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研修生の声 NZ研修

アメリカ国旗 <ニュージーランド研修報告>

新井 淳

1. 研修期間 2008.5.9〜2009.4.30

2.

配属農場

 ニュージーランド北島 中央部、ワイカト地方モリンズビル。ここは一面平坦な土地で見渡す限り酪農家のファームばかりで、周辺に乳業会社の工場が3軒もひしめき合うほどの、NZでも酪農の中心地と言っていいかわからないが、盛んな地域でした。ほとんどのファームが大規模乳業会社フォンテラに出荷している中、タトゥアと言う唯一モリンズビルにしか工場をかまえていない小規模な乳業会社で、数あるファームの中、タトゥアに出荷している貴重なタトゥア農家でした。

 牧場の全容は草地面積95ha、飼養頭数320頭でホルスタイン・フリージアン種、ジャージー種、この二つの掛け合わせのクロスブレット、三種のミックスファームでした。

農場主トム・ヘネガム イングランドからの移民系で若干27歳、七年前に移住し四年前に50/50のシェアミルカーに登りつめた若き天才。私は、彼にとってほとんど初めての長期雇用の労働者でした。彼はとてもいい人で、怒らず、人を褒め殺しにするタイプで私はとても働きやすかったです。彼はどんな人かと言うと、ほとんど毎日電卓片手に何かを考えている人で仕事中さえ小さい電卓を携帯しているくらいでした。「趣味は?」と聞くと、「酪農」と答えるほどの情熱家で、私の質問にも熱心に答えてくれました。口癖は「経営するにあたって、いくら金が稼げるかが大事だ!」でした。

 彼の志は極めて高く貪欲で、将来的には1000頭以上を飼養したいと願っており、晴れてシーズン途中に南島のファームと契約でき、次のシーズンに移動、1300頭クラスにまで規模拡大が決まりました。

3.


研修内容

 ファームに移動してからは、約11ヵ月間にわたって滞在するにあたって、基本的に作業はトムと私のみで構成されるので、もし彼がいなくてもファームが回せるようにファームの必須作業をみっちり叩き込まれました。彼の作業内容の説明は分かりやすく、ひとつ作業を指示するにあたって作業の理由や、効果を事細かく教えてくれました。時には、彼から日本の酪農ではどのようにしているかなどを聞かれることもありました。
しかし、英語がままならなかった私はうまく説明ができなく、ダアァァァーってなったりして彼を困らせてもいました。

 ファームに入った当初は、ちょうど乾乳期であり仕事もそれほど忙しくありませんでした。8〜9月にかけて分娩があり、シーズン中は最も忙しい時期でした。最初の分娩は彼の不在の時であたふたしたことを覚えています。それから徐々に分娩が始まり毎日のように10頭前後の子牛が生まれていることもあり、草地のなかを大の大人二人が必死こいて駆け回っていました。この時期、最も大変な時は搾乳牛150頭、出荷不能、治療牛30頭、乾乳牛140頭、哺乳牛100頭と、1日の作業が多く大変でした。

 また、増頭方針のためファームで取れた子牛の牝牛は120頭ほどですが、彼はさらに100頭ほどの子牛を買いこんできて最終的に220頭ぐらいの子牛がいました。ウンザリするほどの子牛が畜舎におり、毎日、壮絶な格闘を子牛と繰り広げながら哺乳をしていました。哺乳で驚いたのですが、NZではミルクは温めず、哺乳器具も洗わないという大雑把さには驚きと、気持ち良さまでも感じました。日本人は神経質なんですね、子牛は疾病に苦しむことはありませんでした。

 忙しい時期を終え、10月中頃に初めての休日を貰いました。また、同じころに繁殖が始まりました。最初の約8週間は人工授精で毎朝、搾乳中に発情牛の発見、選抜、搾乳後に人工授精の流れで、牛群を集める時や搾乳時は目を凝らして牛を観察していました。発情牛の発見は意外と大変で、二人で「この牛、どーだ、あーだ、こーだ」って言い合っていました。人工授精が終わると、まき牛(オス牛)6頭を牛群に交ぜ、本交での繁殖が始まりました。最初の2週間は6頭を交ぜました。オス牛は興奮し、メスのケツを追いかけまわし、嬉しそうでした。本交を目の当たりにするのは初めてで、牛の豪快さには驚きと感動でした。2週間後からはオス牛を二つの群に分け二日置きに交代し入れ替えるようになりました。これは、牛もいつも一緒のメス牛といるとマンネリ化してしまうので、オス牛にフレッシュ感を与えるためでした。笑っちゃいますね。

 まき牛を牛群に入れるようになると仕事量は減り、楽になりました。ちょうど、クリスマスや年越しと重なりNZの行楽シーズンに入り、10日間ほどの休暇を貰いました。休暇の間はほとんどファームステイ先には帰らず、遊び呆けていました。最終日に銀行の口座を確認すると300ドルほどしか残っておらず、愕然としたことが思い出に残っています。ロングホリデーも終わり、ちゃんとファームに戻り仕事を始めました。

 1月中頃から乾季に入り雨は極端に減りました、最高で2週間ほど雨が滞ることもありました。乾季に入ると放牧地の草量もグググっと落ちて、牛たちは文句を垂れるようになりました。この時期から、春の草量が多い時期に収穫しておいたラップを放牧地に給与し、足りない分を補いました。これがまた大変で、フィードワゴンでロールベールやビックベールを給与するのですが、専用の機械ではなく、給与時毎度のようにトラブルに会い、困っていました。と言っても大した事のないことでしたが。サイレージが無くなると、続けてデントコーンの給与に切り替わり乾乳まで給与し続けました。また、パンプキーノも併用して給与しました。

 彼のファームで一番の仕事は、3月の末から10日間彼が不在で、私一人でファームを回したことでした。2日3日ぐらいならよくあったのですが長期間はさすがになく、代役を務められるか心配でした。期間中は来訪者の対応も私一人でしたので、無茶苦茶大変でした。一番のトラブルは、朝、バキュームポンプが回らず、あわや搾乳ができないところでした。知り合いを呼ぼうと思いましたが、同じく酪農家なので搾乳中と思い、断念。自分ひとりで何とかという思いで直しました。その日の朝の搾乳は早く終わらせようと釈迦力に絞りました。何とか集荷に間に合わせました。その日は疲れ果て意気消沈していました。そんな困難を乗り越え、最終日に彼の顔が見えた時は一気に緊張から解放されました。

 私がファームを去る日が近くなると、ここぞとばかり仕事をたたみかけてきました。最後の1週間は、購入した牛に新しい耳標をつけるためにワイカト中のファームを駆け回りました。彼の焦りようは激しく、最終日の私が家を出る2時間前くらいまで外に出て仕事をしていました。なんやかんや色々ありましたが楽しかったのひと言につきます。

4.

まとめ

 私は、NZは南半球に位置しており気候も環境も日本とえらく違い、酪農に関しては学べる物があまりないと思っていました。しかし、結局は同じ牛を扱い飼養していますし、経営理念も大して変わらないのです。NZのファーマー達がNZの環境や気候にあった酪農を確立してきたように、日本も日本の環境と気候に適した酪農を確立していくことを思わされました。

 この1年間を通して、私はここに書き表せないほどの多くのことを学びました。それは酪農だけではなく、英語に始まり、多くの異色人種との交流、異文化交流などなど、いままでの私の考えを見直させるほどの衝撃でした。人生の宝となりました。



アメリカ国旗 <ニュージーランド野菜研修>

田中 誠司

はじめに
 海外の農業に興味があり、実際にその場に行って仕事をしてみたいと思っていました。
それと人とうまくコミュニケーションする事がこの先大切だと思い、言葉の違う人と関ってみればもっと成長できると思っていました。そして北海道国際農業交流協会の存在を学校の先生に聞き現実に行けることになりました。期間は2008年5月24日から2009年4月30日の約1年間でした。最初の滞在1ヶ月間は、英語とニュージーランドの雰囲気に慣れるために語学学校に行きました。

 学校に通っていたときは、ホームステイをしていました。おばさん一人と犬と猫の家でした。良い人だったけれど、毎晩学校の友達と遊び歩いて帰りが遅くなり、沢山怒られた!!でもすごく優しさが伝わってきてうれしかった。
それと学校ではたくさんの友達が出来たので楽しかった。僕と同じ目的で来ている人達にも出会えて気が楽になった。その学校の友達みんなで旅行にも出かけた。学校が主催するボートパーティなどもあった。
その後10ヶ月で4ヶ所北島の農家などを転々としました。

1.グレアムの農場 (7週間)

 グレアムの農場はオークランドよりバスで南へ4時間くらい行ったタウランガにある。
ここはおじさんと、おばさん2人で農家をしていました。そこに僕も混ざって3人でひとつの家に住んで暮らしました。
ここの農場は自分で食べる野菜と、豚と、果物を作っていました。
まず初日農場に到着して、農場を案内してもらっている時に豚の赤ん坊が生まれていて、案内中断。そのまま赤ちゃんを救出する仕事になりました。子豚ちゃん・・・母豚に潰されていました。救出が終わって、そのまま案内も終了していました。

 他の仕事は地面に落ちているフルーツを拾って歩いたり、豚の餌を作ったり、グレアムがチェーンソウで木を切って僕がそれを手で引っ張って行く仕事でした。でもグレアムは自分で切る分が終わったら先に家に帰ってしまいました。
ここで育てている野菜は水耕ハウスで作られていました。その水耕ハウスも自分で作ったオリジナルだそうです。

 あとダンスパーティーの手伝いに連れて行ってもらって手伝いをしました。お酒を売る手伝いでした。なれない名前のビールばかりでお客さんにいわれても最初は迷っていました。でも最後の方では半分くらいのビールの名前は覚えていました。

2.アパタ (6週間)

 ここはタウランガの少し上のカチカチと言う町でした。この町はすごく小さな町で買い物が大変でした。ここはキーウィフルーツをパックする工場でした。ここでは色々な国籍の人が働いていました。ドイツ、ベルギー、マレーシア、フィジー、日本、カナダなどから来ている人が働いていました。仕事の内容はキーウィフルーツを箱に詰めていく。ただそれだけでした。
 でも一日中ロボットのように働くのは辛かった。毎日同じ作業でした。仕事が大変と言うよりも飽きてもう嫌々やっていました。でも仕事に慣れてくると、他の仕事もさせてもらえて、フルーツを詰めたダンボールにステッカーを貼って、それをパレットにつむ仕事をさせてもらいました。

 住んでいた所はバックパッカーズという旅行者向けのホテルで、部屋やキッチン、トイレにシャワーをみんな共同で使うホテルでした。僕が寝ていた部屋は10人部屋でした。最初は不安で挙動不審な人だったと思います。その頃僕はまだ英語を全く理解していなくて全然英語では会話にならなかった。 でも僕は休憩しているとき、とっても良い奴に出会った!! ヨーロッパ人っぽい人が僕にライターを貸してほしいと、言ってきた。僕は貸してあげた。そして彼は名前とか国籍を僕に聞いてきた。僕は必死に答えて、僕は彼にも質問してみた。フランス人だった。そしたらなんとなく会話が成立していた。

 その後から僕は彼と毎日話すようになって、いつの間にか常に一緒の存在になっていた。
そして彼に会ってからホテルの人に最初ここに来たときより英語が上達したねって、確かに自分でも前よりはましになったと思った。
 それでここの仕事が終わった後1週間フランス人の友人と旅行した。とても楽しかった。気付いたらもう何でも会話できていたし。2人でいろんな事をして遊んできた。そして旅行が終わりフランス人の友人ともお別れ。別れ際に「次会うときは南島で」って約束してお別れ。
悲しいお別れの後にはオークランドで現地担当者の温かくておいしい料理が待っていた。

3.トニーとドナの農場 (4週間)

 ここはワイウク地方でオークランドの少し下のほう。この農場は花木を栽培していました。収穫した花は日本に送っていました。いつも一緒に市場まで連れて行ってもらいました。
あと豚と牛と鶏もいました。とてもやさしい動物達でした。トニーはペットだよって、言っていました。でも世話するのはドナがしていたみたい。
 
 ここの家の家族は父トニー、母ドナ、長男カート、次男ダニーの4人家族でした。
ここの家の人達はみんな明るい人ですごく楽しかった。週末にはカートの彼女が家に来て話したり、一緒にご飯を食べたりしました。たまの週末には買い物にみんなで行きました。ドナが掃除機を買ったときがあって、トニーが「なんで買ってきたの?古い掃除機を直したら使えるじゃないか。」って言っていました。でもその古い掃除機、トニーが直すって14年前からずっと言っていたらしい。やっぱりどこの親父も一緒の事を言うんですね。

 僕が働いているときにバイトで僕と同じ年の男の子が4人くらい一緒に働いていて、悪い言葉を教えたり、教わったり。笑
ここのお父さんはエアーガンが好きで沢山持っていました。僕もそういうゲームが好きだから結構話しても楽しかったです。週末にエアーガンのゲームもして楽しかったです。
バギーもあって仕事中やちょっとした足に使っていました。

4.ASWプケコヘ (6ヶ月)

 ここは農家というより大きな会社でした。にんじん、馬鈴薯、たまねぎを作っていました。どれも作っている面積が多く驚きました。従業員も200人くらい働いているみたいです。
 トラクターも数十台あってほとんどが大きいトラクターでした。住んでいた所は会社で昔使っていたパックハウスを改造した寮みたいな所に日本人3人で暮らしていました。
仕事は朝7時に始まり、基本は大体5時に終わりました。
 
 仕事内容は主にトラクターで収穫した野菜を運ぶ仕事です。作業は単純でやりやすかったです。雨の日は収穫が出来ないので、パックハウスの手伝いや、フェンスを修理したり、いろいろな仕事がありました。時には仕事がない日もあって、ダラダラすごす日もありました。
収穫が終わってからも研修生で僕だけ残りました。でも仕事がなくて毎日ダラダラ、ほとんどの仕事は除草剤を撒く仕事でした。
 働いている人達も個性が強くて、話を聞いていて楽しかったです。みんな考えにまとまりがなくて、面白い人達でした。まるで意地っ張りの集まりのようでした。



アメリカ国旗 <ニュージーランド農業研修レポート>

安藤 詠二

1. はじめに
 私は、この度北海道国際農業交流協会のお世話になり、ニュージーランド(以下NZ)で農業研修させていただきました。農業を継いでいて冬の農閑期を利用して海外で研修したいと思ったので、季節が日本とはちょうど反対のNZを選びました。5ヶ月という短い間でしたが、NZの農業を体感し得たものはとても大きかったと思います。

2.

研修期間および研修農場

(1) Wilcox(大規模野菜農場)  11.5〜3.13
(2) Tree Hugger(小規模有機農場)  3.16〜3.31

3.


研修農場の概要と研修内容について

(1) Wilcox(大規模野菜農場)
 この農場はオークランドから南に下がったところにある、プケコへという町にあります。この辺りは北島の中でも大規模な野菜の生産が盛んで、その背景には起伏が激しいNZの中で割りと平坦であること、大都市オークランドに近いこと、野菜を輸出するための港が近いことがあります。

 この農場では、玉ねぎ・じゃがいも・人参を生産するだけでなく、流通、販売、さらには輸出まで手がけています。会社の部門は、現場(生産)・輸送(トラック)・整備工場・選別工場・パックハウスなど複数に分かれています。私たち日本からの研修生は主に現場のトラクタードライバーとして働きました。

 自分が行った時には、じゃがいもと人参の収穫がすでに始まっていて、最初の1週間ほどは人参の収穫が主でした。
 人参の収穫方法はトラクター直装式のハーベスタで1畝ごとに人参を葉ごと堀り上げコンベアで送られる途中で葉や泥を落とし、併走する私たちが運転するトラクターのトレーラーで受けるというものです。トレーラーにはビンと呼ばれる木製のコンテナが3つのっかっており、それがいっぱいになるとshedと呼ばれる格納庫まで運びます。そこでリフトを使ってビンを下ろし、空のビンを載せトラクターを畑に走らせます。この作業を2台のトレーラーを使って繰り返します。

 収穫以外で一番した仕事はイリゲーションの仕事です。イリゲーションとは、潅水装置のことでじゃがいもや玉ねぎの畑に水道水や池の水をまきます。夏の降雨量の少ないNZでは畑が乾燥して作物が十分に成長できないのでこの作業をします。ただしすべての畑でできるわけではなく水道が引いてあるところや池があるところに限られます。この作業はとても手間のかかる作業でした。

 じゃがいもの収穫方法はハーベスタに、人参と同じようにトレーラーを併走させてビンにじゃがいもを受けます。ハーベスタは3台あり1畦掘りと2畦掘りの牽引式のもの、自走式の2畦掘りのものがありました。自走式のものはとても大きく作業スピードが速かったです。ただ面積の小さい畑では回るのに苦労したり、草の多い畑では詰まった草を手で取り除いたりといったことがありました。

 玉ねぎの収穫が本格的に始まったのは1月の下旬で、収穫方法は牽引式のハーベスタにトレーラーを併走させます。他の作物と違いハーベスタのスピードが速いためトレーラーを上手く合わせられず、ビンから玉ねぎを落とすこともありました。1台のハーベスタに4台程のトレーラーが付きます。1日に400ビンを収穫する日もありました。機械での収穫はあっという間ですが、収穫の前には、葉を切る作業があり、それは3、40人程のアイランダ−と呼ばれるNZ近隣の島出身の人の仕事でした。全て手作業で葉を切り、ハーベスタが入れるように玉ねぎを列にして置いていきます。この広大な玉ねぎ畑の葉を全て手作業でしていることに驚きました。
赤玉ねぎの収穫前 玉ねぎの収穫風景

トラックへの積み込み 草が多く小さい玉ねぎ

大きなトラクター 畑へ向かう途中の景色

 雨の日は、トラクターや車(会社から畑の移動に使う)の洗車をしたり、整備工場の手伝い、納屋の片付けをしたり、また選別工場でリフトに乗る仕事もしました。ほとんどがトラクターに乗る仕事だったので、他の部門の仕事は新鮮でした。

 労働時間は朝7:00に出勤し、午前と午後に15分ずつの休憩、30分ほどの昼休み、夕方6:00くらいに仕事が終わりました。遅いときは7:00や8:00の日もありました。休日は日曜日だけでしたが、クリスマスと正月にそれぞれ4日ほど休みをもらいました。

 この農場で1番苦労したのが、働いた当初は英語がわからなかったので、他の労働者との意思疎通が上手くとれなかったことで、指示されたことが簡単なことでもわからなく迷惑をかけたことです。遠い畑までトラクターを1人で走らせるということがあるので畑のある地名をしっかり覚えなければいけないということもありました。

 農場主とは少ししか話せませんでしたが、現場の従業員だけでなく、どこの部門のスタッフもフレンドリーで笑顔で接してくれました。クリスマスには会社全体でパーティをしたり、私たちが辞める前には、現場のスタッフでオークランドから船をチャーターして釣りに行ったこともあり楽しい思い出ができました。

  この大規模農場で働いて感じたことは、まず各部門が綿密に連携を取って上手く機能していたということです。畑の大きさはとてつもなく広いところもあれば、北海道でみるような区画と変わらないところもあります。大規模にやっているので管理に手が行き届いていないため、草がひどく作物の生育が良くない畑が目立ちました。玉ねぎは直播栽培のため収量が少なく日本より球が小さいものがほとんどでした。大規模にやっているから収量が少なくてもカバーできるのかと思います。
いもの収穫 にんじんの収穫

イリゲーションの様子 export pack-house にて

大型トラックの前でドライバーと 研修の最後に

(2) Tree Hugger(小規模有機農場)
 この農場は南島のクライストチャーチとダニーデンのほぼ中間にある、ティマルという町の中心地から20分ほど南に下った所の国道沿いにあります。国道沿いにあるという利点を生かして、直売所を設け野菜や果物を販売しています。30代のナーサンというオーナーと奥さんのステファンがいますが、奥さんはティマルの町に働きに出ています。他にウーファーのカナダから来た人がいました。

 仕事は主に畑の草取り、水やり、人参の種まき、いちごの収穫やランナーを移植する作業などをしました。Wilcoxの時はトラクターに乗りっぱなしだったので、手作業による細かい作業は腰が痛くなりました。農場はきれいに作物ごとに分かれていましたが、有機栽培なので草がひどく生えていました。

 直売所は清潔に保たれていて明るくお客さんが入りやすいようになっています。この農場で取れたものの他に、各地のオーガニック農家の商品(加工されたものが中心)を販売しています。ズッキーニやガーリック、人参、じゃがいも、玉ねぎ、トマト、パプリカ、いちごなど沢山の野菜がきれいに並べられていて、天井からガーリックを吊るしてあったり、店の入り口にりんごの木の鉢植えが置かれていたりと店のレイアウトには創意工夫が見られました。
ここでの仕事は朝から晩まで働くのではなく、決められた仕事を1日の中で終わらせればいいというものだったので、気楽に働くことができました。短い期間でしたが、直売所など、今後の自分の経営の参考になるものがありました。
国道から見える看板 いちご畑(草が多い)

きれいに管理された果樹園 直売所の前で

きれいな店内 たくさんある商品

4.
 
研修を終えての感想
 短いとわかっていた5ヶ月はあっという間で、1年ぐらい居たかったというのが正直な気持ちで、もう少し色々な農場を見て回りたかったという思いがあります。大規模野菜農場と小規模有機農場という相反する農場で研修しましたが、どちらも今後の自分の経営に活かせるところが見えてきました。やはり、その土地条件、自然条件にあった作物を経営にあった規模だけ作るというのが大切だと思います。

 NZは総人口約400万人で、生産した農産物をすべて国内で消費することは難しく、海外に輸出しなければなりません。生産農家数も少なく大規模な面積でコストをなるべくかけずに農産物を生産しています。反対に日本は、総人口約1億3000万人で、食料自給率41%という数字からもわかるように、食料の半分以上が海外から輸入されてきているのが実態です。日本にないものが輸入されるのではなく、同じものでも海外でコストをかけずに生産され日本の農産物より安く消費者が買えるため、大量に輸入されてきています。私の家では玉ねぎをメインに作っているのですが、Wilcoxでみた玉ねぎの品質はあまりいいものではありませんでした。こういったものが日本にも輸入されていますが、これに対抗するには、いかに品質のいいものを限られた面積でたくさんの収量を作るかだと思います。

 私は海外で生活したのは初めてで、来る前は不安もありましたが、現地担当者、Wilcoxでともに働いた北海道からの2人のおかげで、なにも困ることなく過ごすことができました。ただ研修の大半を日本人と過ごしていたため、海外にいるのに英語より日本語で会話する時間が多かったので、なかなか英語を覚えることができませんでした。これから研修に行かれる人は、行く前にできる限りの英語を身につけるのはもちろんのこと、研修中も自分から積極的に話しかけるというのが大事だと思います。一番いいのは、自分と同世代の現地の人と仲良くなることです。

 就農して間もないうちにこの研修に参加できて本当にいい経験ができたと思います。これから農業をしていく上で、固定観念にとらわれることなく広い視野で物事を判断できると思います。また、NZに来て、今後他の国にも行ってみたいと思うようになりました。
最後に、今回研修の手続きをしていただいた北海道国際農業交流協会の皆様、お世話になった現地担当者の方、本当にありがとうございました。



アメリカ国旗 <ニュージーランドの研修報告>

本山 賢憲

1. 研修目的
 私は前々から海外で生活してみたいという思いがあった。そのような時に養成課程の海外研修があり、ニュージーランドに行き、その思いが強くなった。また、日本とは違う農業を体験したいという思いからニュージーランド研修へ色々な意味での視野を拡大させるために行ってきた。

2.

ニュージーランドの概要

 ニュージーランドの国土は日本の約4分の3であり、本州と九州を合わせた面積に一致する。首都はウェリントン。人口は約400万人。民族別構成比率は欧州系で307万人(73%)、次いでマオリ系で58万人(14%)、アジア系の27万人(6%)、その他26万人(7%)となっている。
 ニュージーランドは温帯に位置している。気候は変化に富んでいるが、寒暖の格差が日本ほど激しくない。年間の平均気温は北島で15℃、南島で10℃である。2月が最も暖かく、7月が一番寒い時期である。年間降雨量はオークランドで1,191mm、クライストチャーチで675mmである。

3.


