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研修目的 私は前々から海外で生活してみたいという思いがあった。そのような時に養成課程の海外研修があり、ニュージーランドに行き、その思いが強くなった。また、日本とは違う農業を体験したいという思いからニュージーランド研修へ色々な意味での視野を拡大させるために行ってきた。 |
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ニュージーランドの概要 ニュージーランドの国土は日本の約4分の3であり、本州と九州を合わせた面積に一致する。首都はウェリントン。人口は約400万人。民族別構成比率は欧州系で307万人(73%)、次いでマオリ系で58万人(14%)、アジア系の27万人(6%)、その他26万人(7%)となっている。 ニュージーランドは温帯に位置している。気候は変化に富んでいるが、寒暖の格差が日本ほど激しくない。年間の平均気温は北島で15℃、南島で10℃である。2月が最も暖かく、7月が一番寒い時期である。年間降雨量はオークランドで1,191mm、クライストチャーチで675mmである。 |
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ニュージーランドの農業 ニュージーランドの農業人口は33万人であり、12人に1人が農業をしている事になる。酪農業や果樹の栽培が盛んである。ニュージーランドの農業は輸出で支えられていると言われるほど輸出に力を入れている。日本は輸出相手国の上位にランクインしている。そのため、生産される農産物も日本の用途やニーズに合ったモノづくりが行われている。 しかし近年、日本の景気低迷を受け、日本以外の市場に向けた輸出に力を入れている。 ニュージーランドのイメージである「クリーン・アンド・グリーン」を誇りとし、それを傷つけないという意識が強い。従って、生産者は可能な限り農薬の使用を控え、安全な食品「セーフ・フーズ」作りに取り組んでいる。 |
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研修場所・期間 (1) グレアム農場(タウランガ) 2008年10月3日~10日 (2) ウィルコックス(プケコヘ) 2008年10月12日~2009年3月10日 (3) エコ・オーガニック(クメウ) 2009年3月11日~30日 |
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研修内容 (1) グレアム農場 ニュージーランド研修1つ目の実習先はタウランガの町から車で30分位の所にある老夫婦2人の農場であった。小規模ながら多くの果樹・野菜を栽培していた。野菜は全て水耕栽培で、専用のパイプを使用しており、常に水が循環する仕組みになっていた。 労働力は基本的に経営主のみだが農繁期になると私のような研修生を雇っている。奥さんは近くのナーサリーで働いており、農業経営には関与していなかった。 経営主の趣味は柔道であり、柔道の大会などで日本を訪れる事もあるという。無理することなく趣味を大事にしながら農業をやっているように感じた。
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子豚たち |
水耕栽培の野菜 |
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梨の樹 |
Graeme、Annと共に |
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(2) ウィルコックス 2つ目の実習は大規模に経営を行っている会社だった。ウィルコックスは私が行ったプケコヘ地区の他に3つの支所から成り立っている。生産、販売、輸出を行っており、完全な分業スタイルをとっていた。畑の手作業を行うパートを社員の他に雇っていた。 私の仕事は基本的に収穫した玉ねぎ、馬鈴薯、人参をトラクターで牽引するトレーラーで受け、運搬する仕事であった。選別する工場を備えているため、収穫スピードは速く、収穫する際の選別も手荒なものであった。
私は1度海外の大規模経営を見たいという思いがあった。今回は研修生という客観的な立場で仕事に携わり、見たり感じたりすることができた。そこで感じた事は、それぞれの部門のプロがいて初めて大規模経営というものが成り立つこと。その一方で組織化された経営の中に生産する上での大事な気持ちがないように感じた。しかし、それはニュージーランドの流通環境において品質の高いものは求められてなく、私が品質基準の厳しい日本で育った事による価値観の相違がそう感じさせたのだと思った。改めて日本の素晴らしさに気付かされた。 ウィルコックスでは車が借りられ、休日になると遠出や、色々な観光に行くことができ、行動の幅が広がり、とても充実した日々を過ごす事ができた。
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玉ねぎの収穫風景 |
収穫された玉ねぎ |
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現場スタッフと共に |
馬鈴薯収穫風景 |
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収穫物の積み下ろし |
300馬力のトラクター |
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(3) エコ・オーガニック 最後の実習先は有機農家であった。クメウという街はオークランドから近く、昔は果樹の町として有名だったという。この農家では数多くの野菜を少しずつ栽培しており、ネットや直売所で販売をしていた。週に2度、ネットで注文を受けた商品を箱に詰め、消費者へ届けている。商品にバリエーションを出す為に他の生産者から農産物を仕入れたり、加工品の仕入れもしていた。 労働力は基本的に経営主と私のような研修生だが、パッキングをする週に2回はパートが来る。奥さんは実家の肉牛農家で働いている。期間限定商品として奥さんの実家の牛肉もネット販売のメニューに加わる。
