん上がっていました。
新年は特に何もなく、家族は前日騒ぎすぎでずっと寝ていました。食事はオランダで年越しに食べる”オーリーボー”というお菓子が2日くらい続きました。

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 私の思い出は、1人での牛舎作業と留守番でした。仕事にも慣れた頃、フレーダは作業中の怪我で仕事は休んでおり作業は私とゲルトで行っていた。家族はイギリスとオランダへ旅行に行くといい、私1人でも大丈夫だと言われ本当に行ってしまった。出発の日は初雪の降る寒い時期、子牛は急な寒さで下痢がひどく、分娩が近い牛も何頭かいた。いつもゲルトが乗るロールカッターに乗らなければならなく、不安でしかたなかった。牛を死なせないよう、何も事件が起きないことを祈り1週間が始まった。近くの農家さんヘレンが毎朝様子を見に来てくれ、昼食にも招待してくれた。仕事のほうは、落ち着いてやるよう心掛け牛の観察をいつも以上に行った。ロールカッターをつまらせ必死に直したり、パーラーの水が出なく困っていたら外でホースが割れて水があふれていたり、大変なこともあったが普段できない哺乳作業ができたり、牛舎での作業を一通りできるようになり嬉しかった。そして私が休みの日は1人で作業をするゲルトの大変さを知った。家ではいつも賑やかだったのが”シーン”としていて、怖さと寂しさに襲われた。食事は疲れてパンとコーンフレークで過ごしてしまった。意外にもあっという間に終わった留守番だが、研修での一番の思い出だ。お土産にチョコを貰いおいしかったです。こんなことが2回あり良い経験ができました。
 
 デンマーク滞在半年記念にアネットと美容室へ行き、パーマをかけてみたら想像以上にチリチリになってしまい、子どもからは笑われストレートのほうがいいと言われてしまいました。是非皆さんも美容室を経験してみてください。

 この研修はあっという間に終わりを迎えてしまった。農場での仕事はいかに無駄なく動くことかを学んだ。そして仕事1つをするにも、なぜそうしなければならないのかをゲルトは丁寧に教えてくれた。物を大切に使うことも教わった。農場では昔の牛舎をゲストルームとして改築し、30年前のトラクターも大切に使われていた。そして、自分達でできることはするということ。とくにコンクリート打ちは代表的なものだと思う。家族の時間も大切にし、子どもたちの学校の行事には家族みんなで参加し、たくさん出かけた。土日はとくに最低限の仕事(搾乳・給餌・哺乳)以外はしないという感じであった。そして空いた時間は寝るように教わった。でなければ疲れが取れないからだ。環境整備も大切な仕事で、緑の芝生にきれいな花は人の心を落ち着かせてくれた。牛舎内もいつ人が来てもいいように、空いた時間は掃除するのが日課になった。たくさんの農場を見学させてもらうなかで、将来こんな牛舎で働きたいと思える牛舎にも出会った。

 1年間たくさんのことを経験し、デンマークの人たちの優しさに触れ、やさしい家族の中で生活できて本当に良かったです。私はデンマークが大好きです。この研修で得たたくさんの経験を生かして、将来の酪農経営につなげていきたい。そしてお世話になったゲルトファミリーをいつか私の農場に招待するのが夢です。
 日本人を気に入ってくれ、私の次も日本人研修生カズを受け入れてくれ、この先もずっとこの素敵な農場で多くの日本人が研修していくことを私は願います。
この研修をずっとサポートしてくださった、北海道国際農業交流協会の皆さんには英語の指導や準備のことで本当にお世話になりました。ありがとうございます。
日本からいつも応援してくれた友達や家族も本当にありがとう。おかげでホームシックにはかかりませんでした。

 これから研修に参加しようと思っている人は、是非日本を離れた異国の地で、色々な物を見て・聴いて・感じて・食べてみてほしいと思う。

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