ニュージーランドの農業

 ニュージーランドの農業人口は33万人であり、12人に1人が農業をしている事になる。酪農業や果樹の栽培が盛んである。ニュージーランドの農業は輸出で支えられていると言われるほど輸出に力を入れている。日本は輸出相手国の上位にランクインしている。そのため、生産される農産物も日本の用途やニーズに合ったモノづくりが行われている。
 
 しかし近年、日本の景気低迷を受け、日本以外の市場に向けた輸出に力を入れている。
ニュージーランドのイメージである「クリーン・アンド・グリーン」を誇りとし、それを傷つけないという意識が強い。従って、生産者は可能な限り農薬の使用を控え、安全な食品「セーフ・フーズ」作りに取り組んでいる。

4.

研修場所・期間

(1) グレアム農場(タウランガ) 2008年10月3日〜10日
(2) ウィルコックス(プケコヘ) 2008年10月12日〜2009年3月10日
(3) エコ・オーガニック(クメウ) 2009年3月11日〜30日

5.
 
研修内容
(1) グレアム農場
 ニュージーランド研修1つ目の実習先はタウランガの町から車で30分位の所にある老夫婦2人の農場であった。小規模ながら多くの果樹・野菜を栽培していた。野菜は全て水耕栽培で、専用のパイプを使用しており、常に水が循環する仕組みになっていた。
 労働力は基本的に経営主のみだが農繁期になると私のような研修生を雇っている。奥さんは近くのナーサリーで働いており、農業経営には関与していなかった。
 経営主の趣味は柔道であり、柔道の大会などで日本を訪れる事もあるという。無理することなく趣味を大事にしながら農業をやっているように感じた。
子豚たち 水耕栽培の野菜

梨の樹 Graeme、Annと共に

(2) ウィルコックス
 2つ目の実習は大規模に経営を行っている会社だった。ウィルコックスは私が行ったプケコヘ地区の他に3つの支所から成り立っている。生産、販売、輸出を行っており、完全な分業スタイルをとっていた。畑の手作業を行うパートを社員の他に雇っていた。
 私の仕事は基本的に収穫した玉ねぎ、馬鈴薯、人参をトラクターで牽引するトレーラーで受け、運搬する仕事であった。選別する工場を備えているため、収穫スピードは速く、収穫する際の選別も手荒なものであった。

 私は1度海外の大規模経営を見たいという思いがあった。今回は研修生という客観的な立場で仕事に携わり、見たり感じたりすることができた。そこで感じた事は、それぞれの部門のプロがいて初めて大規模経営というものが成り立つこと。その一方で組織化された経営の中に生産する上での大事な気持ちがないように感じた。しかし、それはニュージーランドの流通環境において品質の高いものは求められてなく、私が品質基準の厳しい日本で育った事による価値観の相違がそう感じさせたのだと思った。改めて日本の素晴らしさに気付かされた。
 ウィルコックスでは車が借りられ、休日になると遠出や、色々な観光に行くことができ、行動の幅が広がり、とても充実した日々を過ごす事ができた。
玉ねぎの収穫風景 収穫された玉ねぎ

現場スタッフと共に 馬鈴薯収穫風景

収穫物の積み下ろし 300馬力のトラクター


(3) エコ・オーガニック
 最後の実習先は有機農家であった。クメウという街はオークランドから近く、昔は果樹の町として有名だったという。この農家では数多くの野菜を少しずつ栽培しており、ネットや直売所で販売をしていた。週に2度、ネットで注文を受けた商品を箱に詰め、消費者へ届けている。商品にバリエーションを出す為に他の生産者から農産物を仕入れたり、加工品の仕入れもしていた。
 労働力は基本的に経営主と私のような研修生だが、パッキングをする週に2回はパートが来る。奥さんは実家の肉牛農家で働いている。期間限定商品として奥さんの実家の牛肉もネット販売のメニューに加わる。

 私がやっていた仕事は主に除草で、肉体的に有機農業の現状を知ることができた。しかし、スケジュールに追われることなく、自分のペースで仕事をすることができ充実した気分になった。また、研修の最後の方の休日にボートの旅に連れて行ってもらいましたが、船の上でお酒を飲みながら夕日を見て宿泊し、今まで経験したことがなかったので貴重な体験ができたと思います。私たちの他にも沢山の人が海の上で宿泊していました。ボートを持つ事が趣味の一環としてなっているのだなと感じました。
 直売所やネット販売などは、自ら生産されたモノが消費者の口に直接入る売り方なので安全面は自己責任になる。長年安全なモノを提供し続けることで安心感となり、信頼となり、信頼がブランドとなる事を学んだ研修であった
箱詰めされた野菜 オーガニックビーフ

有機圃場 船の旅

船から見た夕焼け Des、Aileenと共に

6.

私生活について

 ニュージーランドの私生活において、私が一番印象に残っているのはウィルコックスでの生活でした。研修期間が一番長かった事と寮生活で田中誠司君と安藤詠二君という将来の北海道農業を盛り上げていく同じ目標を持っている仲間に出会えたからだと思います。そんなウィルコックスでの私生活を紹介します。
 誠司君とはウィルコックスの研修が始まってから一緒でした。しかし、誠司君は半年間のニュージーランド生活を終えていて私よりも英語に関しての知識は豊富だったので色々な場面で助けられました。家事の方は分担制で行い、私が洗い物と昼飯を作り、誠司君が夜ごはん担当でした。仕事の日は帰りが遅い時もあったので大変でした。今まで一人暮らしはした事がなく大変さがわかりました。休日には近くの海に行ったり、オークランドの街に行ったついでに現地担当者の所に行ったりしていました。何だかんだして1カ月が経ち、詠二君が来ました。

 詠二君が来た頃からウィルコックスでは馬鈴薯の収穫が始まり、段々と忙しくなってきました。なかなか纏まった休みがなく、遠出はできませんでしたが年末と年明けに4日ずつの纏まった休みがあり、最初の休みは詠二君と北島1周を計画し、目的地はニュープリマス、ウェリントン、ネイピア、タウポ、ロトルアに定め、旅に行ってきました。年明けの連休には3人でケープ・レインガを目指し旅に出ました。2つの旅は日にちが短く忙しいものになりましたが、貴重な体験ができたと思います。
 ウィルコックスの研修が始まった当初は、ニュージーランドまで来て日本人同士で住むのは英語の上達を妨げるのでおかしいと思いました。しかし、それは間違った考えでした。英語は上達しなかったけれど、仲間がいなければ楽しい生活を送る事ができなかったし、ここまで心に残る思い出はできなかったと思います。とても楽しい生活でした。
タラナキ ニュープリマスの夕日

ウッドビルの巨大風車 タウポのフカホール

国会議事堂 みんなと一緒に

7.

感想
 ニュージーランドは有機栽培や減農薬栽培が盛んに行われているイメージがあった。現に殆んどの作物が日本より少ない農薬で栽培されていた。私は天候や消費者の価値観など様々な環境が有機栽培や減農薬栽培を可能、又はやりやすくしていると感じた。その栽培された農産物をスーパーなどで見ると、日本では流通不可能なものが度々見られた。しかし、消費者は普通に買い物をしており、同じ人間でも違うのだなと感じた。日本は規格基準の厳しさが世界トップクラスであり、規格外品は安価で加工品として取り扱われ、生産者にとっては厳しい現実である。天候についても夏場には気温、湿度が上がり著しく病害虫が発生し、有機栽培や減農薬栽培を行っている農家はダメージを受ける。日本の規格基準の高さは世界に誇るものですが、その規格基準の高さが消費者目線を厳しくしたのだと私は考えます。ニュージーランドのように多少形が悪くても食べてくれる消費者がいるのであれば、日本でも有機栽培や減農薬栽培が増えてくるのではないかと思います。

 今回、ニュージーランドで生活して共通して感じたことがあります。それは、休日を大事にしている事と趣味に賭ける金額が半端ない事です。凄い活き活きしているというか、良い意味で大人でも子供のような気持ちを持っているように感じた。日本の農家の人達を見ていると趣味を持っているのかなって思うことがあったので、こういう生き方もありだなと思った。自分の人生の中での重点の定め方で生き方は変わってくると思う。仕事に生きるも良し、遊びに生きるのも良し。自分の人生自分の生きたいように生きるのが大事だと思った。自分はまだビジョンが定まっていないけれど今は自分の好きな農業を究めたいと改めて思った。それからでも、のんびり生活するには十分かなと思います。

 私はニュージーランドの生活が始まって間もないころ「知らずのうちにたくさんの人に支えられ元気を貰い生きているのだな」と今まで当たり前だと思っていた事やモノが無くなった途端に思いました。その不安な気持ちから学んだ事は自分の周りや自分の中で当たり前に思っていることが実は一番大切で一番感謝しなくちゃいけないのだなと思います。これはニュージーランドにいる時、そして今も日々思うことです。

 私は今回、「色々な意味での視野拡大」というテーマで行ってきたが、人種も違えば考え方も違う。何もかもが新鮮で有意義な研修だった。農業の技術は勿論、これから生きていく上で大切な考え方を学んだ。誰もが行ける研修ではないので貴重な体験ができ、幸せに思う。この研修が充実したのも沢山の人の間接的、直接的な支えがあったからだと思う。このような機会を持たせてくれた親には感謝したい。ありがとうございます。

8.

最後に

 今回の研修において北海道国際農業交流協会の皆さんをはじめ、サポートしてくれた方々、母親のように接してくれた現地担当者に深くお礼申し上げます。
 私はニュージーランド研修で学んだ事を糧とし更に視野を広げ、地域農業や北海道農業、更には日本農業を盛り上げていきたいと思います。本当にありがとうございました。



アメリカ国旗 <ニュージーランド農業研修報告書>

延與 猛

はじめに
 小さい頃から農業を通じて海外で働いてみたいと思っていました。
そんな折、インターネットで北海道国際農業交流協会のホームーページを拝見しました。まだ大学に在学中でしたが、こんなチャンスは二度とないと思い今回の研修に至りました。
 一年間生活し酪農や畑作を学びニュージーランドの人々や風土に触れ、日本に帰ってきた今、ニュージーランドという国に行って本当によかったと実感しています。

語学研修(2008年4月7日〜5月2日)
 ホームステイ

 初めての海外で不安だらけの中、現地担当者との軽い説明会も終わり早々にホームステイ先に行きました。英会話が全くできない状態で、始めはとてもコミュニケーションに苦労したのを覚えています。そんな中ホームステイファミリーの方々が温かく接してくれたので、ボディーランゲージを交えながら少しずつ英語を覚えていくことができたと思います。今まで英語でのコミュニケーションをしたことがなかった僕にとって、それはテレビの中でしか見たことがない、とてもエキサイティングなものでした。

 不安だった食事も想像していたよりもずっとおいしかったです。ただ、パンと芋が主流の献立なので、お米好きの私は慣れるまで少し時間がかかりました。
 休日は、同じホームステイメイトのブラジル人とその友達と一緒に旅行に行ったりしました。まだニュージーランドに来て1週間目の時に行ったので、言葉の壁にぶつかり歯がゆい思いもしましたが、とても良い経験になりました。
 こういう機会があれば失敗してもどんどん参加していった方が自分にとってプラスになると思い、その後もできることは全てチャレンジするようにしました。

 語学学校

 学校では、レベルごと分けられ8段階あるうちの下から2番目のレベルのクラスに入りました。クラスメイトは、アジア人とサウジアラビアの人がほとんどでした。上のレベルになると欧州の人が多くなります。私は、英語が話せないで来たのでそこまで他の国の人とは話せませんでした。日本でしっかり勉強しておけばまた違う学校ライフができたかと思うと、少し後悔しています。

 授業は、この一か月で英語のレベルが格段に上がるわけではなかったですが、英会話の基礎的なことを学び後々すごく役に立ちました。
 また、ここで知り合った友達は私が一年間ニュージーランドで生活していく上でとても大事な存在になり、彼らのおかげで一年間挫けずに頑張れたと思います。
 
1. Eco-Organic Farm(2008年5月3日〜6月8日)
 農場の概要
 ここはオークランドから車で40分ほどの場所で有機農家を営んでいます。酪農農場に行く前に一ヶ月間時間があったので、働かせてもらいました。
ここでは、ボスのデスと妻のアイリーン、パートのロバンの三人が働いていました。
少し大きめな畑に多品目の野菜・果実を育てており、基本的にインターネットショップによる宅配サービスを週二回と自分のガレージを使ったショップを週1回開いて野菜の販売を行っていました。たまに自分のトラックを使ってオークランドに直接宅配することもありました。
 生産している品種は、シルバービート、ケール、かぼちゃ、いちご、キーウィーフルーツ、りんご、フィジョア、ねぎなど季節ごとに20品目近くの野菜や果実を栽培していました。

 研修内容
 私が行った時期が丁度秋口だったのと、ボスが重度の腰痛を患っており重いものが持てないということもあり、ずっと置きっぱなしになっていた収穫道具の撤去やビニールの撤去など、重労働が最初の仕事になりました。その仕事が終わると、野菜の収穫や除草が主になっていきました。ここは無給ということもあり怒られることもなく、比較的自分のペースで仕事ができるので、働きやすく最初の仕事としては最高だったと思います。

 農場での生活
 ボスやアイリーンもとても優しく、一人暮らしで食料は自由に頂けたので、とても快適な生活を送ることできました。また休日はヨットのレースに連れて行ってもらったり、一緒にビリヤードをしたりしました。ここは、森があり鳥も多く時間がすごくゆっくり流れている気がしました。
 
2.イネス牧場(2008年6月9日〜10月3日)
 農場の概要
 オークランドから車で1時間半くらいの場所にあるマタマタという町の酪農家で働くことになりました。大ボスのイネス、妻のマンディが二つの牧場を持っており、私は彼らとは違う牧場で働くことになりました。そこで、イネスにもう一つの牧場を任されているデリックとアルゼンチン人労働者のナチョと一緒に働きました。デリックは私と同じ年齢にもかかわらず、とてもしっかりしていて頼もしい存在でした。ナチョは3つ年上の先輩で酪農の経験もあり、いつもかわいがってもらっていました。

 この牧場は300頭前後の搾乳牛を養っており、ニュージーランドでは中堅クラスの大きさです。それは日本でも変わらないと思うのですが、牛の養い方が違います。ニュージーランドの酪農の特徴として、一年を通して牛を放牧しています。北島では気候が暖かく冬でもマイナス3度ぐらいまでしか冷え込まないので雪も降りません。牧草に霜は張りますが草は一年中食べられる状態になっています。また、放牧だと牛が病気にもかかりづらく乳房炎の数も少なく感じ、牛が活き活きと生活していました。

 300頭規模の牧場でも働いている人数は2人か3人で牧場を回しています。日本だと最低でもその倍の人手が必要だと思います。この国の環境だからできることですが、牛本来の生活ということと、コスト削減について考えさせられることが沢山ありました。
 分娩期に生まれた子牛のうちオス牛や必要以上に生まれたメス牛については、すべて生れてすぐに処分されます。日本では考えられないことだと思いました。
 パドックは全部で40近くあり、その時の牧草の状況に応じて牛を移動させていました。また、パドックの中でも頭数や牛の大きさに合わせ電線でフェンスをはり、パドックをより細かく区切ることで牧草の食べさせ方を調整していました。

 研修内容
 始めのころはまだ乾乳期で、基本的な仕事は牛の移動とパドックのフェンス直し、牛舎の清掃など分娩期に入る前の準備をするだけで、時間も早く終わり2週間ほど気楽に仕事をしていました。分娩期になると多い時では一日に15頭ぐらい生まれることもあり、とても忙しい毎日になりました。
 酪農の経験もあまりなく、始めはわからないことだらけで迷惑をかけていましたが、デリックやナチョの助けもあり、酪農についてたくさん学ばせてもらいました。

 農場での生活
 住まいは社宅のような所を貸してもらい、私とナチョと大ボスの息子のベンジーの3人で暮らしていました。初めての共同生活ということもあり、言葉の壁もありましたがパーティーなどをしながら楽しく生活できました。また、食事当番を作り、みんなで交互にご飯を作り、異文化交流もしっかりできて良い経験になりました。
 休日は、車を借りることもできたので牧場の近くにある滝を登ったり、スキーに行って楽しみました。
 
3. ニック農場(2008年10月7日〜12月15日)
 農場の概要
 ここの牧場はオークランドから長距離バスで3時間ぐらいの所にある、オトロハンガという町にあります。大ボスのニック、ニックの息子のジーンとその彼女のナターシャと一緒に暮らしました。牧場はほとんど息子のジーンに任せており、たまにニックが仕事を手伝ってくれました。牧場はとても起伏に富んだ地形で、牛を集めるのにいつも苦労しました。でも丘の上から見える景色がきれいで、仕事が辛くてもその風景を見るたび何度も心を癒されました。
 牧場はほとんど前の牧場と同規模でしたが、他にもデントコーン畑を持っており、ジーンは休む暇もなく働いていました。
 また、ここでは新しい搾乳牛舎を作っていて、完成までは見られなかったのですが牛舎のできていく過程も見ることができました。

 研修内容
 始めの頃はまだ分娩の牛が残っており、搾乳と生まれた子牛を集めるのが仕事でした。その後すぐに人工授精での種付けが始まりました。背中にペイントをつけ、発情した牛がいるとそのペイントが消え、人工授精師に来てもらい受精を行いました。一回で受精できなかった牛は二回同じ作業を繰り返します。それでもできなかった牛はパドックに雄牛を放ち、一ヶ月間ぐらい放置して全ての牛に種付けをしました。
 日中は雑草の駆除が主な仕事でした。10キロのタンクを背負い、傾斜のある丘を歩きながら一つ一つの雑草を駆除していく作業は、一人だったので気楽にできましたが大変な作業でした。
 ここでは、仕事の最中に怒られることもしばしばあり、それも私にとっては貴重な経験になりました。

 農場での生活
 小さい小屋を貸してもらい一人暮らしをしました。ニックが毎日ご飯を作ってくれ、ニュージーランドの男の料理を堪能して来ました。また、たまにジーンが食事に誘ってくれることもあり、日本のことやニュージーランドの農業や生活について色々語りあいました。
 休日はオークランドに遊びに行ったり、他の研修生と北島を車で回ったりもしました。
また研修中に足の古傷をこじらせて、途中でここでの研修をリタイヤしたのは私にとってとても辛く、悔しい思いもしました。
 
4. ヨハン農場(2009年1月11日〜3月5日)
 農業の概要
 ここはオークランドから4時間ぐらいの所にあるケリケリという町で、私が最後に働いた農場です。ヨハンと妻のソニアと私の3人で働いていました。ヨハンはとても陽気な方で、いつも笑顔で冗談などを交えながら接してくれました。
 この農場ではズッキーニ、カボチャ、スイートコーン、玉ねぎなど20種類ぐらいの野菜を栽培していました。収穫した野菜は自分達の持っている直売店と週に1回開かれる町の野菜市でほとんどをさばいていました。

 研修内容
 私がここに来た時はちょうどスイートコーンの収穫時期で、朝一で他の野菜を収穫した後、スイートコーンの収穫とパック詰めをしました。収穫方法は大きいコンテナを機械で畑に持って行き、肩から収穫袋をぶら下げ、傾斜のある坂を歩きながら手で収穫していきます。多い時では、一日に1000キロ以上のスイートコーンを一人で収穫し、パック詰めにしていきました。真夏で日も強く、始めのうちは毎日筋肉痛になるぐらいきつい仕事でした。
 この頃になると英語もだいぶ話せるようになり、直売店の方も一人で任されることもありました。英語でお客様を相手に接客するのは思った以上に大変でしたが、英語も上手くなりましたし、とても良い経験をさせてもらいました。
 最後の頃は、使わなくなったビニールハウスの撤去や夏に収穫した野菜の後片付けが主な仕事になりました。

 農場での生活
 ここでは、違う職場で働いているタイ人の方と二人で暮らしました。自炊をしましたが、野菜も頂けたし車も貸してもらえたので、悠々自適な生活ができました。
休日にはヨハンに北島で二番目に大きな農業機具の市場に連れて行ってもらったり、車に乗って町のバーにも行きました。

最後に
 私は今回海外に行くにあたり農業のことはもちろん、それ以外の経験を沢山してみたいと思いました。今まで見たこともない物や食べたことのない食べ物、風土や文化の違いなどです。そして一年間過ごした今、それは私の予想以上に驚くことばかりでした。
これらは私がこれから過ごしていく人生の中でとても大きな経験や自信になると思います。
 このような体験をさせて頂いた北海道国際農業交流協会の皆様、本当にありがとうございました。そして現地で面倒を見てくれた現地担当者の方、一年間私を支えてくれた全ての人に感謝します。

 余談

 現地担当者に連れて行ってもらったパーティーでニュージーランドの首相に会いました。
すごいオーラのある方で、私もいつかこんな人になりたいと思いました。
(中央の男性が現ニュージーランド首相 ジョン・キー氏)
 また、趣味のビリヤードを通して大会に出場し、大勢の人と友達になれたのはとてもいい思い出になりました。優勝もできました。 



アメリカ国旗 <ニュージーラン農業研修報告書>

田宮 拓郎

研修農場1
<名前>
ウィリアム・トムズ

<場所>
ピオピオ

<研修期間>
2008年6月9日〜7月22日

<概要>
・羊・肉牛農家
・飼養頭数:雄羊20、雌羊800、若羊370、子羊1300、牛およそ100

<作業内容>
ハウスワーク、薪割り、家畜の移動、フェンスの修理

<労働時間>
 基本的には朝8時ごろから夕方6時ごろまで。午前午後ともに15分くらいの中休みがあり、昼休憩はおよそ1時間。家畜の出荷などの日は、朝5時くらいから仕事に出ることもある。休日はないが、毎週末は家畜市場へ行ったり教会へ行ったりしている。

<ライフスタイル>
 研修時期が冬場であったこともあり、あまり忙しく働いてはいなかった。
市場や教会へ行き知人と話すことを楽しみとし、ホリデイはほとんど取っていないよう。
電化製品や車、家などにあまりお金をかけず古いものを使っていた。
羊の群れ 羊の移動

羊の毛刈り 家畜市場
 
研修農場2
<名前>
ジョン & カロライン・デイビッドソン

<場所>
テ・クイティ

<研修期間>
2008/09/12〜2008/10/28

<概要>
・羊・肉牛農家
・飼養頭数:雄羊?、雌羊700、子羊900
 雄牛3、雌牛100、去勢牛60、預かっている牛70
・所有面積:450ha

<作業内容>
 ハウスワーク、ガーデニング、ミルクやり、トラクタを使ったえさやり、除草剤の散布、家畜の移動、家畜の解体、フェンスの修理、シープワーク(投薬、尾の切除、毛刈りの手伝いなど)

<労働時間>
 基本的には朝7時ごろから夕方6時ごろまで。午前午後ともに15分くらいの中休みがあり、昼休憩はおよそ1時間。休日はなし。

<ライフスタイル>
 忙しい時期であったこともあるが、おじさんは毎日朝から晩まで忙しく働く人だった。
おばさんも週4日は街に出て働いており、そのお金で年に一度夫婦でホリデイに行っている。おじさんが一人で管理するには、土地面積も広すぎるし飼養頭数も多いと感じた。そのため常に仕事に追われている感じで、のんびりとしたライフスタイルのNZの農家のイメージとは違う印象を受けた。
牧場の風景 家畜の解体

子羊のミルクやり 受け入れ先の夫婦
 
研修農場3
<名前>
トニー・ゲイン

<場所>
ストラットフォード

<研修期間>
2008/10/28〜2008/12/02

<概要>
・羊・肉牛農家
・飼養頭数:雄羊25、雌羊2200、若羊650、子羊2200
 雄牛360、雌牛60、未経産牛60、預かっている牛120
・所有面積:431ha

<作業内容>
 ハウスワーク、家畜の移動、芝刈り、ブルドーザーの修理、除草剤の散布、側溝の掃除、チェーンソーでの薪作り、シープワーク(投薬、尾の切断、毛刈りの手伝いなど)

<労働時間>
 基本的には朝9時ごろから夕方6時ごろ。午前午後ともに30分くらいの中休みがあり、休憩はおよそ1時間。毎週日曜日は休日。

<ライフスタイル>
 一日の労働時間も短く、週末は街に友達とご飯を食べに行くなどゆったりとしたライフスタイルを送っていた。兄弟で経営をしていたが、役割分担もしっかりされており、のんびりとしたライフスタイルで上手に経営していると思った。
チェーンソーでの薪作り 牧場の風景