私がやっていた仕事は主に除草で、肉体的に有機農業の現状を知ることができた。しかし、スケジュールに追われることなく、自分のペースで仕事をすることができ充実した気分になった。また、研修の最後の方の休日にボートの旅に連れて行ってもらいましたが、船の上でお酒を飲みながら夕日を見て宿泊し、今まで経験したことがなかったので貴重な体験ができたと思います。私たちの他にも沢山の人が海の上で宿泊していました。ボートを持つ事が趣味の一環としてなっているのだなと感じました。 直売所やネット販売などは、自ら生産されたモノが消費者の口に直接入る売り方なので安全面は自己責任になる。長年安全なモノを提供し続けることで安心感となり、信頼となり、信頼がブランドとなる事を学んだ研修であった
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箱詰めされた野菜 |
オーガニックビーフ |
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有機圃場 |
船の旅 |
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船から見た夕焼け |
Des、Aileenと共に |
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私生活について ニュージーランドの私生活において、私が一番印象に残っているのはウィルコックスでの生活でした。研修期間が一番長かった事と寮生活で田中誠司君と安藤詠二君という将来の北海道農業を盛り上げていく同じ目標を持っている仲間に出会えたからだと思います。そんなウィルコックスでの私生活を紹介します。 誠司君とはウィルコックスの研修が始まってから一緒でした。しかし、誠司君は半年間のニュージーランド生活を終えていて私よりも英語に関しての知識は豊富だったので色々な場面で助けられました。家事の方は分担制で行い、私が洗い物と昼飯を作り、誠司君が夜ごはん担当でした。仕事の日は帰りが遅い時もあったので大変でした。今まで一人暮らしはした事がなく大変さがわかりました。休日には近くの海に行ったり、オークランドの街に行ったついでに現地担当者の所に行ったりしていました。何だかんだして1カ月が経ち、詠二君が来ました。
詠二君が来た頃からウィルコックスでは馬鈴薯の収穫が始まり、段々と忙しくなってきました。なかなか纏まった休みがなく、遠出はできませんでしたが年末と年明けに4日ずつの纏まった休みがあり、最初の休みは詠二君と北島1周を計画し、目的地はニュープリマス、ウェリントン、ネイピア、タウポ、ロトルアに定め、旅に行ってきました。年明けの連休には3人でケープ・レインガを目指し旅に出ました。2つの旅は日にちが短く忙しいものになりましたが、貴重な体験ができたと思います。 ウィルコックスの研修が始まった当初は、ニュージーランドまで来て日本人同士で住むのは英語の上達を妨げるのでおかしいと思いました。しかし、それは間違った考えでした。英語は上達しなかったけれど、仲間がいなければ楽しい生活を送る事ができなかったし、ここまで心に残る思い出はできなかったと思います。とても楽しい生活でした。
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タラナキ |
ニュープリマスの夕日 |
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ウッドビルの巨大風車 |
タウポのフカホール |
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国会議事堂 |
みんなと一緒に |
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7. |
感想 ニュージーランドは有機栽培や減農薬栽培が盛んに行われているイメージがあった。現に殆んどの作物が日本より少ない農薬で栽培されていた。私は天候や消費者の価値観など様々な環境が有機栽培や減農薬栽培を可能、又はやりやすくしていると感じた。その栽培された農産物をスーパーなどで見ると、日本では流通不可能なものが度々見られた。しかし、消費者は普通に買い物をしており、同じ人間でも違うのだなと感じた。日本は規格基準の厳しさが世界トップクラスであり、規格外品は安価で加工品として取り扱われ、生産者にとっては厳しい現実である。天候についても夏場には気温、湿度が上がり著しく病害虫が発生し、有機栽培や減農薬栽培を行っている農家はダメージを受ける。日本の規格基準の高さは世界に誇るものですが、その規格基準の高さが消費者目線を厳しくしたのだと私は考えます。ニュージーランドのように多少形が悪くても食べてくれる消費者がいるのであれば、日本でも有機栽培や減農薬栽培が増えてくるのではないかと思います。
今回、ニュージーランドで生活して共通して感じたことがあります。それは、休日を大事にしている事と趣味に賭ける金額が半端ない事です。凄い活き活きしているというか、良い意味で大人でも子供のような気持ちを持っているように感じた。日本の農家の人達を見ていると趣味を持っているのかなって思うことがあったので、こういう生き方もありだなと思った。自分の人生の中での重点の定め方で生き方は変わってくると思う。仕事に生きるも良し、遊びに生きるのも良し。自分の人生自分の生きたいように生きるのが大事だと思った。自分はまだビジョンが定まっていないけれど今は自分の好きな農業を究めたいと改めて思った。それからでも、のんびり生活するには十分かなと思います。
私はニュージーランドの生活が始まって間もないころ「知らずのうちにたくさんの人に支えられ元気を貰い生きているのだな」と今まで当たり前だと思っていた事やモノが無くなった途端に思いました。その不安な気持ちから学んだ事は自分の周りや自分の中で当たり前に思っていることが実は一番大切で一番感謝しなくちゃいけないのだなと思います。これはニュージーランドにいる時、そして今も日々思うことです。
私は今回、「色々な意味での視野拡大」というテーマで行ってきたが、人種も違えば考え方も違う。何もかもが新鮮で有意義な研修だった。農業の技術は勿論、これから生きていく上で大切な考え方を学んだ。誰もが行ける研修ではないので貴重な体験ができ、幸せに思う。この研修が充実したのも沢山の人の間接的、直接的な支えがあったからだと思う。このような機会を持たせてくれた親には感謝したい。ありがとうございます。 |
8. |
最後に 今回の研修において北海道国際農業交流協会の皆さんをはじめ、サポートしてくれた方々、母親のように接してくれた現地担当者に深くお礼申し上げます。 私はニュージーランド研修で学んだ事を糧とし更に視野を広げ、地域農業や北海道農業、更には日本農業を盛り上げていきたいと思います。本当にありがとうございました。
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