飛行機を使った肥料散布 公道を使った羊の移動
            
研修農場4
<名前>
ケン・ミラー

<場所>
ハブロック・ノース

<研修期間>
2009/02/02〜2009/02/17

<概要>
・羊・肉牛農家
・飼養頭数:羊?
 雄牛4、雌牛150、去勢牛100
・所有面積:590ha

<作業内容>
ハウスワーク、ペンキ塗り、芝刈り、畑おこし、毛刈りの手伝い

<労働時間>
 基本的には朝8時30分ごろから昼1時ごろまで。忙しい日は午後もある。休憩はほとんどなし。休日は2週間以上滞在すれば、週一でもらえる。

<ライフスタイル>
 仕事に追われている感じもなくのんびりとしたライフスタイルであった。パートナーのおばさんも週4くらいで街に働きに出ており、おじさんが家事の手伝いをしたりもしていて仕事に余裕がある感じが見受けられた。
羊毛の梱包 梱包された羊毛

牧場の風景 宿泊施設
 
<NZの畜産農業について>
[ 経営 ]
 放牧をしているため飼料に関してはかなりLow costではあるが、その分面積が広いため肥料代や燃料代、除草剤などのコストが予想以上にかかっていることがわかった。
 飼料価格と同様に肥料価格や石油価格が高騰している現状では、NZの畜産農家もかなり厳しい経営状況にあることがわかった。

[ 飼養管理 ]
 給餌に関しては、飼料を与える手間がほとんどかからない分かなり楽なものだと考えていたが、実際にはほぼ毎日のようにパドックの区分けや家畜の移動が必要で、飼料給与に予想以上の手間と労力がかかることがわかった。
 冬場は牧草の成長が悪くなるのでそれを補うためにロール乾草やロールサイレージを与えているが、牧場が広く勾配が激しいためにこれらの単純な作業にもかなりの時間を費やしていた。

[ 家畜管理 ]
 飼養頭数が多く牧場面積も広いため、毛刈り、去勢、尾の切除、投薬など、すべての作業に手間と労力がかかる。

[ 放牧地の管理 ]
 家畜の飼養頭数が多く、牛だけでなく羊やヤギなども管理しているため、フェンスの修繕や補修作業がかなり多い。除草剤の散布には相当な手間と労力を費やす。

<研修の成果>
 この研修で、外国の農業のやり方や経営状況などをわずかながら知ることができた。そして自分の家とは全く違う牛の育て方を見ることができた。それから日本以外の国でも、家畜の市場価格の変動が激しいことや、肥料価格や飼料価格、燃料代が上昇していることがわかった。中でも一番の成果は、NZの農家の人に日本の農業の事や実家の経営についての話を聞かれて、自分の農業に対しての知識のなさに気づけたことだと思う。
 これから日本の農業を客観的に見て検討し、日本の農業の良いところや課題を見つけて少しでも改善していけたらと思う。

<後輩へのアドバイス>
 これから勉強しに行く人は、できるだけ日本の農業に対する知識をつけてから行くとさらにいい勉強ができると思う。実家が農家なら、せめて実家の経営の仕方についてなどは知っておくといいと思う。英語で新しい知識を勉強することは難しいし、知識があるほうが向こうの人もいろいろ詳しく教えてくれるのでいろんな知識が身に着くと思う。 



アメリカ国旗 <ニュージーランド農業研修を振り返って>

木戸 重範

 農業研修に行った目的は農業体験と語学力の向上です。私は非農家ですが、もともと農業に関心があり、大学で園芸学(野菜と果樹)を専攻しています。就農する可能性を考え、大学での勉強だけでなく、実際の農家生活の体験もしてみたいと日ごろから思っていました。また今後の日本の農業や食品事情を考えると、それらに精通し、かつ英語の話せる人材が必要になるだろうと思い、同時に、英語をしゃべれるようになって世界を旅行したいとの単純な欲求から、ニュージーランド農業研修を試みました。以下、私の研修した内容をありのままに書こうと思います。

1件目 J & S produce farm
<家族>ヨハン・ラーン(オランダ人)、ソニア(タイ人の奥さん)
<場所>ケリケリ
<期間>2008.4.4〜2008.7.10,2008.12.4〜2009.1.11
<品目>
秋季:ズッキーニ
春季:トウモロコシ、ズッキーニ、マオリポテト、ポテト、サツマイモ、ナス、ピーマン、バジル、タイバジル、豆類、シャロット、スイカ、カボチャ、キャベツ、ブロッコリー、 カリフラワー、キュウリ類、レモングラス、コリアンダー

<農場の概要>
●1回目の訪問時
 ニュージーランドへ来て最初の農家です。と同時に2回訪れた農家でもあります。農業って大変!!ということを思い知らされました。ここではズッキーニの収穫がメインの仕事でした。ズッキーニは肥大が早く、一日でも放置すれば大きくなりすぎて規格外になってしまうため、雨の日も風の日も毎日収穫でした。収穫量の多い日は日の出から日の入りまで作業しました。収穫バケツを片手に、かがみながらズッキーニを収穫していく作業は、すぐに腰が痛くなります。最初の1週間は特に腰痛がひどかったです。非農家である私が、農業に毎日携わるというのは、今までになかったので、「これが農家生活か」と、大変さを思い知らされました。私の作業は大体夕方の5時か、遅くとも6時に終わっていましたが、その後ソニアさんとヨハンさんは、収穫したズッキーニのパッキングを行っていました。底なしの体力と根性に頭が上がりませんでした。また5時で音を上げていた自分が情けなくなりました。

 私が訪れた農場の中では、この農場は唯一アルバイト代を支払っていただける所でした。その代わりに自炊しなければなりませんでしたが、20数年間日本食で育って来た私としては、和食を作って食べられるという点では好都合でした。当然食費は自分で払わなければなりませんが、お金はその後のニュージーランド生活に不自由ないくらいに貯まりました。

●2回目の訪問時
 2回目に訪れた時は前回と違い、多種多様な野菜を生産していました。そのため、作業内容は「今から2時間でポテトの掘り起こし!その後ズッキーニの収穫!次にキャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの移植!最後に豆類の収穫!」というように毎時間と言える程、コロコロ変わりました。忙しくも多様な作業を体験させてもらいました。

 また農作業だけでなく、直売所の店員もしました。ヨハンさんは農場を2つ持っており(以前は3つでしたが、そのうちのカイタイアの農場は売りました)、一つが自宅兼農場で、もう一つはケリケリの近郊にあります。この農場に直売所を設けており、ここで店員の業務をさせていただきました。交通量が多い国道に面していることもあって、9時もしくは10時オープンから5分おきに来客のある、繁盛しているお店です。基本的には一人で店員をするのですが、商品があまりの勢いで売れて行くので、接客の傍ら、商品の補充、補充で、非常に忙しかったです。昼ごはんすら食べられない状況も何度かありました。様々なお客さんと交流を持てたからです。「今日は暑いねぇ」という何気ない会話から、「今からビーチに行ってバーベキューするんだ」「じゃトウモロコシがいいよ。朝取ったばかりだから、最高だよ」と売り込むこともありました。熱心なお客さんは、「どうやって栽培したの?」「農薬は使っているの?」「いつ収穫した野菜なの?」と尋ねてきます。それらに答えるのは大変でしたが、英語の練習にもなりましたし、多くの方と農作物について話す貴重な体験を得ることが出来ました。一般の方の食品への関心が高いことも分かりました。
 
 なお、ヨハンは直売所だけでなく、毎週日曜に開催されるマーケットにも店を出しています。このマーケットはケリケリの中心部の駐車場の一角で開かれ、野菜や果物、ワイン、クラフトなどを販売するお店が出されています。地元客から観光客まで多くの方が来ており、大変活気のあるマーケットなのですが、ここでも直売所同様、販売員の体験をさせていただきました。収益は教えてくれませんでしたが、物が飛ぶように売れていたので、かなり儲かっていたものと思います。
 
 現在、日本でも地産地消が強く振興され、直売所がニュースで取り上げられる機会が多くなっていますが、直売所はただ商品を売り買いするだけの場所ではなく、農村部の人と都市部の人が交流する場として活躍する貴重な場所でもあると実感しました。

<生活>
 この農場で最も嬉しかったのは、「私の子供」と言われたことです。直売所でソニアさんと2人で野菜の販売をしていた時のことですが、その日はたくさんのお客さんが来店して、とても忙しい日でした。夕方に近づくにつれ、店が徐々に落ち着いてきた頃、店にあるお客さんがやってきました。しばらく商品を選び、その後レジにやってきたのですが、その折に、私とソニアさんを見て、「親子?」と尋ねてきました。ソニアさんはタイ人なので、アジア系の顔で間違ったのかもしれません。「いやいや、ワーカーだよ。」と言うのかと思っていたのですが、ソニアさんは「そうだよ、私の子供だよ」と言ってくれました。冗談と分かっていても、この言葉ほど嬉しい言葉はありませんでした。失敗ばかりで、仕事も遅く、迷惑をかけていた私でしたが、すごくかわいがってもらったと思います。この家族と信頼関係を結べたことが、ニュージーランド生活一番の財産となっています。この農場に来てよかったと思える出来事でした。
ズッキーニ畑の様子 日曜のマーケットで野菜を売っているところ

ホストファミリーと いたずら好きの3兄弟、たまに畑を荒らす
 
2件目 Care Taker Farm
<家族>オードリー、ドロシー、タマラ、トーマス
<場所>ワークワース
<期間>2008.7.12〜2008.7.26
<作業>コンポスト作り、除草、鶏・豚・犬の世話、薪割り

<農場の概要>
 ウーフの一つで、パーマカルチャーを実践しています。パーマカルチャーについての説明はhttp://www.pccj.net/まで。オードリーさんは自宅でこれを実践しながら、同時にオークランド大学で法学の講師をしています。理想はパーマカルチャーだけで暮らすことだそうです。ウーファー(研修生)をたくさん受け入れている農家で、私が行った時はドイツ人1人、フランス人2人、イギリス人2人、日本人1人がいました。

 この農場の特徴は物質の循環を考えていること。その流れの中に人間と動物と植物を組み込むことを考えて生活しています。山を一つ持っていて、そこにはガーリック畑、ハーブ畑、果樹園、ニワトリ小屋、ブタ小屋、コンポストエリアなどがあります。ニワトリは小屋でも飼っていますが、いくらかは外で放ち、栽培しているハーブや野菜につく虫を食べさせています。自然の鳥や七面鳥もやってきては、同じように虫を食べさせています。そして糞を堆肥として利用します。家の中にコンポストトイレがあり、貯まったし尿は最終的にウッドチップや鶏ふん、食物残渣と混ぜてコンポストにしています。ウッドチップは山の木を切り出して作ったものです。山の木は薪としても利用しています。薪は家の暖炉で使われ、灰は肥料として用います。これらの肥料から作った野菜やハーブを食べては、再びコンポストとなり、余った食物残渣は動物の餌やコンポストの材料となります。このように植物と動物と人をつなげて、その環の中で生活しています。

<生活>
 多くの外国人と共に生活するとのことで、楽しみにしていたのですが、この時点ではまだ英語がきちんと聞き取れず、なかなか話に加われないで、つらい思いをしました。
 でもパーマカルチャーの考えを学べたのは、貴重な経験だったと思います。その後、有機農業に関心を強く持ち出すようになったのは、この農場がきっかけでした。2週間しか滞在しませんでしたが、もう一度行きたいと思える農家でした。
ニワトリ小屋 コンポストトイレ
 
3件目
<家族>グレアム、アン(奥さん)
<場所>タウランガ
<期間>2008.7.26〜2008.9.13
<品目>トマト、葉物の水耕栽培、豚、果樹、自家消費の有機野菜、
<作業>トマトの収穫、脇芽取り、誘引、ハウスの掃除、豚の世話、翌年度の野菜の播種

<農家の概要>
 この農家ではトマトを商業的に水耕栽培しています。水耕栽培とは土を使わず、養分の溶けた養液だけで栽培する方式です。一般的にはトマト苗の固定のために、ロックウールなどの固定層を使いますが、この農場は使っていません。苗の根を流水中に浸しているだけです。ロックウールの廃棄処分がなく、環境に優しい方法でした。また農薬の使用量を出来るだけ減らそうと、温室内を清潔に保ち、天敵昆虫を導入していました。この昆虫はコナジラミに対して天敵となる昆虫でEncarsia formosaと言います。

 トマトの栽培とともに、豚の飼育もしています。家庭での消費が主な目的ですので、2、3頭の親豚と、10匹前後の子豚を飼育しています。子豚は後のオークションで売りに出されていました。特徴的だったのが飼料です。賞味期限切れで回収になった牛乳やパン、いびつな形で出荷できないキウイフルーツなどでした。これらを週2回、町の集荷工場や配送会社などから集めます。料金はほとんどかかりません。配送費+α程度です。またキッチンから出る野菜くずや、出荷できないトマトも与えています。処分されるはずの食品をうまく利用し、最終的には自分のメインディッシュとなるようにしていました。実践してみたい廃棄食品の有効利用法だと思いました。

<生活>
 この農家で特に教わったのが、「丁寧にきちんと仕事をする」ことです。トマトハウスの床は白いビニールシートで覆われています。光を床で反射させ、上からも下からもトマトに光を当てて、光合成を促進するためです。光の量が少ないと、植物の茎や葉の生長だけが進み、そちらの方に栄養分が取られるため、トマト果実に栄養分が回らず、おいしいトマトができなくなってしまいます。温室の片付けの際に、このシート磨きをしましたが、1回で終わるのかと思いきや3回も磨きました。磨いた後はツヤツヤでした。シートだけでなく、養液タンクも汚れがゼロになるまで綺麗にしていました。でもそこまでしないと、次の年度においしいトマトができないそうです。中途半端で終わらず100%きちんと仕事をすることが、おいしいトマトの生産につながると教えてくれました。これは農業だけでなく、全ての仕事に関しても同じだとおっしゃっていました。
水耕栽培の様子 オークションにかけられる子豚たち
 
4件目
<家族>ラッセル、ゴードン、パット、(アシュリー:隣に住んでいるラッセルの兄)
<場所>タウランガ
<期間>2008.9.16〜2008.10.18
<品目>ビブレナム、その他花卉、アルパカ
<作業>剪定、仕分け、パッキング、家のペンキ塗り

<農場の概要>
 ファームヘルパーという形で、この農場に滞在させて頂きました。仕事としては、花木の剪定、花の収穫と仕分け、家のペンキ塗りでした。剪定には肩の力が必要で、一日中剪定鋏みを使う作業には苦労しました。花の仕分け作業自体は肉体的に楽な作業ですが、茎の長さと花の数で分類するのに、正確さとスピードが必要で、集中力を使いました。花農家に滞在したのは初めてでしたが、花と接する仕事はそれ自体で心洗われるというか、穏やかになるというか、仕事で癒されました。

<生活>
 ニュージーランドでの生活で、最も穏やかで平和な日々を過ごしました。ここでのホストファミリーは主人ラッセルと、その父ゴードン、その母パットの3人ですが、とにかく人がいい。その3人が作る雰囲気が最高に素敵です。素朴で、優しくて、優雅で、ゆったりと生活していて、そして笑顔が素敵なみなさんです。
 
 正直な所、農業の勉強というより、英語の勉強が主な目的でした。ラッセルとパットは英語の先生です。日本人留学生を頻繁に受け入れており、私は日本人留学生2人と共に生活しました。私は留学生ではないので、授業は受けず、昼間は農作業を手伝っていましたが、休憩時のティータイムや、食事、仕事上がりなどは、ラッセルやパット、ゴードンとよく話をし、ある意味で英語の授業を受けていました。特にパットはしゃべり方がゆっくりとしていて、分かりやすい言葉で話してくれます。留学生らと共に会話を楽しんでいました。ラッセルは地域の観光や歴史などに精通しています。食事中などはその話を聞くのが楽しく、時に何時間も話すことがありました。実際に他の留学生と共にその場所に行くこともありました。例えば、コロマンデル半島やトンガリロ国立公園。マウントマウンガヌイやワイナリーに連れて行ってもらったこともありました。この農場を出た後は南島を旅行する予定だったので、旅のプランニングを手伝ってもらい、おススメの観光地なども紹介してもらいました。

 農業の勉強≦英語の勉強に重要度を置く期間は、多少なりともあると思います。そんな時にはここでの滞在がお勧めです。
マウントマウンガヌイからの景色 ホストファミリーとの記念写真

アルパカも飼っている ビブレナム、分類が終わり、これから箱詰めされる
 
5件目Grown in Hope
<家族>ブレント、ケヴィン、テリー
<場所>ネルソン
<期間>2008.10.28〜2008.11.16
<品目>キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、チンゲンサイ、タマネギ、ニンニク、レタス、ホウレンソウ、コリアンダー、バジル、ナシ、リンゴ、ナッツ類、ヤギ、鶏
<作業>ホウレンソウの間引き、タマネギの定植
コンポスト作り、除草、マーケット野菜の収穫
ヤギの乳搾り、薪割りなど

<農場の概要>
 南島最初の農家です。オーナーや同居人の人柄が良く、ウーフの中でも人気の高い農場です。有機栽培で上記のような作物を商業生産しています。この農場の特徴は、コンポストのユニークな製造方法、病害防除技術、販売方法だと思います。またこれらを惜しみなく、来訪した方々に広めています。私は3週間程しかいられませんでしたが、時間が許す限り長く滞在していたかったです。以下、この農場の特徴であるコンポスト、病害防除技術、販売方法について書きます。

 コンポストはおがくず:羊の血や内臓=3:1の割合で配合しています。大体3トン対1トンくらいで混ぜていたと思います。また魚や鶏の残骸も混ぜています。これら材料はみな地元で産出される不要となったゴミ(貴重な資源)です。例えば、おがくずは近所の材木工場で出た廃棄物、羊の血や内臓も近所の食肉加工場(だったと思います)で出た廃棄物、魚の残骸も同様です。材料全てが廃棄されるような物で、ブレントはこれらを無料でもらっていました。コストは輸送費だけだそうです。

 この農場では不耕起栽培を実践しています。従来の耕起栽培とどちらがいいのかは、メリット・デメリットともにあり、判断が難しいところだと思いますが、彼は土に負担をかけない農法を徹底していました。作ったコンポストは土地の表面に撒くだけで、土中に混ぜ込みません。土中の微生物を活性化させるために、土に蜜液を蒔くのも面白い技術でした。病害虫害防除技術としては、輪作体系をメインに、害虫を食べる虫や訪花昆虫(ハチ)を呼びよせる花の定植、コンパニオンプランツの導入などをしています。それでも虫害がひどい時は、硫黄のスプレー(有機農薬)をするそうです。

 出荷先は、地元のレストランや有機野菜を取り扱う地元のスーパーマーケット、毎週土曜に行われる路上マーケットです。この路上マーケットは町の中心にある大きな駐車場で開催されています。規模が大きく、野菜や果物を売る八百屋だけでなく、観葉植物屋、パン屋、ソーセージ屋、レストランなども出店されています。ネルソンは多くの芸術家が集まる地域なので、クラフトや絵画、雑貨などもマーケットではよく目にします。地元客だけでなく、観光客も足を運び、マーケットのオープンからクローズまで常に人で混み合っています。私はここで野菜販売の手伝いをさせていただきました。ブレントの野菜はとても人気で、多くのファンがいました。毎週来てくれるお客さんが多く、気さくに話しているケヴィンが印象的でした。
 このように、地元の材料で肥料を作り、それで育てた野菜を地元の人々に販売することで、ブレントは地産地消を実践しようとしていました。

<生活>
 ブレントが私に言った台詞で印象に残っているのが、「いいものを作りなさい」ということです。「いいものを作れば、こちらが売りに出なくとも良い、客が自分から求めてやってくる、そうなれば、値段を付けるのは客ではない。こちらだ。いいものとは、質のいいもの。安全でおいしい有機野菜だ。だからうちの品は少し値段が高い。だけど固定客(ファン)がいる」と自慢げにでもなく、というよりは、それが当然で普通の世の流れだというように教えてくれました。
コンポストパイル 有用な昆虫を呼び寄せる花

ホストファミリー マーケットの様子、開店前なのにもう人が来ている
 
6件目 Okainamu Farm
<家族>ジェレミー
<場所>ネルソン
<期間>2008.11.16〜2008.12.2
<品目>有機果樹(キウイ、リンゴ、柑橘)
有機野菜(トウモロコシ、ニンニク、かぼちゃ、マメ類)、肉牛
<作業>キウイの摘蕾、リンゴの摘果、柑橘の収穫、除草、播種、牛の移動

<農場の概要>
 キウイフルーツ栽培の勉強をしたいとの要望にブレントが紹介してくれた有機農家です。この農場では、キウイフルーツを中心に商業的栽培を行っています。またトウモロコシ、マメ、リンゴ、柑橘類、ニワトリ、自給自足のための各種ベビーリーフ(サラダミックス)を育てています。一人で暮らしているおじさんで、近所にそのお姉さんが住んでいます。基本的にはジェレミー宅で作業、食事、睡眠をするのですが、お姉さんの家に共同の農場があるので、その農場の管理もしていました。その農場では、牛の飼育、カボチャ、ニンニク野菜の栽培をしています。

<生活>
 ジェレミーは日の出から日の入りまで働く、働き者です。仕事は基本的に私と別々でした。私にやり方だけ教えると、彼は別の仕事に取り掛かっていたので、私は大体一人で作業をしていました。正直寂しかったです。そしてウーフの農家としては、非常に長時間の労働環境でした。時に日の入りまで10時間を越す労働時間もありました。ウーフでは大体4〜6時間程度の労働が原則と聞いていましたが、大体にしてそれを大幅に超える労働時間でした。さすがに文句も言いましたが、「休みたい時に休めばいい。ただやるべき事がたくさんあるんだ。」との返答でした。一緒に住んだウーファーは嫌がって、3日で出て行ってしまいました。お金を稼ぐわけでもなく、有機農業について何か学んだようなこともなく、ただただ労働者として彼の畑の管理の手伝いをさせられているようで、この農場ではあまりいい思い出は出来ませんでした。

 しかし、勉強になったことはあります。それはキウイの栽培方法と食事です。もともとニュージーランドで食べるキウイの味が日本で食べるそれと違い、その栽培方法を知りたいと思ってこの農場に来ましたから、キウイに関してはやる気は倍でした。彼はキウイを有機栽培する上での管理法や注意事項を丁寧に教えてくれました。食事に関しては、いい意味で、非常に質素でした。川原や庭に生えているハーブ、自家製の雑穀パンなど、経済的でヘルシーな食事ばかりでした。野草を食べる機会は今まで僕の人生であまりなく、あってもヨモギくらいでしょうか。ニュージーランドで生えている野草のあれこれを、彼はよく知っており、それらの一部を教えてもらいました。畑へ行く小道を普通に歩いていて「今日の晩御飯を踏むな」と言われたことが記憶に焼きついています。雑穀パンは全粒粉4に、ライ麦4、大麦2、ソバ1、3種類の何かの種少々を混ぜて作られています。これを食べていたこの時期は、信じられないくらい快腸でした。
農場のご主人 キウイの花
 
7件目 B & A farm
<家族>ブライアン、アン(奥さん)
<場所>タウランガ
<期間>2009.1.12〜2009.1.22
<品目>キウイ
<作業>キウイ摘果、整枝

<農場の概要>
 有機栽培のキウイフルーツ農家は以前訪れましたが、従来農法で栽培しているキウイフルーツ農家も見てみたいと、予てからの希望が通り、この農場に滞在しました。私のニュージーランド生活最後の農家となりました。

 以前のキウイフルーツ農場で聞きそびれてしまったことや、新たに出てきた疑問を根堀り葉掘り聞いていました。運が良かったのは、この農家のおじさん、おばさんが非常に理解のある方で、かつ協力的であったことです。私の質問一つ一つに逐一答えてくれ、いろんな参考資料を持ち出して来てくれました。奥さんが果物出荷会社の虫害制御室に勤務されている事もあり、キウイを含む果樹につく虫についての勉強もさせてもらえました。ここの農家ではグリーンキウイフルーツだけを栽培しているのですが、私がゴールドキウイフルーツについても知りたいと言ったことから、近所のゴールドキウイ農家の方に見学させてもらうよう、頼んでくれもしました。ゴールドキウイの成長の早さは異常なまでで、一日にしてつるが30cm近く伸びる様を見せられた時は驚きました。ゴールドキウイは特にですが、キウイは成長が早く、樹勢を抑えるのに、それだけ管理が大変だということを思い知りました。

<生活>
 この時期は、特に不自由なく英語で言いたいことが言えるようになっていました。多くの農家さんとも出会い、一緒に暮らしてきたので、新しいステイ先と言っても順応するのに時間はかかりませんでした。10日間だけの滞在でしたが、上記のようによく面倒を見てもらい濃密な10日間になったので、記憶によく残っています。週末はクルーズに連れて行ってもらいました。ヨットが趣味のご夫婦で、なんでも昔はオーストラリアを一周したのだそうです。今回クルーズしたのはタウランガの海でした。非常にきれいな海で、波風が心地よく、その後のバーベキューパーティも最高でした。
クルーズにて これから摘果するキウイフルーツ
 
<全体を通して>
 非常に充実した濃い10ヵ月でした。長かったように感じますし、短かったようにも思えます。ただ、今後の人生を左右するくらいの大きな経験が出来たと思います。少なくとも、「きっとどこの国でも暮らしていけるな」という自信はつきました。なぜかと言えば、それは色々な人たちと出会えたからです。出会えて、そして良好な関係を築くことができました。

 ニュージーランドは多民族国家です。私が出会った人は、ニュージーランド人だけではありません。オランダ人、タイ人、オーストラリア人、韓国人、ドイツ人、インド人…。様々な人々と出会うことができました。その出会い方は一様でなく、一緒に暮らすこともあれば、時には隣人として、時には店員と客として、時にはバックパッカーズホテルで知り合うこともありました。初めは英語が不自由で、どこへ行くにも不安で仕方なかった私ですが、英語が徐々に話し聞けるようになり(今でも未熟ですが)、色々な場所で、色々な人と話す機会が増えました。そうして、世界を広げることができました。

 当然ながら、農業については最も長い時間を割きました。農作業もそうですが、農業にまつわる話はずっとしていました。色々な考えを持つ人がいました。環境に負担をかけない方法を実践する人、稼ぐことを第一に考える人、自給自足を目指す人、またそれらの間を取る人。そして、それぞれに応じて異なるライフスタイルがあり、栽培方法があり、販売方法がありました。農作業を手伝いながら、これらのスタイルを間近で見せてもらったことは、私にとって大きな財産となったと思います。就農するのであれば、どのようなスタイルで行うのがふさわしいか、常に考えさせられました。昨今は食糧自給率や食品の安全性、ガソリン・肥料価格の高騰などが話題になることが多いですが、それはニュージーランドでも同じでした。これらに関して意見を交わすのも非常に貴重な体験でした。

 ニュージーランドを北から南まで、ほぼ全て周らせてもらい、独自の文化や自然、盛んなスポーツ、おいしい食べ物、お酒などについて、聞いて見て味わって体験してきました。何もかもが新鮮で、自分にとって新しいものばかりでした。一方で、多くの人と出会ううち、痛感したものがあります。それは自分の国際的知識の乏しさです。日本以外の国の政治状況やその国が抱える問題に対して、あまり目を向けたことはありませんでした。ですが、研修を機に、紛争、水不足、労働力の不足、階級制度など様々なテーマの話をして、これらの事柄にも少なからず考えが及ぶようになりました。

 農業研修で出会った一人ひとりが刺激となり、彼らと共にした話や体験が、私の狭かった視野を広げてくれたと思います。彼らとつながりを持てたことが私の財産です。行って本当に良かったと思える10ヶ月となりました。ニュージーランド一国ですら、こうなのですから、他の国はどうなのでしょう?世界には何十カ国、何百カ国とあります。出来るのであれば、多くの国に行き、そこで新たな体験をしてみたいと思います。

 最後になりましたが、農業研修を終始暖かくサポートして下さった北海道国際農業交流協会の皆様、激励の言葉を送っていただいた大学の教授・友人、研修に行くことを認め援助をしてくれた家族に、感謝の意を捧げたいと思います。大変有難う御座いました。 

フカフォール、ものすごい水量 マセソン湖周辺のウォーキングトラック

エイベルタズマンにてシーカヤックに挑戦 リトルトンの名物巨大アイス

ケリケリのクリスマスパレード ロトルアのマオリコンサート

マウントルアペフ、冬の登山 ダウトフルサウンド
 



アメリカ国旗 <ニュージーラン酪農研修レポート>

石川 由美子

 私は2008年5月から12月までの8ヶ月間酪農の実習をしてきました。行こうと思ったきっかけは北海道のとある実習施設の知り合いがニュージーランドに行ったと聞いていたのと、高校時代の友達がドイツに農業実習のため1年間行っていたので、私も世界の農業をこの目で見てみたいと思い、行く決心をしました。

 英語は少しずつ勉強していたのですが、学校に通った方が良いと思い、最初の約1ヶ月間はオークランドの語学学校に通いました。ビギナークラスになってしまったのですが、いろんな国の人がいて友達もできました。ホームスティ先は日本が大好きというリルさん宅にお世話になりました。猫や犬がいたので、時々遊んでいました。日本料理をたくさん作ってくれたので、終わる前の日にはお好み焼きを作ってあげました。同じ目的の日本人研修生もいたので、良いコミュニケーションとなって良かったです。

 6月からハミルトンの近くにあるモリンズビルという小さな街のはずれにある農場に移り、ジェイソン・スイステッド家で研修生として働き始めました。ジェイソン一家も、6月に引っ越してきたばかりだったそうです。規模では総頭数420頭。ミルキングパーラーもでかいし、ユニットが40個もあるので最初は驚きました。土地は139haあり、パドックの数は68個。広いわりにきれいに仕分けてあるので移動には最適でした。
 ワーカーとして牧場に勤務するクレイグという私と同い年の青年がいて、その人はもう2年目なのでわからないことはクレイグに聞いていました。ジェイソンよりも日本人慣れしていたのもあって話しやすかったです。

 ジェイソンは奥さんリサと長男ライアンとの3人家族です。リサは街にある美容室に週2回通っています。ライアンは2歳で、とても活発な男の子でよく私のところに遊びにきていました。その他にペットとして犬、猫、山羊、ウサギ、鶏がいました。リサは搾乳をしないので、ペットの餌やりや、芝生の管理、家の中の管理や子育てなどを主にしていました。

 仕事内容は朝晩の搾乳に、哺乳と子牛の移動や親牛の移動、ハッチを作るお手伝いや大がかりの種付けなど忙しい日もありましたが、やりがいがあってとても勉強になりました。4輪バイクは牛を連れてくるなどの大切な役目なので、最初は恐る恐る乗っていたのですが、慣れてくるとどこまででも乗っていたい感じでした。ですが、何度かトラブルもあってものすごく落ち込んだ事もありました。
 搾乳自体は季節分娩をしているため、6月の後半から1頭ずつ増え始め、8月にはようやく全部の搾乳牛が揃いました。10月には種付けをして少しずつ乳量も落ちていき、最初は3人で2時間くらいかかったのが、11月には2人で2時間かからないくらいにまでなりました。私の出勤時間も、最初は8時からだったのですが、頭数が増えるごとに早く起きて、最終的には4時に起きてクレイグと二人で搾乳しました。そうなると早い時で7時には家に帰れたので、なんだか不思議な感じでした。

 たまにジェイソン達と買い物に出かけたり、ドライブしたり、ひとりで短期間の旅行に出かけたりしました。さすがにひとりだといろいろ予約するのも大変なので、リサが電話で予約してくれて、オススメスポットやプランを立ててくれたのですごく助かりました。泊まったホテルにはたまたま日本人がいて二人きりだったので、思う存分話しました。

 そんな毎日があっという間に過ぎ去り、私の勤務は11月いっぱいまでで終了となりました。短い期間ではありましたが、いろんな人と出会い、たくさん勉強できたのでとても良かったと思っています。搾乳は頭数が多かったけれど、慣れるとこんなに楽なのかと思うくらい早く終わったのでとてもやりがいがありました。ジェイソンは私が初めての日本人だということなので、なんとなく分かり合えないことがありましたが、これもお互いの勉強になることなので、また良い経験をしたなと思いました。

 12月からはバスでタウランガに行き、花農家であるラッセル・グラントさんのところでお世話になりました。ご両親と3人で2haの花園を管理しています。実際の作業はラッセルさんひとりですが、毎年日本人を受け入れているので経営にはそんなに支障はないみたいです。そこでは10日程しか滞在しませんでした。主な仕事は枯れた花を廃棄場に移動、花壇の土入れ、草むしりなどをやりました。ご両親にはあまり会う機会がなかったのですが、とても優しくて、私でもちゃんと理解できるような英語で話してくれました。ラッセルさんも日本が大好きだと言っていたので、日本のことをたくさん話しました。
仕事以外でも、英語を教えるための受け入れもしているので、私が終わる何日か前にも一人2週間の滞在で来ていました。

 そんなこんなでファームスティが終わり、12月16日に日本へ帰国しました。今までを振り返ってみると、NZはもともと移住してきた人たちばかりなので、誰に対しても人情味が深いなと思いました。農業の面では、土地の広さと環境の良さが一番の魅力であることから、動物達が伸び伸びとストレスのない生活を送っていけるところが食べ物の安心へ繋がっていき、北海道にはないものをどんどん発信して更に農業を活躍させているところがとても感動しました。

 私自身も、こういった活動でコミュニケーションの輪を広げることができて、また少しずつ成長することができました。これからも農業には貢献していくので、NZで学んだことをいろんな形で北海道の農業に反映できるよう日々努力をしていきたいと思っています。



アメリカ国旗 <ニュージーランド野菜研修>

小林 大亮

はじめに
 英語を学び、視野を広げるために、海外へ行きたいと思っていた。農業にも関心があった。社団法人北海道国際農業交流協会の海外農業研修プログラムがあることを知り、ニュージーランドに行くことにした。期間は2007年7月27日から1月26日までの半年間。最初の滞在1ヶ月間は、英語と海外の生活に慣れるために語学学校に行くことにした。オークランド郊外にあるコヒマロマでホームステイをしながら英語を勉強した。その後約5ヶ月間、北島・南島を移動しながら六つの農場で働いた。有機農業に興味があったため、有機農家を中心に滞在することにした。以下、六つの農場について報告する。

1. Audrey & Dorothy Sharp(ワークワース)
滞在期間:2007年8月25日〜9月7日
 ニュージーランドでの最初のファームステイ先である。北海道国際農業交流協会の現地スタッフが、この有機農場を紹介してくれた。以前にも同協会からの研修生が滞在したことがあり、評判が良いという農場だ。

(1)農場の概要
 オークランドから長距離バスに乗り、約2時間でワークワースという小さな町に着いた。待ち合わせ場所に来たオードリーは、やや大柄の女性で、自ら農場経営をするとともにオークランド市内の大学で講師もしている。日本にくわしく北海道にも行ったことがあるという。すぐに会話がはずんだ。その農場には、常に数名が住み込みで働いているという。「ウーフ」と言い、労働力を提供する代わりに食事と住居を頂く。金銭のやり取りは無い。彼らウーファーと一緒に働くことになった。

 町から車で移動し10分くらい、周りを山に囲まれ、自然しかないといった所に農場はあった。ここはニュージーランドでも数少ない「パーマカルチャー」を実践している農場だ。小さな山を所有し、山道には各種フルーツの木が植えられ、鶏小屋やガーリック畑がある。小さな動物園みたいなところだ。
 パーマカルチャーとはパーマネント(永久)とアグリカルチャー(農業)を縮めた言葉で、「人間にとっての恒久的持続可能な環境をつくり出すためのデザイン体系」のことである。「有機物質の循環」特長だ。

 オードリーは、週に数回ほど町のレストランから出る食物残さを無料で引き取っている。それを農場からでる人ふん・鶏ふんと混ぜ、堆肥にしている。堆肥に人ふんも利用する。ここへ来て最初に驚いたのは、「コンポストトイレ」が置いてあることだった。この見たことも聞いたことも無いトイレは、水洗トイレと違い水を使わないのが特徴で、ウッドチップを撒くだけの原始的なものである。トイレの下には大きなバケツがあり、満杯になると堆肥場に運ぶ。ウーファーを常時数名雇っているオードリーにとって、堆肥に有効利用できること以外にも利点がある。水の節約である。意外にもトイレは、家庭における水の総使用量に占める割合が多いのである。ニュージーランドでは水は大変貴重で、料金も日本と違って割高である。またニュージーランドの家庭での独特の水道システムが関係しているとも感じた。一般的に日本では、水道管と蛇口が直接繋がっており断水の心配はほとんどない。一方、ニュージーランドでは、水をタンクに貯めそこから給水している。水の使いすぎが原因で断水が起こることもある。
 
 山から木を切りだし薪つくるのも大事な仕事の一つである。切り出された薪は、斜面で壁のようにきれいに積み上げられ長期間乾燥させられる。乾燥後、重量は以前の半分以下になるそうだ。そうして出来た薪は、オードリーが経営する小さなショップで売られる。ウーファー宿泊施設も薪ストーブがありこれを使用する。そこから出た灰は、ガーデニングの肥料として最高なのだという。この循環システムが、パーマカルチャーだ。


(2)農場での生活
 ここでは、1日5時間程度の労働だった。ウーフ登録されているファームでは、1日の労働時間は、5〜6時間程度というのが大半なのだという。労働者に給料を支払うわけではないので、長時間働かせない。働かせすぎると協会にクレームが入り登録をはずされることもあるという。朝8時から昼の1時まで働いた。仕事内容は、鶏小屋の掃除、山道の補修整備、ガーリック畑での追肥、週1回のコンポストトイレの掃除などであった。
 昼食を済ませた後は自由時間だった。みんなで野球をして遊んだりもした。毎日夕方5時から犬の散歩に出かけ1日が終了する。仕事終わりの夜は、毎回みんなで映画を見た。料理は、それぞれ順番で担当し、毎回違うエスニック料理が楽しめた。集まったウーファーは多国籍で、違う国の話もでき、あきることもなかった。なにより自由な時間が十分あったからこそ、ここでの生活を満喫できた。

2.

Eco-Organic Farm(ワイマウク)
滞在期間:2007年9月7日〜10月7日 /2007年10月23日〜11月2日
 
(1)農場の概要
 2つ目のファームステイ先として選んだのが、多品目少量生産の有機農場である。オークランド市内から車で30分程の郊外にある、都市近郊型の農場といったところだ。農場主とその妻のほかパートタイマーのロビンとスチューが主な労働力である。経営面積7.6haでやや規模が大きな農場で、家畜は飼っておらず果樹・野菜の栽培のみである。品目はシルバービーツ、小ねぎ、グリーンケール、ビーツ、キャベツ、パセリ、ズッキーニ、ストロベリー、カボチャ、キューイフルーツ、梨、リーキなどその他多数である。

 この農場の最大の特徴は、ショップを開いていることである。ホームページ上で注文を受け、週2回野菜の詰め合わせセットをオークランド市内の客に発送している。
この他に土曜日に自宅のガレージでショップを開いている。自前で栽培できない野菜や加工商品(シリヤル・ジャム・ジュースなど)は他所から買い付けている。品揃えもよく、客はほとんどの食材をここで買うことができる。他所のファームでは、なかなか真似できない点であると思った。客の大半はリピーターで、数年前に広告を出してから、ずっと来ている人もいるという。野菜の箱詰めセットの売れ行きは順調そうに見えた。しかし、土曜のガレージショップは忙しいときとそうでない日があった。有機野菜をつくってもマーケティングが課題なのは、どこの国も同じなのだと感じた。 

(2)農場での生活
 ここもウーフと同じ条件で、労働力を提供する替りに宿泊施設・食事と交換する農場だった。1週間のうち6日仕事をして毎週日曜が休日、朝の8時から夕方の5時まで働く。約8時間と無給ファームとしては、労働時間はやや長い。実は、この農場ウーフ登録はされていない。
 仕事は、主に野菜の収穫と週2回の野菜の箱詰めである。また、滞在期間の後半は初夏にあたり、雑草取りも重要な仕事の一つになった。

 野菜の箱詰め作業は、消費者の反応がわかる興味深い作業であった。農薬を使わないため、有機野菜は多少なりダメージを受けたものが少なくない。客にとって、どの程度までが許容範囲なのか分かる。このくらいは大丈夫だろうと思い、少し傷や虫食いがある物を入れてしまうと、その客からクレームが入る。次回の注文表には「 Check Well 」というマークがつく。それからはその客には、特に綺麗な商品を入れるように気をつけるのだ。ニュージーランドの消費者は有機農産物に対して理解が進んでいると聞いていたが、見た目の綺麗さもかなり重要視するようだと感じた。

 この農場での滞在期間中に、行動範囲を広げたいと思い中古車を$950(日本円で10万円くらい)で買った。かなりおんぼろ車で色々な箇所が壊れていたが、息子のジェスが修理を手伝ってくれた。土曜の夜には、オークランドに出かけ語学学校で知り合った友人と食事に行った。夜は、旅行者向けのリーズナブルなバックパッカーに泊まった。

 農場主とその家族は、とても親切だった。農場最後の夜に、農場主が所有するヨットに乗せてもらい約2時間のオークランドハーバーでのナイトクルージングを満喫した。そこからの夜景はとても綺麗で言葉にできないものがあった。とても勉強になるので、有機農業に興味がある人には、ぜひお勧めしたい農場である。

3.

Gordon & Russell Grant(タウランガ)
滞在期間:2007年10月8日〜22日
現地担当者に花卉農場に行かないかと誘われた。違うものを見に行くのも経験だと思い行くことにした。

農場での生活
 Gordon & Russell Grant農場は、オークランドよりバスで南へ4時間くらい行ったタウランガにある。温暖な気候でツーリストにも人気の場所である。
 バス停まで迎えに来てくれた長身の男性ラッセルがここのオーナーだ。両親と一緒に暮らしていて一人で農場経営している。ここもたまにウーファーが来て作業を手伝うそうだ。
毎日バーベナムという花の箱詰め作業をすることになった。ラッセルが花の収穫作業を担当した。僕がそれを12等級毎に分けラッピングし、箱に詰めていった。朝8時から3時までの約6時間同じ作業をした。
 
 ここの場所では、すごくリラックスできた。案内された部屋はすごく綺麗で、3人ぐらい住めそうな部屋を貸し切りで使わせてもらった。食事はラッセルと共同で作った。ラッセルの創作料理と毎晩ワインまでご馳走になってしまった。ラッセルはとにかく話好きで、時には3時間以上話した時もあった。
 休日は母親が英語のフリーレッスンをしてくれた。多くの日本人が英語の勉強のためここのファームを訪れるのだという。僕が帰る日にも一人の高校生が来るといっていた。教えるのが上手で、僕の英語の弱点を鋭く指摘された。ラッセルの兄弟が帰ってきた時には、食事にも誘ってくれてとても暖かい家族だった。

4. Tim Edgecombe Horticulture(ケリケリ)
滞在期間:2007年11月5日〜12月2日
 当初から計画していた給料をもらえる農家に行くことにした。南島への渡航資金を稼ぐためだ。現地担当者が紹介してくれたのは、ケリケリにあるズッキーニ農家だった。北島の北端に位置するケリケリは、オークランドから約350kmの距離にある。自分で買った車でのんびりと行くことにした。オークランドを朝8時に出発し、ケリケリへ着いたのは夕方6時頃だった。この日はもう遅いので部屋だけを案内してもらうことにしたのだが、まだ働いている人がたくさんいた。みんな若者だった。すぐに直感で有給の農家は、今までいたところとは違うと感じた。

(1)農場の概要

 主にズッキーニと花、その他にナスなど栽培している農家だ。有機農家ではなく農薬・化学肥料を使う。ズッキーニ畑は比較的規模が大きく約5haだ。常時、5〜6人の労働者がいるという。その大半が格安の宿泊施設であるバックパッカーに貼り出された広告を見てやって来る外国人旅行者だ。アジア・ヨーロッパ・中南米など様々な国からやって来る。僕と同様に、ほとんどの人が旅行資金を稼ぐための短期労働者である。
 給料は時給制で、ニュージーランドの最低時給の11ドル25セント(2007年現在)である。農作業は、単純作業が多いため最低時給が多いようだ。

(2)収穫作業
 

 ズッキーニの収穫作業は、とにかく大変だった。作業中は常に中腰になるため腰が痛くなる。さらにケリケリはとても日差しが強く暑い場所だ。サングラスをつけながら収穫作業をした。収穫作業は朝8時から夕方の5時頃まで続くため辛抱強さが必要だった。
 また意外だが、収穫は繊細な作業だった。ズッキーニの規格は、Medium、Small、Large、Second(規格外)の4つに分類される。1kg当たりの価格はMediumサイズが$4、その他は、$2.5である。このため、価格が一番高いMediumサイズのみを収穫することになる。タイからやって来た現場監督者が、他の労働者を見張っていて、取り残しがないか、間違って小さいサイズを収穫していないか、常にチェックしている。というのもMサイズを取り残すと翌日にはLサイズになって、値段が半額になってしまう。ケリケリは温暖なため野菜の成長がとても早い。また、ここでは多くのワーカーが解雇になっていた。その理由は様々だが、僕が滞在した1ヶ月の間に3人が辞めていった。収穫作業自体、背が高い人には不向きだ。ズッキーニの苗は60cmくらいと低く、体格の大きいヨーロッパ人には向かないのかもしれない。
 

 収穫の後は、パッキングの作業である。サイズ毎に箱詰めしラベルを貼る。この作業は、比較的楽だった。しかし、この作業が時には夜の12時まで続くことがあった。ある時は、翌朝3時までの1日18時間労働をしたこともあった。毎日が長時間労働だった。時給制なので、旅行資金を稼ぐためと割り切って仕事をした。
 仕事は辛かったが、仲間には恵まれた。一緒に働いていたアルゼンチンの2人とタイ人と楽しく働けた。よくタイ料理を作ってもらいパーティーを開いたりした。

(3)農薬をまく仕事

 このファームは有機農家ではないので、当然農薬・化学肥料は使う。特に食用ではない花には頻繁に農薬を撒いていたと思う。ある日の夕食の時間、オーナーがトラクターを使って農薬を撒いたため、あたり一面が霧に包まれたことがあった。信じられないが、花に取り囲まれるように、ここの家は建っているのだ。隣の部屋からは誰かが咳き込んでいるのが聞こえた。農薬に対してすごく無関心であると感じた。

 化学肥料を撒く仕事もした。有機農業に関心のある僕にとっては、少し抵抗のある仕事だった。しかし、こうした作業をしたことは、普段なら考えつかないことも考えるきっかけになった。あたりまえのようだが農薬・化学肥料の使用でもっとも被害を受けるのは労働者(農家)であるということだ。今までは消費者寄りでものを考えていた。大学にいたころ、日本の農家が有機農業を始めるきっかけを調べたことがあったが「消費者に安全な農産物を届けたい」という理由が多かった。建前と本音があるかもしれないが、少なくとも日本の社会では消費者寄りでものを考える傾向が強いと思われる。ただ、実際にその仕事をしてみると、本当の被害者は現場の人だと気づかされる。言い換えると、有機農業において化学薬品の健康被害のリスクが減るという意味では、その恩恵をうけるのは消費者よりもむしろ労働者なのだ。ニュージーランドの農家は、なぜ有機農業を始めたのかと聞くと「化学物質が嫌いなんだよ」という。「反面教師」という言葉があるが、どんな農場に行っても問題意識があれば、そこから何かしら学ぶこともあると思った。

(4)外から見つめて初めて感じたこと
 海外で初めて給料を稼いだ、ということでお金についても考えさせられた。農作業の時給は、たいてい最低賃金の11ドル25セントで、これは日本円でいうとだいたい1000円(2008年1$=87円と考えて)ぐらいである。一方、日本は地域差があるが北海道が667円。相対的に日本の賃金は低いと思う。日本は、労働分配率が低く不平等度が高いのではないかと感じた。

 また、こっちで驚かされたのは、日本人ほど働いてない人が日本人より豊かな生活をしている。物質的な豊かさではく、時間の豊かさだ。車は新車ではなく中古車ばかりだし、ブランド物なんてほとんど見ない。質素倹約の代わりにゆとりを大事にする。日本では、人口減少により経済成長が期待できなくなってきている、とよく言われる。いまや成長経済時代とは違って、働けば働くほど物質的に豊かになる時代でもない。「過労死」という言葉が海外でも有名なくらい、日本人は働きすぎなのだと感じた。ニュージーランドの人達のような働き方も、日本の現代社会で豊かな暮らしする上ですごく参考になると感じた。

 また、最近よく聞くようになった所得格差の広がりと、農産物との関わりについて考えてみた。それまで多かった中間所得層が減っている。その一方で、一部の富裕層の所得はさらに増え、ネット難民・派遣労働者・生活保護を受ける人など貧困層は増加している。この所得格差の進行は、食料自給率にとって良くないことだと思う。国内農産物は外国産と比較して価格が高い。中間所得層が減少することは割高な国内農産物を積極的に買ってくれそうな人達が減ること意味する。貧困層はというと、お金に余裕がないので価格の安い外国産を買うだろう。富裕層はお金に余裕はあるが、総人口に占める割合が少ないのであまり期待できそうにもない。体は一個しかないのでお金が余っているからといって余分に買うわけでもない。国内農産物にとって好ましくない社会状況であると思う。

 ある人と話していたら、「ニュージーランドも所得格差が進行しているが、それでもまだ中間層は多いのだと」と言う。確かにそうかもしれない。有機農産物のお店に来る客もいかにもお金持ちという感じではなかった。ごく普通の地元の客が買っている。購買力があるのだ。

5.

Brent Ferretti & Kevin Lubbersen(ネルソン)

滞在期間:2007年12月8日〜22日
 いよいよ南島に行くことした。車で南島に移動するためには、フェリーが出向する北島南端にある首都ウェリントンまで行く必要があった。ケリケリからの距離は約1000km。途中オークランドに寄って友人と会い、2日をかけて車で移動することにした。今まで十分過ぎるほど働いたのだから、南島ではゆっくりしようと決めていた。残りのファームはいずれもウーフだ。
 最初の目的地のネルソンは、通称サニーネルソンと呼ばれ、日照時間がとても長く温暖な所だ。ここのファームは、とても評判が良いと聞き、行くことにした。

農場の概要

 ブレントとケビンが共同経営する農場だ。経営規模約4haで、小ねぎ、ビーツ、キャベツ、ズッキーニ、カボチャ、梨、馬鈴しょ、人参、ニンニク、大豆など各種野菜をつくる有機農家である。日本でいう多品目小量生産の農家といったところだ。その他に鶏を飼っている。労働力はオーナーの2人と常時数名いるウーファーだ。
 ここで取れた野菜は、サタデーマーケットに持っていき売られる。サタデーマーケットとは、日本で言うフリーマーケットといったところだろうか。違う点は、日本では古着など売っているイメージだが、こっちはより地域性が出ており地域の食材・工芸品などが売られているのが特徴だと思う。
 
 夏場のこの時期は雑草取りが主な仕事だった。その他、各種野菜の収穫、梨の剪定などをした。
 労働時間は1日約4時間。今までの農場で一番短かかった。昼の12時半には仕事が終わった。かなりゆとりがあったので、興味があった釣りにチャレンジしてみようと思いたち、近くのビーチへ行くことにした。ニュージーランドではタイが釣れるという話が有名だからだ。タイは小さいのしか釣れなかったが、代わりにマッスル(日本で言うムール貝)がたくさん取れた。ニュージーランドのマッスルはとても大きく、日本で見かけるものの3倍くらいはあった。海洋資源物の規制があり、一人15個までしか取れない。これにワインを少し入れて蒸すとすごく美味しいのだ。毎日のように一緒に働いていた仲間とビーチへ出かけた。休みの日は、近くのプールへ行ったり、バーへ飲みに行ったりもした。ここの農場では、農作業とアクティビティーをバランスよく楽しめた。オーナーは二人とも優しく、評判が良いのもうなずけた。

6.

The Organic Patch (TOP) Ltd(ダニーデン)

滞在期間:2008年1月4日〜19日

(1)農場の概要

 ニュージーランドでの最後のファームになるThe Organic Patch (TOP) Ltdは、ダニーデンにある。南島では、農業が出来る最南端の地域だ。そのダニーデンの郊外モスギールにある有機農家に行くことにした。シルバービーツ、ビーツ、キャベツ、リーキ、ニンニク、馬鈴しょ、人参、豆などを栽培している。比較的小規模で経営規模は約1haだ。
 
 ネルソンのファームと同様、ここのオーナーは、取れた野菜を週一回開催されるサタデーマーケットで売る。ダニーデンのサタデーマーケットは、食べ物だけに限定した小規模なものだった。そこでの売り上げは一日約$300〜500だそうだ。収入の約30%を占めるという。

 ここで面白かったのは、海藻を使った堆肥づくりに取り組んでいたことだ。原料は、オタゴ半島にあるビーチで収穫する。この際、堆肥に砂が混ざってしまうが、農場主曰くそれほど問題ではないらしい。ここの圃場は粘土質の土壌が多く硬い。もっと有機物を投入し土壌を改良する必要があると言っていた。

(2)農場での生活

 小規模な農家だったので、それほど仕事量は多くなかった。仕事は、雑草取り、ニンニクの収穫、シルバービーツ・キャベツの定植、農場主の娘ヘレンの家の掘起し(ガーデンが坂になっていたのでフラットにする作業)、農場主の妻 アニーの家で薪作りなどをした。
 休暇には、農場主夫婦とその友達とセーリングに行った。一人乗りのセーリングボートで、操縦は僕にとって難しかったので乗せてもらうだけにした。アニーは凄くうまかった。農場主もかなりはしゃいでいた。ニュージーランド人は本当にセーリングが好きな国民だと思った。

 ここに来て一番よかったことは、農場主と色々な話ができたことだ。他のファームでは、オーナーは忙しかったので、なかなか長時間話す機会がなかった。ここでは、有機農業のことはもちろん、いままで働いてきた農場のことや、ガーデニング、社会問題のことなど色々と話すことが出来た。また面白いことを教えてくれた。「ニュージーランドの卵が濃厚で美味しい」と話したら「こっちには、フリーレンジの卵がある。鶏はゲージではなく放し飼いにされている」と教えてくれた。ニュージーランドには、普通の卵(日本で見かけるものと同じ。鶏はゲージに入れられ配合飼料で育てられる)、Free Range、Organic、Free Range/Organicの4種類があるという。放し飼いでしかも有機的に育てられた鶏の卵が一番美味しいというわけだ。将来的に日本のスーパーでも見られるようになるかもしれない。そうすれば消費者の選択が広がる。

 サタデーマーケットに行く時間は朝6時と早かったのだが、僕もついていくことにしていた。マーケットにも興味があるし、市内観光もしてみたかったからだ。ダニーデンは南島南部の中核都市の一つで比較的大きいのだが、日本の都市と比較すると圧倒的に小さい。北海道の江別市と同じ規模ぐらいだと思う。ニュージーランドでは、小さな町・村でも活気に満ちている。商店街にもたくさん人がいる。商店街のシャッターが閉じられている日本では、考えられない光景だ。ニュージーランドでは地域性とか個性といったものがあると感じた。日本の地域は、個性を失ってしまったため、どこへ行ってもみな同じ。その結果、衰退してしまったのではないか。最近、日本でも「地場産」や「地域限定品」などという言葉が多く聞かれるようになってきたが、地域の活性化のヒントがそこにあると感じた。

最後に

 帰国前日、たまたまネルソンで知りあった人と帰国する日が同じだったためオークランドに一緒に飲みに行くことにした。お互いの滞在期間を思い出しながら、時間が過ぎるのがあっという間だったと語った。1ヶ月間の語学学校に六つの農業研修、合間に行った旅行とたくさんの経験が出来た。充実していたからこそ時間を短く感じたのかもしれない。

 僕は、農業経験もそれほどなく、大学では専攻分野も社会学系だった。だからこそ広い視野で農業を見ようと思ったし、また、せっかく外国に行くのなら農業だけじゃもったいないと他の経験もした。農業は、それだけで独立できているわけではなく他のさまざまな要素が関係してくるからだ。当然、気候・風土や地球環境の変化(温暖化や異常気象の発生)には大きく影響を受ける。もちろん国内の政策・WTO・FTA・科学技術の進歩などにも。さらには、消費者の生活環境にもだ。

 また、農場で一緒に働いていたアルゼンチン、旧東欧圏の人達と話ができたことで刺激も受けた。彼らの国では経済危機を経験した。経済が破綻しても国民が生き残れたのは、食料があったからだと教えてくれた。改めて自国で食料をつくる大切さに気づかされた。食べ物さえあれば生きていけるが、なかったら死んでしまう。この当たり前の事を想像できる日本人は数少ないのではと思う。
 外から見て初めて気づく日本のことも多かった。この研修の大きな目標である「英語によるコミュニケーションと幅広い視野を持つこと」は達成できたと思う。

 最後に、このような機会を下さった社団法人北海道国際農業交流協会と農場の紹介やお世話をして下さった現地担当者に、心より感謝致します。



アメリカ国旗 <ニュージーランド野菜研修報告>

大波 太郎

 私がNZに滞在したのは2007年10中旬〜2008年4月中旬までの半年間でした。この間に研修したのはたった2か所の農場だけでした。理由はただ単に、何度も引っ越しをするのがめんどうだったからです。
  まず、出発時寒くなってきていた環境がいきなり変わってしまい、暖かな春を迎えていたことに違和感を感じ戸惑いました。ただその中で、桜がきれいに咲いていたのは印象に残っています。が、それもつかの間、持病の花粉症が襲ってきて一気にイヤになり、着いて早々ホームシックに見舞われました。

1) ウィルコックス
期間・2007年10月16日〜2008年3月14日
場所・プケコヘ(オークランド郊外)

※研修内容
 ここはNZを代表する大規模な農場でした。じゃがいも、人参、玉ねぎ、柿の作付けをしていてほぼ全て機械による作業ばかりです。総面積は3000haあまり、プケコヘ以外にも2つの場所に支部がありそれぞれが大きな農場なのです。どの街のスーパーに行ってもウィルコックスの野菜を目にすることができ、その幅の広さには驚くばかりでした。
 研修を始めた頃はじゃがいもの収穫真最中で、いきなりトラクター。しかも牽引。何がなんだかわからず無我夢中で運転を覚えました。作業内容はトレーラーを引っ張ったトラクターを運転しながら収穫機に横付けして、掘られてくるイモをトレーラーの上のビンに上手く入れていく、というものでした。

 
 作業時間は朝7時にショップへ出勤。それから畑まで車で移動。遠い所では30分かかる場所まで行くこともよくあり、朝なので再び睡魔が襲ってきて道中爆睡。これがほとんど。たまに一緒に乗っていたインド人に寝るなと怒られます。でも寝てないと嘘をつく。また怒られる。やっぱり寝ちゃう。時にはワザと強くブレーキをかけて睡眠を妨害されるなんてこともありました。

 この7時に出勤という時間はどんなに忙しくなってきても変わることはありませんでした。お昼を12時から30分間とって終わりは基本的に5時と決まっていました。昼の前と後に15分ずつの休憩もありました。基本的に5時が終わりとはなっていましたが、忙しくなってくると定時で上がれることは全くなく、6時、7時が当たり前になったこともありました。時にはもういいでしょ?帰らせてよ、と思う時間帯までやっていたこともありました。  

 私はかなりのなまけ者です。始めは朝7時なんて余裕だろうと思っていましたが、終わりが遅くなってくると早すぎでしょ!としか思えませんでした。加えて雨の日とか。朝から大雨だと7時に出勤してもすぐ仕事が始まることはめったになく、大体1時間近くオフィスでボケーっと過ごしていた、というか寝ていたことが多かったです。じゃあ8時出勤にしてくれ〜とよく思いました。夏を目の前にした11月、12月は特に雨の日が多かったのを覚えています。しかもNZの夏は短く、1月を過ぎると日の出は一気に遅くなり、普段起きていた時間があっという間に真っ暗になっていました。

 休みは週休2日がほとんどでした。忙しくなってくると週1日。休みが全くない週はありませんでした。その他にクリスマスには5連休、年末年始にも5連休がありました。

 収穫の真最中に来たと言いましたが、配属されてからすぐトラクターに乗らせてもらっていたために最後までトラクタードライバーとして雇ってもらえました。ジャガイモの収穫から人参に変わり、最後の玉ねぎまでずっとトラクターの運転をさせてもらいました。この、毎日ひたすらトラクター作業というのも自分のなまけ癖を悪化させる原因になりました。辛いことは殆どなく、冷房の利いた中でラジオの好きな音楽を聴きながら運転。仕舞いには一人で歌い出す始末。疲れたのは肩や、首ぐらいでした。

 難しかったのが玉ねぎです。じゃがいもとの収穫スピードが圧倒的に違うのです。しかも回転も速かった。満杯になったビンを降ろして来るまでに、少しのつまずきが大きな遅れとなってくるので焦りました。1台の収穫機にトラクター3台、時には4台ついた時もありましたが、間に合わないこともあったくらいです。一旦始まると最後まで常に追われている感じ。精神的にかなり疲れました。その速さについていけず、何度も玉ねぎを畑にバラまいてしまいよくインド人に怒られました。何故かボスではなく。

 ボスは忙しい人だったので、一緒に働いたというのはほんの数回程度しかありません。毎日色んな場所へ行ったり、作業の工程を決めたり、打ち合わせ、連絡など他にやらなきゃならないことがたくさんあったのでしょう。朝オフィスで顔を合わせたらそれっきり一日中会わないこともよくありました。

 大きな会社の形態になってしまったら、それはやむを得ないことかもしれません。ただ私にはボスと話す時間がないこと、一向に仲良くなれないことには寂しさを感じていました。会社のこと、この土地のこと、ボスのこと、昔はどうだったのか、そしてどうしてあそこまで大きくなったのか、大きくしなければならなかったのか。聞きたいこと話したいことはたくさんありました。でも結局、農場を去るまでボスとの距離は縮まりませんでした。

 そこの生活に慣れてきた頃には、私のなまけ癖は次第にひどくなっていきました。体を動かし、汗を流しながら作業することが面倒くさく感じていたのです。よく雨が降った日や、その次の日はトラクターが畑に入れないので体を使った作業が多かったのですが、正直しんどい。やり出せば意欲が湧いてくるけれど、また次の日も同じ作業となると、いやでいやでたまりませんでした。自分でもまずいとわかっていても、まぁいいかと諦めてしまう。だって、すぐトラクターに乗れるんだもの。まぁそれで後で痛い目に合うのですが。

 5か月という期間そこで研修をしていて、ウィルコックスの人間模様(畑で働く人たちだけですが)が見えてきていつも笑わせてもらいました。一人一人個性が強くてよくお互いが話しをしていましたが、それぞれ言っていることは自分中心でバラバラ。話し方、笑い方、行動の仕方、それぞれの立ち振る舞いどれをみても面白すぎでした。ただ、初めての人種だったので腹が立つこともよくあり、仲よくなれない人もいましたが。


※プライベートで
 研修生の住まいは柿のパッキングハウスの2階を増設したところで、割と綺麗な部屋を大きく使わせてもらっていました。他に2人の日本人研修生と一緒に暮らしていましたが、広すぎたのでいつかたくさん人を呼んでパーティーを開きたいというのが自分たちの希望でした。でも始めの頃は周りに友達なんていないので金曜の夜から飲んだくれてへべれけ〜、がしょっちゅうでした。
 忙しくなってきた12月下旬から2月中旬までは、支部から2人のワーカーもやってきて一時は5人で暮らしていました。 

 自分達には自由に使える車を1台与えてもらっていたので、休日の行動の幅は俄然広がりました。住んでいた家から一番近くの街までなかなか遠かったので、車は何をするにも必需品でした。オークランドへは40〜50分だったので便利な場所に住んでいたと思います。週末は都会へ出かけ、クラブなどへ出会いを求めてあっちこっちに出没していました。しかし、自分らに色気を使えるほどの英語力もなければ、遊び方もわからない。どうしていいかわからず、何故かその場のノリで男子と意気投合。女の子とは仲良くなれず撃沈でした。

 加えて、セキュリティーの人たちの私たちに対する風当たりが何故か強かった。中国人があまり好かれていないという話は聞いていましたが、それで同じアジア人だからなのか、はたまた中国人だと思われたのか、ことごとく入店を拒否されました。表面上は服装が気軽すぎると言われましたが、同じ服装をした白人は目の前を笑顔で通過して入って行く。色んな場所で同じように扱われ、もの凄く腹立たしい思いをしました。

 自分たちはどうしてそんな差別を受けなければならないのかと、いつも疑問に思っていました。だから次第に遊び方も変わっていったような気がします。ただその度に、この人たちに日本語が通じれば、どれだけ自分の意見も言えて少しは有利な立場に持っていけるだろうと、幾度となく悔しさを感じました。
それは仕事や遊ぶときも同様で、絶対この人たちより自分の方がおもしろいだろうといつも考えていました。

 プケコヘの街を散策していた時、たまたま入った店で働いていた日本人の方と知り合うことができ、その人の紹介でたくさんの日本人の方々と仲良くなれました。自分たちの住んでいた街や周辺はちっぽけな所だと思っていましたが、意外にもそういう場所に暮らしている日本人の方々は多かったことに驚きました。
 特にオーペアという仕事をしながら現地で暮らしている日本人女性には、大変お世話になりました。合宿のような生活していた私たちに家庭の温かさを与えてくれ、その方から友達も紹介してもらいました。農場を去る前にはたくさん楽しい思いをさせてもらい、おかげで念願だったホームパーティーを開くこともできました。
 異国の土地で日本人と知り合うことができ、その人たちの優しさに触れ交流を築けたことは私のなかで貴重なことでした。

 人との繋がりは不思議なものです。いつも週末通っていた近所のフィッシュ&チップスのお店に自分好みの女の子が働いていました。行くたびに上手く話すことができず、いつか仲良くなりたいなぁと思っていました。でも、そんな思いも虚しくただ月日が流れていきました。
 そんなある日、ひょんなことからお隣の家族と仲良くなりました。そこのお父さんがなかなか面白い人で、よくお酒を飲みながら山羊を連れて敷地内を散歩していました。しかも歌いながら。仲良くなったとき、お父さんの隣に自分が思いを寄せていた女の子がいたときはあ然としました。

お、親子だったのですか!?と。

しかもその子はすぐ隣に住んでいたという事実。そしてお父さんは私たちの仕事場で週に一回、周りの草刈りをしてくれていました。今まで見たこともなかったし、気づきもしかったので、その事実を知ったときは衝撃的でした。色んな意味でその家族との距離は一気に縮まったはずなのですが、気づけば私の恋はいつの間にか終わりを迎えていました。

 私は以前に海外経験があったので、出発まで英語の勉強はろくにせずなんとかなるだろうと思っていましたが、実際どうにもなりませんでした。渡航前に準備をしておくことは決して無駄ではないと思います。
あと私は始めに現地での語学学校へ通うことはしなかったのですが、それも後になって後悔しました。向こうの言葉に慣れるというのは一番の目的ですが、友達を作れるというのは何よりも魅力的だと思います。自分たちとは違う目的で来ている人達もたくさんいるみたいなので、そのあとの関係は俄然広がっていくはずです。

 最後にそこで一緒にくらしていた日本人研修生2人と、遠く1時間以上かけてよく遊びに来てくれていた酪農研修生と共に、楽しく過ごせたことへ感謝です。よく、1人で配属されたほうが自分が大きく成長できるから有利だと言いますが、自分は決してそんなことはなかった。一緒に生活していると考えることもあったし、楽しい思いもたくさんできた。普通にしていれば起こらない出来事に何度も遭遇し、その度にてんてこ舞いになり、なんとか乗り越え、そこから学ぶことも多かった。今だから笑い話にできることもあるけれど、当時はなんでこんなにトラブル続きなのだろうと思いました。でもそれは絶対に1人では体験する事はできなかっただろうし、1人では乗り越えられなかっただろうと強く思います。

2)

ヨハン農場
 私はこの農場へ1人で配属され、ズッキーニ収穫は終わったと聞かされていました。なのでこれから簡単なことばかりなのでいい時期に来たなと言われ、この上ない位の安心感に包まれたのを覚えています。というのも、ここは休みもなくかなりハードな農場だと聞いていたからです。
 朝は6時45分に家を出発して、15分ほどかけて畑まで向いました。着いて早々怒涛のようにズッキーニの収穫が始まり、その時初めて、あ、騙された。と思い逃げ出したくなりました。

 作業時間は12時から30分間昼休憩があり、午前と午後に15分ずつの休憩もあります。終わりは17時と決まっていました。収穫が終わったわけではなく、終わりかけということで毎日定時に上がれたのかもしれません。少し救われた気がしました。そのおかげで、日曜は完ぺきに休むことができましたから。

 ヨハン農場の大ボス・ヨハンは、もともと更に北に位置するカイタイアで農家を営み始めました。次いでケリケリにも進出してきたためそこには別のボス、タイ人のナットがいました。彼は若く妻子持ちで、仕事が早くいつも一生懸命。しかもイケメン。研修生にも紳士的に、より近い目線で話してくれるのであっという間に打ち解けました。

 収穫内容はナイフとバケツを持ち、常に腰を曲げている作業の連続でした。加えてケリケリはプケコヘよりも暑かった。秋とは思えない程の日差しで、体力は一気に奪われました。そんな状況も手伝い、私はすぐに音を上げて休んでばかり。彼はひたむきに作業を続けていて、その真っ直ぐさが自分の心に痛かった。休みながら自分のペースでいいよと言ってくれるので、その言葉に甘えてしまいすぐ諦めてしまう。情けないなぁと感じていながらも、正直しんどくてやりたくなかった。明らかに自分の体が収穫作業に、仕事に拒否反応を起こしているのがわかりましたから。だから、遅い、一向に進まない、消化できないという状態が続きました。でも、焦ることもなく自分からヌルイ状態にどっぷり浸かっていました。

 1週間ちょっと経った頃、収穫が終わりを迎えたので私はヨハンのいるカイタイアへ移動になりました。そこは様々な野菜を作っていましたが、既に収穫は終了していたのでその後片付けに来たのでした。内容はひたすらマルチはがしでした。
 カイタイアはケリケリよりも更に暑く、私には夏と大して変わらない温度のように感じました。そこは1年中温暖な気候で、冬が近いからと言って寒いということはほとんどないと聞きました。その中でのマルチはがしは予想以上に辛く、畑は長くマルチは重い。ケリケリでもそうでしたが、この農場でやる作業は体力、気力、根気が必要で今の自分にとって欠けているもの達の集合体のような気がしました。

 ヨハンは仕事に対する姿勢はもちろんのこと、気さくな人でいつも冗談を言っては大笑い。奥さんとラヴラヴで家庭を大事にする人でした。彼は私のなまけ癖をすぐに見抜きましたが、それをネタに笑い飛ばすくらいで不快な感じは一切なく、気持ちのいい空間でした。
 ヨハンもナットも自分を犠牲にしながらも一生懸命に働きます。けど、ワーカーに対してその頑張りを押し付けることは一切ありません。気遣いは安心に変わります。ある時ふと気付いたのですが、ヨハンは一向に上達しない私に、しっかりしろ、もっと早く、頑張れなんてことは一切言いませんでした。笑いながら近づいてきて、さりげなくアドバイスをくれます。それどころか、自分が頑張る姿を見せることによって私の向上心を促そうとしてくれていたのでした。それはナットも同様だったのです。
それに気付いた時は遅すぎで、農場を去る直前でした。ただ、安心がやる気に変わった瞬間でもあり、仕事しようって思うようになれたのは間違いありません。

 研修中、ボスたちとコミュニケーションをとることができたのは良かった。2人は私に、北海道に興味を持ってくれ、たくさん話しかけてきてくれました。時にはヨハンの奥さんも。それが何よりも嬉しかった。だから話す機会をいつも与えてくれ、色んなことを聞くこともできました。私は最初から情けない姿をさらけ出しているので、何も気取ることなく喋れたのも大きかったかもしれません。しかも彼らは、ずっと私をダメな奴だと決めつけず話してくれました。その交流こそ、私が異国の地でずっと望んでいたことでもあったのです。

 ただ、今あの農場はナット夫婦がタイヘ帰国してしまったため、ヨハンはカイタイアを売りに出しケリケリ一本で頑張っています。後継者がいなくなり苦労していると思います。状況は変わっているはずです。

 あそこほど私たちを成長させてくれる研修先は多くないと思います。この人たちのために頑張ろう、もっとやろうと思える環境はすばらしいと思います。変わるならいい方向に変わってほしい。すぐに良くなれとは言いませんが、時間をかけてでもまたいい受け入れ農家になってほしいと願います。

 始めは最終旅行前の軽い小遣い稼ぎで来たのに、自分を変えてくれ、1ヵ月もいない農場に情が沸いてしまったのは明らかでした。だから最後は辛く、ありがとう、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。

3)

最終旅行
 4月なのに真っ黒になっていた私は、ずっと憧れていた南島クイーンズタウンへ行き、情けない声を発しながらバンジージャンプを跳びました。




アメリカ国旗 <ニュージーランド農業研修活動報告書>

太田 愛子

T 農業研修日程表
研修期間:2007年4月〜2008年2月


U 研修農場一覧表
  農場内訳 規模 場所 生産している物 主な作業
1 有機野菜・
果物農家
(無給)
7ha 北島
Auckland
地方
 Waimauku
葉菜、果菜、根菜、
キーウィフルーツ、
梨などの果樹
全般的(苗作り、植付、
雑草取り、収穫、
箱詰め等)
2 みかん農家
(有給・出来高制)
30ha 北島
Auckland
地方
Warkworth
みかん
(品種:Satsuma、Miho)
収穫作業→剪定作業
間引き作業
3 ズッキーニ農家
(有給・時給制)
15ha 北島
Kerikeri
地方
Waipapa
ズッキーニ、
カモカモ
収穫作業、
選別・箱詰め作業
4 有機野菜・
果物農家
(無給)
5ha 南島
Nelson
地方
Hope
葉菜、果菜、根菜、梨、
リンゴなどの果樹
作業全般
(収穫作業、管理作業、
マーケットでの手伝等)

V

各農場での研修について
(1) 有機野菜・果物農家
   7haの土地で年間45種類以上の野菜・果物を生産していた。家族経営の有機農家で、首都オークランド中心部から車で40分ほどの距離に位置する。
 インターネット・FAX・電話等で顧客から直接注文を受け、週二回宅配サービスを行っている。農場で採れた野菜と果物の他に、それ以外の野菜・果物を卸売り業者・個人の農家から仕入れ、各顧客のオーダーに従ったパック詰めを行っている。また、週三回敷地内の倉庫で直売、不定期で卸売業者への出荷も行っている。パートタイムで2人を雇っており、それぞれ週2日と3日働きに来ていた。
 
 25年前から有機栽培を始め、キウイフルーツ農家から徐々にシフトし、10年程前からホームページ開設ホームデリバリーサービスを開始した。ニュージーランド初めての有機認証制度Bio-agroの設立と同時期に有機農業を始めたため、現場の声としてその認証の規定作り等にも関わった。
 典型的な栽培法を行い、奇をてらったようなことはしていなかった。コンポスト・フィッシュミール・海草・自然の緑肥(雑草)、休閑地などで、畑の土作りを行っていた。小さな川が敷地の中にあり、豊かな土壌であった。
 季節の野菜を作り、ブロッコリー・カリフラワー・キャベツなどのアブラナ科野菜は播種・植付け期を分け、収穫時期をずらし長く出荷できるように工夫をしていた。
 栽培管理の中で最も力を入れていて、かつ一番の問題だったのは雑草管理だった。

【研修内容】
 作業の中心は週二回のデリバリー用の野菜・果物の収穫と箱詰め作業であった。その他には、除草と、苗の移植や植付け、季節の管理作業(キゥイフルーツの剪定、トマトの誘引など)、資材の後片付けなどをした。作業時間は朝8時から夕方5時までであった。

【宿泊施設と生活】
 キッチンのついている離れで一人暮らしをした。農場で作っている野菜と果物、仕入れている野菜、果物、食材は自由に頂くことができた。また、必要なものがあれば、買ってくれた。作業が終わってから、その日の夕飯に食べる野菜を収穫することが楽しみであった。野菜が本当においしくて、有機野菜の良さを日々の生活を通じて感じることができた。
 最初の研修先ということもあって離れでの暮らしは、はじめは寂しかったが、慣れたら快適だった。パーティーやヨットレースなどにも連れていってくれたので、ニュージーランドの文化にも触れる機会が多くて良かった。
農場の景色 顧客の注文に従って野菜をつめた宅配用ボックス
自宅倉庫でのショップ

(2) みかん農家
   広さ30haでSatsumaとMihoの2品種のみかんを国内市場むけに生産していた。オーナーは果樹園の管理にはほとんど関わっておらず、常駐のマネージャー2人で管理を行っていた。収穫(5〜7月)・剪定(8月)・摘果(若い実の間引き)(1月)作業期は季節労働者を雇っていた。収穫作業は最も多い時期で70人、剪定は40人、摘果は30人程度で行っていた。トラクターでの作業等、必要に応じコントラクターを雇っていた。

 歩合制なので、朝の作業開始(7時半〜8時)から終了の夕方(4時ごろ)まで労働者は必死に働く。昼食は畑の中で食べ、ほとんどの働き手はその時間のみが休憩時間であった。歩合制で稼ぐことは大変厳しくもあった。しかし、仕事の量が多い分多く稼ぐことができるという分かりやすい目標がある環境の中、労働者同士にも適度なライバル意識が生まれることで、活気のある良い雰囲気で働くことができた。スーパーバイザーが収穫されたみかんの品質、作業の質を管理していた。

 季節労働の紹介・派遣会社を通し、働き手は主に韓国・日本・台湾・マレーシアからであった。多くはないが、フィジーなどのポリネシアの島々、ヨーロッパからの人々もいた。5年ほど前までは、ニュージーランドの人を主に雇っていたが、アジアから人を雇った方が作業効率が良いということで、近年はニュージーランドの人を季節労働者として雇っていないとのことだった。
みかん畑の景色と摘果作業のチェックをする
スーパーバイザー
マネージャー、作業のパートナーと

【研修内容】
 ペアを組み、収穫・剪定・摘果作業をした。それぞれの作業を初めてする時は、マネージャーもしくはスーパーバイザーが指導をしてくれた。

【宿泊施設と生活】
宿泊施設
キャビンとキャラバン
 ホリデーパークというキャンプ場で生活した。キャラバンまたはキャビンで寝泊りをした。トイレ、お風呂、キッチンは共同であった。日本、韓国、台湾、マレーシアの人たちと夕飯をともに食べたり、おしゃべりしたり、にぎやかな生活を楽しんだ。ニュージーランドの文化にはあまり触れることはなかったが、アジアの国々の文化を知ることができたのは予想外の収穫であった。 
 スーパーが車で30分くらいの所にあり、車を持っている人に週に一度みんなで乗り合わせて食材など生活必需品を買いにいった。
 景色がとてもきれいで、入り江の中のとてもおだやかな海がすぐ側にあり、朝日が昇り夕日が沈むのを毎日眺めながら、とても豊かな気持ちになることができた。夏は作業が終わってから、海でひと泳ぎすることもしばしばあった。 

(3) ズッキーニ農家
   夫婦とその娘夫婦の2世代での家族経営で15haの畑でズッキーニを国内向けに生産していた。海外からワーキングホリデーに来ている人たちを雇い、収穫・選別・箱詰め作業を行っていた。ズッキーニ畑の他にも100km離れた所に50haの畑を持ち、そこではスイカ、カボチャ、肉牛などを生産していたようだ。住宅がある敷地も畑が2haほどあり、スイートコーンや小規模に豆や葉菜、ナスなどを作っていた。ズッキーニは主に市場に出荷されるが、農場の入り口で小さな八百屋を開き、他の畑で取れた野菜と共に直売もしていた。
 
【研修内容】
 収穫作業を主に行い、必要に応じ選別・箱詰めの作業をした。ズッキーニの成長は早く、1日でも採らないと収穫に適したサイズを過ぎてしまうので、全ての畑から収穫しなければならない。そのため、ズッキーニがよく採れる時期は作業時間も長くなった。作業時間は、普段は朝8時から夕方5時まで、最も長い日が朝の7時半から夜の7時半までであった。とても忙しく、1カ月間1日も休まず働いた。

 【宿泊施設と生活】
 オーナーの家と同じ敷地にある家で日本人3人と一緒に生活した。家は、普通の家族向けの家と同じで、かなり快適であった。オーブンがあったので、仕事が早めに終わった日はクッキー、パン、ケーキなどを焼いて楽しんだ。毎日へとへとで帰って、その後みんなで晩ご飯を食べながら話をすることで、リラックスでき、肉体的にハードな日々とのバランスをとることができたのだと思う。
ズッキーニ収穫の様子 一緒に働いた仲間たち


(4) 有機野菜・果物農家
   BrentとパートナーのKevenが5haの畑で様々な種類の野菜と梨・リンゴなどの果物を生産する有機農場。2棟のビニールハウスと露地で生産していた。WWOOFのホストであり、年にたくさんの旅人を受け入れている人気のある農場であった。WWOOFとは有機農家や宿泊施設などが人を受け入れ、労働力を得る代わりに無償で宿と食料を提供するというホームステイ、旅の仕方の形の一つである。
 週に1度、車で30分ほどの距離にある町ネルソンのマーケットに出店していた。これが最も大きな収入源とのことだった。そのほかにも、スーパーマーケットとレストランにも週1回出荷していた。

 より良いものを生産するために、様々な試みを行なっていた。木のチップと羊の血を混ぜて作ったコンポスト、ムール貝の貝殻などを土作りのために利用していた。また、土壌中の菌を活性化させるために、蜜液を2週間に1度畑に散布していた。私がいた時期は調度リンゴと梨の収穫直前の時期で、微生物農薬(果樹の害虫に感染するウイルス)、カルシウム、糖を独自の配合で混ぜ、木に散布していた。大変勉強になり、滞在期間の二週間ではとても足りなかった。
お茶の時間 さまざまな工夫と試み

【研修内容】
 私が行った作業は、主に収穫作業(サヤインゲン、トマト、ホウレンソウ、ニンジン、バジル、ニンニク、ズッキーニなど)と雑草とりで、トマトの芽かきやマーケット出店用の準備などもした。土曜には、マーケットに一緒に行き、開閉店作業や会計をした。
 労働時間は4時間というWWOOFの規定があり、基本的には12時半に作業は終了した。

【宿泊施設と生活】
 農場の敷地内にある築70年の木の家で生活した。同じ時期に台湾の男性も滞在していて、2人で生活を行なった。トイレがコンポストトイレで、用を足した後、木のチップを上に播いて蓋を閉めるというとてもシンプルでしかもあまり臭くなく快適だった。農場という土に戻しやすい環境には、とても適するトイレだと思う。

 作業が終わった後は、近くの川に泳ぎに行く、散歩や読書、手紙を書くなどと自由な時間を楽しむことができ、ニュージーランド・ネルソンの良さを十分に味わうことができた。
農場の景色 土曜日のマーケット


全体を通じて

 ニュージーランドは食料輸出国であるが、海外からの労働者なしには、成り立つことができない労働力輸入国であった。
 また、国や公共団体からの補助といったものが、ほとんど無いので何か問題点があったとしても、国に対して愚痴は言わないということが、日本との違いだと思う。ニュージーランドの農家は補助がない分、厳しい部分も多いが、とても独立していると感じた。
 後継者不足など日本と共通した問題点もあった。また、地価の高騰が新規就農の足止めとなっているようだった。
 
 日本ではこの問題はどうなっているのだろう?この作物はどういう風に栽培されているのだろう?など、逆に日本について知らなかったことも多かったので、それらについて明らかにしていきたい。
 実際に輸出をしている農家で研修ができなかったことが非常に残念だった。しかし、輸出農家や、そこで季節労働をした人、選別・出荷工場で働いていた人達と話すことから、情報や職場の雰囲気を知ることはできた。

 ニュージーランドに行って、そこで暮らして、ニュージーランドを知っていくことを通じて、日本を違う視点から見ることができた。テレビや本、映画などで外国という世界を毎日目にしてはいるが、初めて自分に身近なものとして感じることができた。世界で共通して起こっている流れや、世界の中の日本の位置というものがわかるようになった。以前より視野が広がったと思う。

【次行く後輩へのアドバイス】
 持ち物に関してですが、雨合羽は日本のほうが、安くて品質の良いものが買えるので、多少荷物になっても買って持っていく価値はあると思います。冬は特に雨が多く、持って行って本当に助かりました。長靴は現地で買いました。女性サイズも豊富にありました。
 
【最後に】
 交流協会の皆様のお陰でニュージーランドでの農業研修という貴重な体験をすることができました。また、縁もゆかりもない土地で臆することなく自由奔放に研修を楽しむことができたのは現地担当者がいたからこそです。本当にありがとうございました。



アメリカ国旗 <NZ酪農研修報告>

澁谷 健史郎

 私は2007年4月からニュージーランドで一年間、酪農の実習をしてきました。何故、ニュージーランドかと言われたら、英語力がなかったためあえなくニュージーランドになってしまいました。しかし、帰ってきて思ったことは「もう一度行きたい、もう少しニュージーランドにいたかった、ずっと住んでいたかったなあ」などと、よく思うことがあり充実した1年間がおくれたんだなあと実感しています。

 それではニュージーランドの一年間を振り返ってみたいと思います。まず4月の同じ日に私を入れて4人の研修生と出会いニュージーランドに渡航しました。オークランド空港では現地担当者に会い、家におじゃましました。それからオリエンテーションをして色々とお話を伺いました。それからすぐに現地でのホームステイが始まりました。渡航して1ヵ月は英語学校に通う予定だったのでニュージーランド最大の都市、オークランドでの生活となりました。
 
ホームステイ先の方は、おばあちゃん1人と私だけだったので最初はうまく生活できるのかと思いました。しかし、とても親切な方でご飯はうまいし、やさしいし、とても不自由なく1ヶ月を過ごす事ができました。英語学校に関してはいい学校だったと思います。でも英語が話せない分、できる友達は日本人ばかりと、今思えばもう少し英語の勉強をしておけばよかったなあと思います。でもうれしい事にそこの学校で仲良くなった女性と今はお付き合いしています。よかったー。

農場編
 そんなこんなで楽しい1ヶ月が過ぎ5月19日にオークランドから南にあるニュージーランドで第4番目にでかい都市ハミルトンの近くの農家さんで働くことになりました。ハミルトンから約15分、東の方に向かうとある山々の間に位置する農家に1年間お世話になることになりました。農家さんの名前はレイ・バッジョーさん(親方)、奥さんはデニス・バッジョーさん。家族構成はだんなさん、奥さん、長男、長女、次女、次男の六人家族で、次男以外の兄弟はみんな結婚していました。農場での労働者は親方1人でした。息子さん達は農場を手伝うことがありませんでした。親方に話を聞くと農場を継いでほしかったようですが、やはりやりたいことをやってもらいたいということで跡継ぎになることをやめたようです。

 農場の概要は搾乳牛200頭、若牛約50頭、育成牛約50頭。その他に肉牛もやっていて肉牛総頭数は150頭近くいたと思われます。総面積は約130haあり、そのほとんどを放牧地として使っていました。放牧地は約60個に分けられていて、そのほとんどが2〜3haに細かく仕切られていました。1つのパドックには2個、多くて3個のゲートがありそこから牛が出入りできるようになっていました。そして放牧地の真ん中をはじからはじまで、牛の歩く通路が通っていました。

仕事の流れ

 まず、ニュージーランドの酪農は季節分娩となっています。1年間の流れを説明します。5〜7月は乾乳期になります。7月下旬〜10月まで分娩期となります。10月中旬から人工授精、雄牛を搾乳牛と同じパドックにいれ自然交配させます。12月までそれを続けます。1月〜4月は搾乳だけとなります。乾乳期は朝7時から牛の移動をします。約1時間で移動は終わり朝食となります。1時間の休憩後、日中の仕事となります。

 日中の仕事は古くなったフェンスの修理、パーラーの清掃、その他は雑用をしています。搾乳期は朝5時に起きて犬と牛を集めに行きます。そして搾乳が始まり約1時間で200頭を搾り終えます。その後パーラーを清掃し、朝食となります。1時間休憩し日中の仕事に入ります。乾乳期以外の日中の作業は牛の移動、パドックを簡易フェンスによって分ける作業、雑草駆除、その他諸々です。

家族のライフスタイル

 家族での労働者は親方だけです。奥さんは何をしているかわかりませんでしたが分娩期の忙しい時期は哺乳を手伝っていました。ほかの期間は家にいたり外に出かけて夜まで帰ってこないということがありました。長男は結婚していてオークランドで先生をしていました。長女は同じ敷地内にあるもう1件の家に旦那さんと住んでいました。旦那さんは町の電気工事の店に働きに通っていました。僕はこの長女夫婦と暮らしていました。次女の方はオークランドで働いていて12月に結婚しました。次男の方は家に居て学校に通っていました。普段、家に居るのは親方、奥さん、次男の3人でした。

 仕事の時間帯は朝5時から夕方の5時まででした。ですから5時を過ぎてからは自由時間なので好きなことをやっていました。親方たちは仕事が終わってから映画を見に行ったり、ショッピングにいったり、友達とディナーを楽しんだりと時間を有意義に使っていたと思います。土曜日は午前中まで仕事をして昼からは休みとなりました。日曜日は朝・夜の搾乳、移動だけで他には仕事がなかったので自由時間はかなりありました。

作業内容
 乾乳期の作業内容は、1日1回すべての牛の移動をします。この時期はニュージーランドでは冬にあたり、放牧地には毎日のように霜が下ります。親方に教えてもらいましたが、霜をついた草を牛に食わせてはいけないと聞きました。理由は霜の中にある何かが牛の胃の中に入ると病気になると言っていました。ですから必ず太陽がでて霜が水滴に変わるまで牛の移動は行いませんでした。それを終えて朝食。1時間休憩後、日中の仕事に入ります。日中の仕事は日によって変わりますが、多かった作業がフェンスの修復でした。多分1年間のなかで乾乳期にすべての傷んだフェンスを修復すると思います。特にフェンスを補強するため杭を地面に打ち付ける作業が多かったです。他は搾乳が始まる前にパーラーの清掃をしました。きれいに見せるために壁に新しく、白色でペイントをしたりもしました。牛に銅を飲ませたり、除角をしたり、アイボメックをしたり、そういう仕事をしました。分娩期に入る前に片付けておかないといけない仕事ばかりをしました。分娩期に近づくといい草を食べさせないといけないということで、放牧地に窒素をよく撒いていました。1日中それをふることもありました。

 分娩期の作業として、朝・晩の牛の観察は毎日していました。多い日で8頭生まれたこともありました。しかしまだまだ少ないらしいです。親方が経験した中で最高20頭を越える日もあったらしいです。分娩の場所は放牧地で生ませていました。分娩が近い牛を1ヵ所に集めて飼っていたのでそこだけの観察だけですみました。しかし中には早期に分娩する牛もいました。その時は大変です。他の牛は平地で飼っていなくて子牛を連れに行くのが大変でした。子牛を担いで何百mも歩くこともざらにありました。中には川をはさんで向こう岸にいる牛もいたので、川を牛を担いだまま渡ることもありました。そのころは筋肉痛がたびたびありました。子牛は日本に比べ、さほど大きいとは感じませんでした。私の農場では毎年約50頭前後のホルスタイン種しか人工授精しておらず、他はすべて肉牛の自然交配しかしていませんでしたので、ほとんどが小さい牛でした。生まれた後は1日親牛のそばにおいていました。理由は初乳を親がやらせることと、もってくるのが面倒くさいということです。他にも理由がありましたが忘れました。哺乳は奥さんが絞りたての牛乳をやっていました。最初の1週間近くは奥さんが1頭ずつやっていましたが、それ以後はミルクバーという乳首が何個もついた哺乳かごでやっていました。他に1ヶ月あたりからスターターも与えていました。3ヶ月後からは放牧地に放していて畑にある水とスターターを与えていました。搾乳期の日中の作業は次の日のパドックの作成が毎日欠かせません。

 他には雑草の駆除、機械のメンテナンス、牧草収穫、と色々とやってきました。1番きつかった作業が雑草駆除です。背中に10kgのタンクを背負って放牧地の坂道を上がったり下がったりして雑草を1つ1つ駆除していきます。それを毎日、夏の暑い日にやっていて辛かった記憶がまだ残っています。他は大した仕事はなかったと思います。他に私が研修している期間、新しい住まいを大工さん2人と親方、3人で作っていたのでその手伝いが多かったです。そのおかげで大工作業が多かったのも覚えています。

労働時間・休憩・休日
労働時間は乾乳期は7時から夕方5時まで、搾乳期は朝5時から夕方5時までです。休憩は朝、昼の食事1時間ずつの休憩と日中の11時くらいにあるティータイムでした。午後は水飲み程度で体を休めることなく働いていました。休日は1ヶ月に3日間休めることになっていて、私はまとめて休みを取っていました。休日になると、オークランド近くに住んでいる日本人の友達ともっぱら遊んでいて、その友達の家に泊まることが多かったです。それか彼女とどこか旅行に行ったり、彼女の友達とクルーズに乗って海に出かけたりもしました。いい体験をしたと思います。夏に約10日間の休みをいただいたときは彼女と1番北にあるケープレンガに行ったり、北島の北の方を周遊してきました。楽しかったです。

意思の疎通
 私は英語が苦手でした。英語学校に通っている時もろくに勉強せず友達と遊んでばかりいたので、農家に入ったときはとても苦労しました。まったく日本語が通用しなかったのですべて英語での会話となり、部屋にこもることもしばしばありました。農家に入って3ヶ月がたったころ親方に呼び出されたことがありました。何かと思ったら、まるで英語が上達してないと言われてクビにすると言われました。現地担当者にとりなしてもらい、私が英語の勉強を頑張るということでなんとか事を終えることができましたが、とてもショックでした。それからは英語も仕事もがんばるようになりクビになるのは免れました。

 研修最後の方になると親方がもう1年働かないかと言ってきました。その時はとてもうれしかったです。研修最後の方はとても仕事が楽しく農場全般の事を私に任せられていたからだと思います。私自身もまだまだこの農場で働きたいという気持ちが強かったです。普段の生活の中での意思の疎通はあまり問題がなかったと思います。仕事の時と違い、辞典を持ち歩いていたので何か言われればすぐに対応できていたと思います。店や旅行先でも特に問題はなく快適だったことを覚えています。

研修の成果

 研修を通してニュージーランドの牛のサイクルが完全ではないですがわかりました。季節分娩のことも理解できました。私は日本を旅立つ前に農家の方からニュージーランドのやり方は日本ではできないと言われましたが、そうでもないなあと仕事をしてきて思いました。ですから私はニュージーランド方式を我が家の経営に取り入れてやっていきたいと考えています。

 私が思ったニュージーランドの酪農は牛にも人間にも優しいサイクルでやっていける酪農だなあと思います。時間にゆとりがあり、牛の病気も少なく、低コストですばらしい酪農スタイルだと思います。私が今まで見てきた中で1番効率のいい酪農経営をしていると思います。私がなにより気に入ったのが人間にも牛にもゆとりのある生活ができていることがすばらしいと思いました。できれば私の農場でもこれからどんどん、ニュージーランドで体験して身についたことを取り入れていきたいと思います。成果というわけではないのですが、体重が10kg減ったことがよかったです。作業全般がほぼ歩きなのでとても健康に良かったです。

アドバイス

 これからの皆さんにはぜひ、海外へ渡る前に英語を猛勉強してほしいと思います。私は英語が不十分だったため、外国の方と友達になることが苦手でした。けれど、本心では英語を話してもっと外国の方と会話をしたいとずっと思っていました。こんな後悔をしてほしくないので英語を猛勉強した方がいいと思います。他には仕事をするときはする、休む時には休むを徹底してほしいということです。周りの日本人は休みの時なのに無理して働いていることが多かったです。そうすると次の休みの時も働かされたりなどということも聞いたりしていました。ですから私は休みの時は徹底的に休んでいました。休みの時はなるべく外出、外泊するようにして家にいることを避けました。そうすると、農家さんも、私自身も気兼ねなく仕事をしたり、休むことができました。そのかわり仕事の時はしっかりと仕事をしていたので何も文句は言われませんでした。これから行く方もこういうことは徹底したほうが良いと思います。

 他には、ホームシックになる人もいるので、日本語の本なり、CDなり、飽きない日本語や日本の物を持って行った方がいいと思います。私は何も持って行かなかったので暇で暇で仕方がなかったです。絶対持って行って後悔はしないと思います。私は持って行かなくて後悔したから持っていったほうがいいと思います。病気については、特に言えることはありません。私は1週間近く腹痛が続いて何も食べることができないことがありましたが、何もしないで治りました。だからどこで何が起きるかわからないので何も言えることはありません。
 
 後悔しないようにやりたいことはよく計画してから実行してください。海外でしかできないこともあると思うので、ぜひトライしたらよいと思います。がんばって楽しい時間を過ごしてください。良くするのも悪くするのも自分次第です。
 後悔のない海外生活を。



アメリカ国旗 <ニュージーランド花卉研修報告書>

佐藤 直哉

≪研修について≫
●語学研修 (2006年5月13日〜6月9日)
1) ホームステイ
家族構成 
ジェフ ホームファザー。コンピュータ関係の仕事。すごいユーモアでいつも僕らを楽しませてくれる。 
リズ ホームマザー。専業主婦。明るくて僕らの洗濯物を洗ってくれる。そしていつも体を心配してくれるやさしい奥さん。
タイラー 二人の娘。12歳で高校生。ネットボールやヒップホップなど今風の女の子。けどやっぱり12歳なのかリズに甘えていることもある。

 約1ヶ月間過ごしたが、実際もう少し居たかったのが正直な感想である。それはやっと学校にも家族の人たちとも親密になれてきたときだったからである。ここでは農家ではない一般家庭の生活が見えた気がする。それは休日は家族でドライブしたり、スポーツしたりして、普段は学校や仕事に行って、奥さんが家で家事をする。当たり前のことですが、農家の家では休日も仕事があったり、家族でドライブに行くことなんて滅多にありません。だからこの1ヶ月間は新鮮ですごい楽しかった。
 心配していた食事もおいしくて満足でした。NZではオーブンを頻繁に使用して食事を作ります。だから時間がかかり、8時過ぎに夕食をすることもたびたびあった。
朝食は自分たちで好きなものを食べ、昼食は学校で食べ、夕食はホームステイで食べるという生活だったので、食事の時間に会話することができなかったのでもっと会話をしておけば良かったと感じました。

 
 NZの人たちの家には庭があり、そこでは主に花ではなく、観葉植物を栽培していた。また冬は寒くてもマイナスにはいくことがなく、比較的暖かかった。しかし、夜は寒く、最も寒いのは夜の3時頃である。ここの家には暖炉があり、夜は薪と石炭をたいていた。


2)

語学学校
 語学学校は週休5日制で日本の学校と同じだった。学校には毎日バスで市内まで行き、そこから徒歩で通った。バスはステージコーチという会社のバスでステージ制になっている。私の買ったパスは3ステージでオークランド市内ならどこにでも行けた。だから休日は友達といろいろなところに行った。
 語学学校はクラスが8クラスあり、それぞれのレベルによって分けられる。私は一番下のクラスでしたが、クラスの人数が少ないためほぼマンツーマンでかなり上達した。午前と午後とでは先生が代わり、授業内容も先生によって異なるので楽しかった。この学校には日本、韓国をはじめサウジアラビア、タイ、ブラジル、ヨーロッパなど世界各国から来ていて様々な人と英語一つで会話ができるのでさらに英語力が上達するし、友達もでき非常に充実していた。

 ここの施設には図書室や、DVDを見たりCDを聞いたり、会話をする時間が設定されるなどして自由に勉強することができる。またソーシャルプログラムといって予約制の活動もある。内容は毎日時間帯が指定され、映画を見たり、スポーツしたり、カフェに行ったりして誰でも参加できるものでクラス以外の人とも会話をしたり、友達を作る場なのである。

 ここに通ってみていろんな国の人と友達になれたり、英語一つでこんなにも世界交流ができるのかと言葉の大切さを実感した。会話をすることでその国のこともわかったり、自分の国のことも知ってもらえたりしたりして視野が広がった気がする。

●農業研修
1) トウィ・ダウンズ・ナーサリー社(2006年6月10日〜8月20日)
(1) 経営状況
1990年 ナーサリー(観葉植物、家庭用樹木、街路樹)を始める。
1998年 野菜導入
2005年 面積47エーカー(19ha)
2006年 32.5エーカー(13.1ha)に減少

品目としてナーサリー・ズッキーニ・ナス
ナーサリーの詳細として約2000種類の苗を扱っている。

雇用は季節により異なるが、収穫時期の11月は13〜20人、現在は6人。
Tim 農場主。実家は酪農だったが、自分には合わないことから学業終了後自分自身で育て始めた。とにかく体が大きい。
Yuan Timの奥さん。タイ人でお兄さんが最初にTimの下で働いていたのをキッカケに知り合い結婚した。よく働く人。
Nee Yuanと同じタイ人。朝から夜遅くまで働き、6年前くらいからTimの下で働く。料理の上手なおばさん。
Lee 韓国人。オーストラリアの資金稼ぎとして2月からここで働いている。釣り好きな人。
Anna 大学を目指す18歳。元気でかなりしっかりしている。ここの農場ではもう不可欠な存在。
Wayne メカニックマン+トラック運転手。とってもファニーなおじさん。

(2) 一日の流れ
7:00 起床・朝食(自炊)
8:00 仕事開始
10:00〜15 休憩
12:00〜30 昼食(自炊)
15:00〜15 休憩
18:00 終了(個人個人終わる時間は異なる)
19:00 夕食(自炊)
21:00 就寝
金曜はだいたい17:00には終了。
日曜はOFF
毎週水曜はオーダーの日。

(3) 仕事の内容
ポッティング: 鉢上げ
ウィーディング: 除草
オーダー: 基本的に水曜日。注文の来た商品を集め、きれいにしてからラベルを貼り、まとめておく。それらはオークランドまで持っていく。
積み込み: オーダーの品をパレットなどに置き、トラックに積み込む。
マルチはがし、マルチング、トンネル作りなど。

(4) 実習を通して
 NZで冬(8月)に植え付けるズッキーニはハウスである程度大きくしてから定植する。(移植)夏(1月)は暖かいためそのまま圃場に播種する。(直播)
 ここの農場は発足してからまだ16年とまだ若い農場である。ナーサリーを始めた理由としていつも仕事がおもしろい。とTimは話していた。まるで少年のような考えを持つ人だと考える。
 また私は会社にするここの農場に対して疑問を持った。それを尋ねると税金が安くすみ、野菜に関しては雇用が簡単に手に入る。収入をしっかり奥さんと分割できるなどの理由であった。私はしっかり分割することでお金のトラブルを防げると考える。しかし、ナーサリーの場合、利点ばかりではなかった。スタッフを手に入れるのが困難、コストがかかる。そして価格が同じという欠点もあった。
 それでもTimは農業は楽しくて、自由だと言っている。ここは経営以外に他の農家さんからオーダーの搬送とマルチングを引き受け、副収入としている。

 最後にTimは今後ナーサリーをさらに広げたい。海外で働きたい。と考える。それを聞いて私は改めて少年のようだと感じた。でもこういう好奇心は大切だと考える。また一緒に作業をしたAnnaのおかげで語学力もついたと考える。

2)

トニー・ジョーダン農場(2006年8月23日〜11月1日)
(1) 経営状況
面積: 面積:28エーカー(11ha)
栽培作物: ルーガデンドロンゴブレット
アーベント
パーフェクション
サファリ
ワラタ(2種類)、キングプロティア、エリカ
メルタ、バーゼリアなど計30種類
出荷先: 日本、オークランド、カナダ、アメリカ、香港、台湾、ヨーロッパ
労働力: トニーと奥さん、休みの日は息子2人が手伝う。主に家族労働。
忙しい時期は私たちのような協会から受け入れる。

(2) 一日の流れ
7:00 起床
8:00 仕事 10時に一度休憩
12:00 昼食
12:30 仕事再開
16:30 終了
金・土は休み、日曜は9時から

(3) 仕事の内容
除草、収穫、選花
株整理: 不必要な葉や花などを除去し、生長がスムーズなおかつ良いものを取れるようにする。
定植: すべて自家で増殖しているため、昨年に播種したものを圃場へと植える。
ラビッシュ捨て: 選花などで出た花の葉などを捨てに行く作業。ちなみにこの農場では植物の株元にまき、堆肥として再利用。

(4) 実習を通して
 この農場は父から後継して経営している。しかし、父の農場とは違い、173種から30種と大幅な減少を図っている。理由として良いものをつくるためという。私はこのことから父よりも良い経営を目指さなくてはならないと感じた。ただ父と同じことをしていても私はやはり満足できない。改めて自分の目指す農業を最初から形付ける必要があると考えさせられた。
 また、この農場は日本だけに留まらず、世界各地へと出荷している。会社を通じてだが、輸出をしている。さすが輸出国だと実感した。
 しかし、その割には管理が充分に行き届いてないと感じたのも事実である。たびたび輸出できない花もかなりの量で出てきていた。そういう花はすべて国内に出荷する。日本より選花の厳しさが軽いからである。

 NZでは農薬の法律というものが厳しい。スプレーヤーを購入時にはライセンスが必要となり、事前にライセンス取得の講習を受けなければならないのだ。そのため、この農場でも特に害虫の多い時期に週1のペース、使うときで月2〜3回くらいしか使わない。かなりの減農薬。このことから今や日本もNZのような環境先進国を見習わない時代になったのかもしれないと私は考える。
 またNZでは昼寝の習慣がないため、昼休みが短く、疲労が溜まりやすい。トニーは日本のように昼寝をすると疲れが取れて効果的だと話した。

3)

ラッセル農場(2006年9月30日〜10月18日)
(1) 経営状況
両親と3人暮らしのため、1人で働いている。
面積: 4.5エーカー(1.8ha)
品目: ルーガデンドロンゴブレット
アーベンタム
ウォーターリリー、バーベナ、エリカなど全10種。
出荷先: オークランド、日本

(2) 一日の流れ
8:00 起床
9:00 仕事
17:00 終了
土・日は基本休み

(3) 仕事の内容
選花、株整理、ラビッシュ捨て

(4) 実習を通して
ここではわずか2週間程度しか滞在しなかったが、農業以外にもいろんな話ができたのですごく良かった。
まず、感じたことがよく一人でやっていけるなと言うこと。一人だとかなり辛い。収穫から箱詰めまで取れる時期は1日約100箱位できる。ここも自家増殖を行っていた。挿し木でうまく増殖させ、防除も年に4回、ゴブレットは毎年植え変える。好きだからこそやっていけるのだと感じた。この人が一番農家らしいと思った。そして一番日本の農家に近い暮らしをしていた。毎日朝が早く、仕事のキリの良いところで昼食を取り、終了する。

 ここでは農業よりも他のことで学んだと考える。ラッセルの両親は私にいろいろな話をしてくれ、とても感心した。そしてまたここの家に来たいと思った。
 ここで学んだことは今は形として明確ではないけれど、今後農業や生きていく中で何かに変われば良いと考えている。

4)

ジョー農場(2006年11月2日〜12月2日)
(1) 経営状況
ジョーと奥さん、サモアのワーカーの3人で働いている。忙しいときは何人か雇用する。
面積: 4ha
品目: 中国野菜、ゴーヤ、ラン
出荷先: オークランド近郊の中国野菜店

(2) 一日の流れ
7:00 起床
8:00 仕事
12:00 昼食
12:30 仕事再開
18:00 終了
仕事は月曜から金曜。土日はOFF。

(3) 仕事の内容
収穫、植え付け、培土作り、出荷、株整理、受粉(朝と晩の2回)

(4) 実習を通して
 この農場の人たちは台湾から移住してきたので、アジアの食事でとても満足した。農業以外にも二人の娘さんにいろいろな人を紹介してもらったりして交流ができ、とても充実していて良かった。
 ここにはガラスハウスとプラスティックハウスを所有しており、管理はすべてオートマチックだった。NZに来てハウスを見かけたがすべてオートマチックで日本のようなハウスは見かけない。やはり気候の違いだと実感した。私の住む北海道とは違い、一年中栽培することのできるNZは管理も大変、ということでオートマチックだと私は思う。

 ランは切り花ではなく、鉢花として栽培・販売していた。鉢花のランは生長が遅く、花が咲くまでに2〜3年はかかる。そのため、植え付け時期を一年ごとにずらし、毎年出荷できるようにしていた。そのため、種子更新は4ヶ月に一度というペースで行われている。苗はとても小さく私が居るときには植え付けができなかった。その苗は自国である台湾から輸入していた。

 ここではアジアの人と言うことであまりNZにいる気はしなかったが、他のアジアの人が日本をどう見ているかも知れて良かった反面、ショックなことでもあった。英語についてもそう思う。日本以外のアジア各国の人たちは日本人より確実に英語を話せる。日本は母国語を愛しすぎているとも感じた。良いことではあるが、他国との交流の場では世界共通の英語が話せると有利である。もっと日本人は英語を話せるよう学習するべきである。またもや私の望む切り花農家ではなかったが、ここでの生活は充実し、いろいろな新しいことも吸収できた良い研修だった。

5)

ヨハン&ソンヤ農場(2006年12月3日〜2007年1月30日)
(1) 経営状況
面積: たくさんの畑を所有しており、本人もはっきり把握していなかった。
畑はカイタイア、ワイパパ゚、キングフィッシャーにそれぞれ所有。
品目: ズッキーニ、スイカ、カムカム、スイートコーン、メロン、豆など。
いつも何人かの雇用を雇っている。
12月は8人、1月は4人であった。

(2) 一日の流れ
 その日の作業などによって違っていて決まってはいなかった。また休みもほとんどなく、毎日働いた。

(3) 仕事の内容
 収穫、マルチはがし、フープはずし、選果

(4) 実習を通して
 ここの主人はオランダ人、奥さんはタイ人としてきた家族であった。またワーカーも日本、デンマーク、ドイツ、マレーシア、チリ、チェコ、台湾と国籍も様々で私としてはいろんな国の人達と交流できて楽しかった。また、ここは学ぶと言うよりお金稼ぎに来たような所だった。唯一学んだことは産直。副収入としてここの農場では産直の店を経営している。NZでは珍しくないことだが昼頃になるとお客さんがしょっちゅう来て忙しくなる。売上を教えてもらったが、一日で1,000$(日本円で約8万円)は超えるらしい。産直の商品はせいぜい高くて500円程度。そのことからすごい副収入だと思った。日本に帰国した時には産直の店も出したいとも思った。

 国際交流を通じていろいろな興味がわいたり、勉強になった。タイ人と話してみて私は新たにタイに行ってみたいと思い、また決意した。タイの米文化に触れて今後の経営に役立てていきたいと思っている。これは今、密かに計画中である。
 ここでもう一つ確実なものとしたのは、NZの経営は多品目経営が多いと言うこと。そのため管理は行き届いていなく、ほとんどが雑草畑と化している。それでも収穫、出荷できているのだからNZでしかできないことだ。もし仮に日本でこの経営をしたら全然成り立たないと私は思う。そのため日本もまだNZには負けていない。

6)

ユートピア農場(2007年1月30日〜3月7日)

(1) 経営状況
面積: 2ha(3棟のガラスハウス)、約27,000株
品目: ラン(切り花+鉢花+育成苗)
基本的な雇用は3人。しかし冬の時期の収穫では10人くらい

(2) 一日の流れ
7:30 仕事
10:00 休憩
12:00 昼食
14:30 休憩
17:00 終了

(3) 仕事の内容
収穫、選花、株整理、防除、鉢上げ、潅水、花芽吊り。

(4) 実習を通して
 切り花農家だったこと。私がNZに来て初めて希望の農家に巡り会えたことが一番の印象。そのためかすべてが自分のために感じた。主人もすごく親切でいろいろなことを教えてくれる。さすが花の国、オランダで育っただけのことはある。考え方がまるで違った。

 まず、ベストのものをつくる。当たり前のことだが主人はこれに対する気持ちが他の農家より強い。いかにいいものを追求するか、自分が満足するものをつくる。少品目でいいものをつくる。それが一番大切なのだとここでの実習・主人とのトークでわかった。
 次にいろんな人から良いところを吸収する。そのため主人はいろんな人と会話をする。業者、農家などいろいろな人たちから情報をもらい、今後に役立てる。今後と言うよりそれを元に自分だけのプランをつくる。ということだ。

 そして私が一番役に立ったのは、人より一歩先を行くと言うこと。これが一番のここでの収穫。ということは新しいことを考える。未来をまず考え、そこから逆算し、今すべきことを考える。価格が落ちてからじゃ遅い。落ちる前に次のことをする。他の人が何かをしたときには自分は次のことを実行している。というように常に先々を考えること。これがこの農場、主人から教わった大きなことである。

7)

ステムズ農場(2007年3月27日〜5月9日)

(1) 経営状況
面積: 2.8ha(35aのハウスを含む)
品目: バラ(9種)、ワイン用ブドウ
基本的な雇用は5人。しかし場合によって何人か雇う

(2) 一日の流れ
8:00 仕事
9:00 休憩
12:00 昼食
14:30 終了
※終了時間はその日によって異なる。特に火・木・土曜日は選花のため多少遅くまで仕事をする。

(3) 仕事の内容
 収穫、選花、防除、除草、ハウス内掃除、わき芽取り、芝刈り

(4) 実習を通して
 NZの人には珍しく、ここの主人はとても几帳面で毎日潅水量や日照時間、ECなどチェックしていて常に植物にとっていい状態にしている。ここでも直接土には植えていなかった。ロックウールや鉢植えにしていた。そのため一年中収穫可能。日本では絶対考えられないことである。

 また私は主人からいろんな話を聞いた。親切にもここの会社のスタッフマニュアルまでくれた。ときには日本在住経験のある知人にお願いして翻訳してもらったりと今までの農家よりも理解度は高かった。そして初めての体験もここでは行った。ブドウの収穫である。一つ一つ丁寧に手で収穫する。とても時間のかかる作業であるが、友人や親戚など招いて大収穫会を行ったため、一日ですべての収穫を終えた。その後は娘の夫のワイナリーへと運び、ワイン製造する。記念に私はここのワインを購入した。
 最後の農場では、農業のことはもちろんたくさんの人との交流があり、とても充実した実習となった。

≪最後に≫
 私はこのNZでの一年間はとても充実した一年であった。驚き、楽しさ、達成感などいろいろな感情があったが、一番の大きなことは海外でも生きていけるという自信がついたということ。農業以外にも学ぶことは山ほどあった。私の中の目的でもあった視野を広げるという課題は現在こそ実感はないが今後わかると考える。

 海外に出て私は自分の足りないものがわかった。それは自分のこと、農場のこと、自国のことが全然わかっていないことが身をもってわかった。事実、自国のことを聞かれ、答えられないというのは恥ずかしいことであった。また英語力。この研修で一番辛かったことは仕事なんかより自分の言いたいことが言えないことだった。辛いというより悔しい。そのため今後も英語はさらに磨きたいと考える。この研修で新たに他の国にも行きたいと強く感じた。
 英語は実際生活していくと自分では気づかないうちに上達した。特にヒアリング。しかし、勉強して海外に来るともっといいと思った。私はコンピュータを持っていったが、あればかなり役立つ、しかし帰りはとてもジャマなものだったので個人で決めた方がいい。過去の人もいっていたが、本当に日差しはかなり強く想像を絶するものだった。日焼け止めはかなり大切。

 私は今後北海道の農業、いや日本の農業を担う後継者としてこれからもっと学んでいきたいと考える。もちろんこの研修で得たものを生かし、地元はもちろん日本の農業に貢献していきたい。そしてこの研修に携わったすべての人に感謝したい。そして北海道国際農業交流協会の皆様には本当にお世話になりました。



アメリカ国旗 <ニュージーランド野菜研修レポート>

川瀬 徹也

 約10ヶ月間のNZでの生活の中で、私は様々な事を知り、数々の経験を得た。また、色々な国の人たちと出会い、共感し合える事ができ、充実した研修をおくることができた。
 今回、作成した帰国報告書は、お世話になった各ファームの経営や特徴等、あまり詳細ではないが書きました。また、それ以外に気付いたことや、新たに参加する人たちへ参考程度のアドバイスも書きました。

1)

オードリー・シャープ農場
場所:ワークワース(オークランドから北へバスで40分)
滞在期間:2006/5/20〜6/19 2007/2/1〜2/18

 経営内容…こちらのファームではパーマカルチャーというものを実践しており、経営者のオードリーは、山を所有している。そこを切り開き、機械を使わず全て手作業で畑を作り管理を行っている。彼女自身は大学の講師をしており、週に3回オークランドへ行っている。また、ワークワースの町にはアンティークショップを開いているため、彼女は毎日現場には参加できないことが多く、毎朝いくつか指示を出し出勤している。

 パーマカルチャーとは人間にとっての恒久的持続可能な環境を作り出すためのデザイン体系のことで、パーマカルチャーという言葉はパーマネント(permanent永久)とアグリカルチャー(agriculture農業)をつづめたものでオーストラリアの発祥で、NZではこれを実践しているファームも多く、これを学びに世界各国から来ている人もいた。

 作業内容…毎日行う仕事は、犬の散歩(5匹)鶏の餌やり(朝・夕)作物への水やり(トマト、カボチャ、エンドウ豆)
 それ以外の仕事…ニンニクの畑作り ニンニクの植え付け(5月〜6月)
ニンニクの仕分け 野菜の苗定植及び収穫(2月)

 仕事は比較的簡単ですが、全て手作業のため決して楽ではないが、色々な国から人が来るので仕事中は常に会話していた日もあった。
 オードリーはとても優しく、厳しい方です。また、知識も豊富で日本に行ったこともあり、日本の話など、とても興味を持って聴いてくれた。また、家族の人たちも優しい人ばかりで充実した日を送ることができた。
 左の写真はオードリーと一緒に撮影した一枚、右は1月に収穫したニンニクを選別したもの、作った野菜や卵は市場へは出荷せず、自家消費や経営している店で販売している。

2)

ティム・エッジコンベ農場
場所:ケリケリ(オークランドから北へバスで4時間半)
滞在期間:2006/6/20〜7/7
 経営内容…こちらのファームは花や野菜の育苗、ズッキーニの栽培を行っている。
 作業内容…ズッキーニの収穫、畑に使っていた資材の撤去を行った。
 時期が秋だったので、収穫もほとんど終わっており、担当した仕事自体あまりなかったので短い期間で終了した。夏(11月〜2月になるとズッキーニの栽培が始まり、各国の旅行客(働き手)で賑やかになる。
オークランド市場へ出荷される苗木

3)

ブレンド・トーマス農場
場所:ヘレンスビル(オークランドから北へ車で約1時間半)
滞在期間:2006/7/8〜8/21

 経営内容…ここのファームは花の栽培、夏期にはキュウリの栽培を行っている。また、トーマス夫妻は2軒花屋を経営している。また、趣味で鶏、羊、山羊、馬を飼っている。
 仕事について…ピンクプロティアという花の木に登り、剪定をする作業、フィールドの掃除やキングプロティアの収穫、キュウリ畑の片付け・植え付けの準備、鶏の餌やり、羊の管理など大きい仕事から小さい仕事まで色々とあった。

私が行った時期はちょうど冬だったので仕事は比較的少なめだったが、夏のキュウリの栽培の準備や剪定作業や動物の世話など、忙しい日もあった。
 トーマス夫妻は基本的にそれぞれ経営している2軒のお店が忙しいので、仕事は基本的に一人で行った。
 左の写真は開花したキングプロティア、右は生まれたばかりの羊の子供

4)

トニー・ジョーダン農場
場所:ワイウク(オークランドから南へ車で約1時間45分)
滞在期間:2006/8/22〜11/2

 経営内容…ここのファームは、プロティア、リューガデンドロン、ワラタといった花木を栽培、管理をしている。収穫した花は、選別⇒箱詰め⇒出荷先へ運送をしています。出荷した花はオークランド市場の競りに出されるか、日本や香港、アメリカなど世界各国に輸出している。経営を始めたのはトニーさんの父親で1978年から始まり、1980年には輸出が始まり、今日では約30種の花木が栽培されています。その中から何種か収穫し出荷しています。
 
 作業内容…基本的に毎日注文が来るノルマの花の収穫、選別、箱詰めを行っています。ちょうど収穫がピークだったため非常に忙しかったです。
毎日28エーカーの畑をモーターバイクで移動します。
 
 家族構成は息子2人の4人家族です。トニーさんに聞いた所二人には家を無理に継がせる気は無く、自分たちのしたいことすれば良いと言っていた。
息子2人は高校生で長男のダニー君はギターを次男のカート君はドラムをそれぞれ練習しており2人ともとても上手で、定期的に練習会を行っていた。また、トニーさんと2人の息子達はモデルガンを用いたミリタリーゲームが好きで月に2〜3回、畑をそのまま 戦場にして楽しんでいる。
 週末はよくショッピングなど色々な所に連れて行ってもらい、また1つの部屋にシアタールムを設けており、家族の人と映画を見たりした。

5)

ヨハン・ラーン農場

場所:ケリケリ(オークランドから北へバスで4時間半)
   カイタイア(ケリケリから北へ車で1時間半)
滞在期間:2006/11/2〜2007/1/31

 経営について…こちらのファームはケリケリ・カイタイア(ケリケリより北)それぞれに農場がありケリケリではズッキーニ、カイタイアではスイートコーン・スイカ・メロン・ズッキーニの栽培や牛を飼育している。
 
 仕事について…ケリケリでは毎日ズッキーニの収穫、箱詰めを行った。
時期が夏で気温も高く、畑の面積も広いため非常に厳しかったが、長く続けば続くほど、とてもやりがいを感じた農家でした。カイタイアの農場は1月に、4回行った。作業はスイカ・メロンの収穫を行った。スイカ、メロンは大変甘く、毎日余剰品をいただいた。ケリケリ及びカイタイアでとれた作物の一部はケリケリのラーンさんが経営している直売場へ、それ以外は全てオークランドの市場へ出荷される。

 NZではこういった大規模な栽培を行っているファームでは毎年ワーキングホリデーで来る人達を雇い仕事をするのがごく普通で、バックパッカーズの格安ホテルでもこのような仕事の紹介をしている。色々な国の人と出会えるが、中には真面目にやらない人もいるので直ぐに解雇になったり、辛くて数日で辞めてしまう人もいた。
 こちらのファームは給料制(時給約820円)で、当然非常に厳しく、非農家の私にとって、この長く非常に辛かった3ヶ月間は大変大きな経験になった。
また、仕事以外にも各国の人との出会いや、文化なども同時に学ぶことができ充実した日々を送ることができた。
 左の写真はケリケリのズッキーニ畑で、この時期が収穫のピークだった。
 右の写真はカイタイアの農場でスイカの収穫後の写真。

6)

南島旅行
 実習終了後は南島クライストチャーチに旅行に一週間行った。行動範囲は狭かったが、その中でも色々な人と出会え、楽しいひと時を過ごすことができた。
 左の写真はクライストチャーチの大聖堂、右は聖堂内の様子で定期的に行われる礼拝に参加できる。

研習を終えて…
 私は初め野菜の研修を希望していた。しかし、行った時期が秋、冬に差し掛かっていたので、希望のファームはあまり見つからなかった。ですが、一番目のファームで学んだ『パーマカルチャー』や『花の栽培』等のジャンルは、もちろん違うものだったが、私にとってはどちらも新鮮で今思い返せば、こうして別の農業を見るのも大事だと感じ、私自身非常に満足している。
このことから、一年間の研修参加を計画している人は色々な農家に入り、様々なことを学んだほうがよいと考えている。

研修で学んだこと…
 1つ目はマナーやモラル。世界どこへいっても、自分のマナーは周囲からよく見られていると改めて思った。どこへ行ってもなるべく謙虚な態度が大事だと感じた。
 2つ目は積極的な姿勢。これは当たり前なことだが、いざ海外でやってみると中々できないものだった。結果、初めの行動が肝心で、特に対人とのコミュニケーションは常に積極的に行うかで日頃の英語力が左右されると学んだ。「失敗してもいい、恥をかくのは今だけなのだから分からなかったら勉強すればいい」と常に思い生活していた。

これから研修へ参加する人へのメッセージ
 海外へ一歩足を踏み入れると、時間はあっという間に過ぎると思う。
そのため、自分は何を学びに来たのか等、目的意識をはっきり持つといいと思う。また、農業以外にもこんな事もやってみたい等、農業以外にも何か1つ興味を持っていくのも良いと考える。NZでしたら先住民のマオリの文化やNZの自然環境、アクティビティなど・・・いっぱいあると思う。

ホームステイ中…
 NZのガイドブックを片手に色々な所を貪欲に歩き回って見ると良いと思う。また、この期間をうまく利用し自分から積極的に行動して、英語や文化の違いや環境など、いっぱい吸収して充実した生活を送って欲しいと考える。
オークランドは市内・市外様々な名所、お店があり楽しい街である。
そして、ホームステイ先の人たちと積極的にコミュニケーションを図り色々なことを学んで欲しい。ここでつまずくと後に響くと思う。
 左はオークランドスカイタワー、右はホームステイの人たちとの写真
 
 最後になりましたが、私は約10ヶ月間NZでの生活を楽しみましたが、こうして安全に過ごせたのも、北海道国際農業交流協会の皆様ならびに現地研修管理者、また、親や先生の協力や支援のおかげで、私自身とても感謝している。またこの期間、自分を改めて見つめ直すことができ、少し自信がついたかと思い、色々な人との出会いや、コミュニケーション、成功や失敗から生まれた経験をこれからの人生に生かしたいと思っている。



アメリカ国旗 <ニュージーランド野菜研修報告>

大野 裕貴

1) フロー・マックエバン農場(ハブロック・ノース)
滞在期間:2006年6月10日〜8月9日

 私がニュージーランドに来て最初の農家になります。ここの農場ではピーマンのみを栽培しています。ピーマンと言っても大きく、色は赤、黄、緑でパプリカみたいな感じです。ピーマンはビニールハウスとグラスハウスで栽培していて、黒いビニールとかん水チューブを使用しています。年に2回栽培しており、私が訪れた時は丁度収穫時期でした。この農場は規模が小さいため機械などのような物は使用しません。基本的に経営者が仕事しています。忙しい時期になると知り合いやワーカー、そして私のようなニュージーランドに訪れた人達を受け入れています。

 収穫はハサミを使用し、バケツに入れていきます。それを一輪車いっぱいにいれ倉庫に運び選別します。収穫したピーマンは色と大きさに分け、箱に詰めます。それを知り合いの人が市場まで運んでいきます。収穫が終わると、ピーマンの茎葉処理が始まり黒いビニールを剥がす作業を行いました。その後ロータリーをかけ、肥料を散布しました。肥料は土壌調査を行った後散布した。

 ピーマン関係の仕事は以上で終わり次の植え付けを待つことになります。残りの日にちは主に庭の整備でした。基本は一人で仕事しているので、本当に農業が好きではないとなかなかできないなと思いました。

2)

ラッセル・グランド農家(タウランガ)
滞在期間:2006年8月9日〜8月15日

 2ヶ月間がすぎ次に訪れたのは花類とベリー類を栽培している農家です。仕事はベリーの後処理と花の除草でした。後処理はベリーの枝を切り、丘の上まで運ぶ作業でなかなか疲れる作業でした。とても自然に恵まれていて土地条件はあまり良くはありませんでしたが、とにかく家から眺める景色は最高でした。こういう場所での仕事はとても良かったです。仕事は基本的に一人で行っていて、面積は少しですが大変そうです。たまに私みたいなワーカーを加えて仕事をしています。
 ここには6日間しか居ませんでしたが、家族の人にとても良くしてもらいました。

3)

グレアム・フェア農家(タウランガ)
滞在期間:2006年8月15日〜9月8日

ここの農場には3週間滞在しました。主にハウス栽培を行っており、その他に豚、ベリー類その他野菜・果物を10品目以上栽培しています。2人の夫婦が住んでおり、奥さんはナーサリーで働いています。普段の実習はボスと2人でおこなっています。

 仕事は豚の餌やりから始まり、その時期はハウスに収穫が終了したトマトの茎の後処理や庭の整備をおこなっていました。ここの家のハウスは多品目の野菜を栽培しており、大きなかん水用のパイプが設置されています。かん水作業はすることはできませんでしたが、次に植え付けする作物の播種作業をすることができました。

 その他は主に除草、整備等の作業でした。面積は多い方ではありませんが、栽培している品目が多いため管理作業が大変という印象が大きかったです。しかし品目が多かったので沢山の作物に携わることができました。

4)

ヨハン・ラーン農場(ケリケリ)
滞在期間:2006年9月8日〜2007年1月4日、2007年4月11日〜5月9日

 私がニュージーランドで一番長く滞在し、一番苦労した農場です。ここケリケリのほかにカイタイアという所にも土地を持っています。主に栽培している作物はズッキーニ、スイカ、メロン、ナス、スイートコーンです。その中で最も農場の中心となっているのはズッキーニです。仕事は大変ですが、収入はこの中で一番だそうです。

 私はまずカイタイアというケリケリから約100km離れた所で実習をしました。その時期はスイートコーンとスイカの植え付け作業でした。10haある畑に手で苗を植え付ける。本当に手でやるのかと驚きを隠せませんでした。しかし彼らは当然ながら作業をしていました。それでも手作業は自分も自信があったので、必死に頑張りました。植え付けが終わるとすべての苗にビニールを被せ、保温対策をしました。除草作業もすべて手で行うため、大変な思いをしました。

 実習は主にズッキーニの収穫でした。面積はズッキーニだけで約26haありナイフで収穫します。作業は家族の人3人と私のようなワーカーで進めていきます。人がいない時は本当に苦労しました。他の農場は休みがありゆとりのある生活を送っていましたが、ここは休みがほとんどありませんでした。しかしこれが農業の辛さだとあらためて実感しました。ここの農場では他の国の人が沢山いたので交流が充実しました。

5)

ウィルコックス社(プケコヘ)
滞在期間:2007年1月6日〜3月10日

 ここはニュージーランドを代表する大規模農家です。プケコヘという所はニュージーランドでも大規模畑作野菜地帯で、機械化が進んでいます。農場名はウィルコックスと呼ばれ、大きな会社になっています。畑はここプケコヘのほかに2カ所あり総面積は約2000haあります。主に馬鈴薯、玉葱、人参、柿を栽培しています。ほとんどの作業が大型機械によって行われています。今まで見てきた作業とは大きく違いました。専属の従業員が仕事を行い、忙しい時期は海外から沢山のワーカーを雇っています。
 機械を担当するときは収穫された作物の運搬、積み込みをおこないました。

6)

ブレント・フェレッティ農場(ネルソン)
滞在期間:2007年3月25日〜4月4日

 南島の有機農家で実習することができました。2人で経営しており、栽培作物は野菜を中心に果物も栽培しています。面積は約5haくらいと小規模でしたが全て有機栽培でした。農薬が使用できないため、病気虫害に気をつけなければなりません。主な仕事は除草作業や収穫作業でした。収穫したものを週に一回地元で開かれるマーケットで販売しています。沢山の人達に利用され、信頼性の大切さを学びました。有機栽培は自家でも興味があるので良い経験になりました。

実習を終えて
 とにかく充実した一年でした。実習先の経営は栽培している作物、作業など自家とは違いがあった。経営規模も大小さまざまだったため、学び得たものが大きかった。ほとんどの農家が品目を多く栽培していて、管理が大変という印象を受けた。農産物を市場に出荷する他に自家の直売所を設けて販売をおこなっている農家が多いと感じました。

 沢山のことが印象に残り、良い実習ができたと思います。充実したからこそ一年間が短く感じたのだと思います。これからはこの一年間で得た経験がいかせるように頑張っていきたいです。



アメリカ国旗 <ニュージーランド酪農研修を終えて>

田中 淳一

 約一年の研修を終え、まず思うことは「あー、楽しかった」と、その一言です。
行く前は「30を過ぎて海外まで行って、果たして何が得られるのだろうか」という若干の不安と、「必ず何かを得てこよう。それは十分可能なはずだ」という決意の混ざった複雑な気持ちを持っていましたが、ニュージーランドでの生活が始まるとすぐにその不安も決意も、毎日をどれだけ楽しく過ごせるだろうか、という気持ちにかわっていきました。
 向こうで一番印象に残ったのは、表情の違いです。
 牛は元気にたくましく、草を食み、人間は楽しそうにニコニコと仕事をしています。それに誘われるように、私も毎日本当に素晴らしい時間を過ごす事が出来て、気が付けばアッという間に一年が終わっていました。
 最終生産物である牛乳を出荷し、経済を成り立たせるという目的は同じなのに、それに至る過程がどうしてこんなに違うのか? 人生に対するスタンスの違いだろうなというのが実感です。 国全体として経済が最優先ではないので、自然と仕事に対する取り組み方も変わってきます。
 ニュージーランドの人たちにとって一番大事なのは家族と過ごす時間、二番目が友人と過ごす時間、三番目が仕事です。自分たちの大切な時間を有意義に過ごす、それを支えるために仕事があるのであれば、仕事の時間を楽しく過ごそうよ。という気持ちが伝わってきました。
 そして、その楽しさはどこから来るのかと考えてみると、土に対する気持ちの違いなのではないだろうかと思えます。すべてのものは土から生まれ、土の上で生き、土へ還っていく。その当たり前の事が行われているのが、楽しさにつながっていると思います。 牛も人間も草地を歩き、その結果生産される牛乳で人間は生活させてもらっている。
 日本では、せまい土地での多頭数飼養を可能にするため、大きな牛舎が作られ、作業効率を上げるため、いたるところがコンクリートやアスファルトで舗装され、一時的に生産性は上がるかもしれないが、結果、牛も人間も土の上を歩かない酪農が当たり前になっているように思えます。
 大地が豊かで、牛が元気であれば、少し補助をするだけで、人間も富を分けてもらう事が出来る。そんな当たり前の事が当たり前に回っている事が、ニュージーランド酪農が世界最強であり、酪農家が豊かな生活を送っている理由だと思います。

今後の予定
 一年でたくさんの人たちに親切にしてもらい、たくさんの元気をもらって帰ってきました。「酪農ってこんなに楽しいんだよ!」と言える牛飼いになれればと思います。



アメリカ国旗 <有機農家での短期研修を終えて>

大広 和幸

 NZに到着後、最初に配属された農家は南島にある有機農家(滞在期間:2005年12月12日〜27日)で、農場主と奥さんの2名で経営している小規模の農家でした。私達が滞在中には地元の女性が働いていました。

1) 経営規模: 約4ヘクタール(そのうち30%程が休閑緑肥)
 

2)

作付品目
露地野菜: 馬鈴薯、人参、カボチャ、スイートコーン、ニンニク、サニーレタス、イチゴ、ハーブ数種類
ハウス野菜: キュウリ、いんげん豆、ラディッシュ、ピーマン、スイカ、バジル、カルダモン等
果  樹: サクランボ、リンゴ、ラズベリー
養  鶏: 4羽(オス1羽、メス3羽)
養  蜂: 蜂箱20個程度を管理(研修期間当時)

3)

農場の様子、経営での取り組み
農場主であるディビスの農業に対する考え方は、徹底した有機栽培にこだわることのようです。作付けの際には自家堆肥を使い、追肥ではおそらく海藻が主成分と思われる液肥を使っていました。しかしながら露地畑にしても、ビニールハウスにしても土の透・排水性はあまりよい状態とは言えず、根腐れ病やそうか病などが見受けられました。これからの土壌改良が肝になると思われます。経営における取り組みとしては、将来的に観光農園として経営していく方針のようです。今は観光農園の形を作ることが主な仕事で、収穫物はイチゴ、ラズベリー、キュウリといったくらいで収量もわずかでした。

4)

研修の具体的内容
【一日の流れ】
7:30 起床、朝食(自炊)
8:30 午前の作業開始(休憩は作業の状況と時間をみて、各自でとる)
12:00 昼食(自炊)、昼寝
14:00 午後の作業開始
17:00 終了
※ 作業内容によって若干の違いはあるが、概ねこのスケジュールである。

【作業内容】
蜂箱の組み立てと塗装
ラズベリー畑の支柱抜き
果樹の下草刈り
ハウス、露地畑の除草作業
イチゴのランナー切り
キュウリのつる上げ
ハウス、露地畑の灌水
ラズベリーへの液肥散布
ハーブ各種の播種
収穫(イチゴ、ラズベリー、馬鈴薯、いんげん、キュウリ)

5)

南島での研修を終えて
 最初の農家での研修を終えて感じたことは、「もう少し滞在したかった」ということです。ここでの研修期間は2週間と短く、ディビスの考えやオーガニックの技術など聞けないままになってしまったことが多々ありました。そこには、当然言葉の壁というものもあり、これが4週間以上の滞在だったならもう少し仲良くなれただろうし、多くを語れたのではないかと思いました。
 作業については発展途上の農場ということで、収穫がほとんどなく管理作業を主としていたので気負うことなく取り組めました。
 また、NZのライフスタイルを体験することで衣・食・住等の文化をより理解できましたし、日本に帰ってからの自分の生活をより豊かにするヒントを得ることができました。


 2番目に配属された農家は、オークランド近郊にある有機農家でした。(滞在期間:2006年1月7日〜2月18日)ここも夫婦2人で経営している小規模農家です。
 
1) 経営規模:約35ヘクタール(そのうち1ha程が露地野菜、あとは肉牛のパドック)

2)

作付品目
露地野菜: 馬鈴薯、人参、カボチャ、ホウレンソウ、ニンニク、レタス、いんげん、さやえんどう、ケール、シルバービート、ビートルート、セリ、長ネギ、かぶ、ラディッシュ、白菜、カリフラワー、ブロッコリー、キュウリ、ディル、フェンネル、アンジェリカ、ミント、オレガノ、パセリー、タイム、ローズマリー、セージ
肉  牛: 12頭

3)

雇  用: 常時3人程度のワーカーを雇い入れている。その他に、私たちのような日本人研修生を1〜2人受け入れている

4)

農場の様子、経営での取り組み
 農場は起伏に富んだ丘陵地帯にあるため、平らな圃場は少ない。また、乾燥している土地柄なので、土の保水力は低く灌水は欠かせない。20年に一度の割合で集中豪雨に遭うらしく、そのときは畑に大きな川ができるほど土がえぐられるということだ。丘陵地帯であることと、周りが放牧地という条件なので被害が大きくなるものと推測される。
 この農場も徹底した有機野菜をしていて、その秘密兵器として堆肥や魚粕などを醸造した「コンポスティ」という液肥と天然由来の成分だけで作られた肥料を使用していた。
 しかしながら除草作業に関しては、農薬を使用できないので手作業で行うしかなくNZにも優秀な除草機械はないらしい。そこが日常の作業における大きな課題のひとつであることから、農場主であるジェイソンは日本製の除草機械にとても興味を持っていて、よく日本での除草作業について聞かれた。
 この農場では、主にカフェやレストランといった取引先をいくつか持っているようだが、最近オークランドのスカイタワーレストランとの契約を取り付けたらしく、作業中にジェイソンが「とてもワクワクしている」と話してくれたことがあった。

5)

研修の具体的内容
【一日の流れ】
7:00 起床、朝食(自炊)
8:00 午前の作業開始(休憩は概ね10:00頃に15分間)
12:00 昼食(自炊)
12:40 午後の作業開始
16:30 終了
※ 作業内容によって若干の違いはあるが、概ねこのスケジュールである。

【作業内容】
収穫: さやえんどう、いんげん、シルバービート、ビートルート、馬鈴薯、サラダミックス、レタスミックス、長ネギ、キュウリ他
撰果: キュウリ、ビートルート、長ネギ、いんげん、せり
播種: シルバービート、白菜、ラディチオ、エンディブ
定植: レタス、ケール、トマト、カボチャ、さやえんどう
露地畑の除草作業、庭の手入れ、自宅のペンキ塗り、出荷、他

6)

北島での研修を終えて
この農場では、6週間ステイして研修を受けました。そのなかで自分にとって良い経験になったことというのはたくさんありますが、その中から二つ上げたいと思います。
 一つ目は、オーガニックの土壌改良技術と施肥技術を学べたことです。これは、私が今現在自らの圃場で土壌改良に着手していることとリンクしているので非常に参考になりました。有機栽培に取り組む考えはいまのところありませんが、減農薬・減化学肥料栽培には取り組むつもりでいますので、ここで学んだことを大いに今後の作物生産に活かしていきたいと考えています。
 二つ目は、日常生活におけるゆとりの大切さです。農業にかかわらず自営業というのは、どうしても労働時間が長かったり不定休になりがちです。しかしここでは経済的なゆとりよりも精神的なゆとりを求め、実践しているように思います。そのことにより家族の絆が深まり、また、自分の趣味を謳歌できることで仕事への意欲が高まるのではないかと感じました。今回の研修で見て体験した全てのことが自らの農業経営に結びつくわけではありませんが、この経験はこれから私が求める理想の経営、理想の生活の一助になるものと確信しています。

今後、研修を希望されNZに旅立つ方へ
 私の短い研修の中でアドバイスをすると、まず英語はできる限り勉強していったほうがいいと思います。特に研修期間が短い方は必須です。私は、少し勉強しましたがほとんどわからないまま行きました。その結果、観光や日常生活で不便は感じましたが、なんとかなりました。しかし、研修先で経営者の農業への情熱や経営方針、作物生産技術などの専門的な話をするときに、相手の話が理解できない、自分の考えをうまく伝えられないなど歯がゆい思いをたくさんしました。これは正直もったいないことをしたと、後悔しました。ですから、ぜひ英語は勉強していってください。
 次に冬季農閑期を利用して研修を受ける方は、夏のNZを訪れることになります。そこで、虫さされの薬は必ずもっていった方が良いでしょう。私は、薬がなくてひどい目に遭いました。日焼けしやすい人は日焼け止めと帽子とサングラス、いざというときの電子辞書、それから家族や我が家の圃場の写真、北海道地図もあると会話がはずむのでいいと思います。

私は、この研修でより大きな視野で社会を見ることができるようになったと思います。また、人と積極的にコミュニケーションすることの重要性を理解できました。そのおかげで、自分の考えをしっかりと人に伝えることもできるようになったと思います。
 しかし残念なことがひとつありました。それは、もっと若いときにこの研修に参加しておけばよかったということです。私は就農8年目に突入し、我が家の経営にも深く関わるようになって仕事に責任を負うようになりました。そのことで、今回二ヵ月半という短期研修になったわけです。これがもっと若いうちなら三ヶ月以上滞在できたのではないかと思います。過去に海外研修に参加してみないかという誘いをうけたことがあるのですが、そのときは「海外なんて行く必要ない」と断りました。それが今「もっと早く参加していれば…」という後悔になりました。
 ですから、今後海外研修に参加する農業青年にはより若いうちに行ってもらいたいと強く願っています。



アメリカ国旗 <NZ花卉研修を終えて>

樋口 寛美

 私は高校卒業後の2005年6月3日から2006年5月15日までニュージーランドに滞在しました。
 最初の1ヶ月はオークランドでホームステイをしながら語学学校に通いました。英語はまったく話す事が出来なかったけれど、色々な国の友達を作る事が出来ました。
 語学学校が終わった後は、蘭とアマリリスを栽培しているプケコヘの花農家で3ヶ月間働きました。ここではインド人・ニュージーランド人のワーカーと一緒に働きました。
 仕事の内容は蘭の花の補強作業(ゴムとフックを使って蘭の花をまっすぐにする作業)、スリービング(収穫した蘭にビニールをかぶせる・切り口に水の入った小さな容器をさす作業)、パッキングの箱作り、ポッティング(アマリリスをポットに移す移植作業)などです。
 ここのホストマザーは高校で日本語を教えていたので英語がわからない時は日本語で教えてくれたりして、言葉はそんなに困りませんでした。

 次の農家はプケコヘの隣町のワイウクという所でした。
 ここはLeucodendrum(ルーカデンドロン)という南アフリカ原産の花とMerita(メリタ)という葉っぱを育てていました。ルーカデンドロンもメリタもほとんど日本に輸入されてきていると聞きました。
 仕事内容は花を収穫してセンチごとに分け、次に虫を殺す薬をつけてそれを5本づつ輪ゴムを使ってまとめます。その後箱に詰めます。ルーカデンドロンは花の中で重たい方なので、運んだりするのが大変でした。メリタは傷・虫食いのない物を大・中・小合わせて5枚になるようにまとめます。葉っぱに虫を殺す薬をつけてそれをタオルで拭き取る時、葉っぱが破れないように慎重に拭くのが大変でした。
 次はタウランガという所に行きました。ここは日本から来る学生を迎えて勉強をしながら農場体験が出来るというような所でした。仕事が終わった後・仕事が休みの日などはホストマザーが英語を教えてくれたりしました。そして海がすごく綺麗な所だったのでここはとても印象的な所でした。
 ここではLeucodendrum・ベリー類を育てていました。
 仕事内容は草抜きです。この時期は花が咲かないので仕事は草抜きしかありませんでした。
  次は北オークランドに行きました。ここではLeucodendrum・Proteaという大きな花を育てていました。家ではホストファザーが1人で花の管理・収穫をしていました。そしてホストマザーは花屋さんで働いていました。
 仕事内容はワイウクと似ていて、花の収穫・センチごとに分けて5本づつまとめる作業です。
 毎週金曜日、ホストファザーがマーケットに花を売りに行っていました。
その他の仕事は草抜きをしたり、悪い花を切ったりしました。

 次はケリケリという所に行きました。ここは有限会社になっていて、私が行った中でも1番大きな実習先でいろんな国の人たちが働いていました。
 そして、ここでは園芸・ナス・ズッキーニをやっていました。
 仕事内容はポッティング(大きくなったプラントを違うポットに移す作業)・草抜き・カッティング(枝の先端4cmぐらいを切り取ってそれに根っこを生やす為に白い粉を付けて土に刺す作業)です。
 ここはプラントの種類・数がとてもあったのですごく驚きました。ヤシの木やハイビスカスもありました。園芸の仕事が終わった後はナスの仕事を手伝ったりもしました。

 ケリケリの後、1週間くらい友達と2人で旅行に行きました。

 旅行が終わった後はまた北オークランドの同じ所に行きました。仕事内容は同じでした。
 最終日は『母の日』で、ホストマザーのお店を手伝いました。この日お店は大忙しで、接客が大変そうでした。
 この2日後、私は日本に帰りました。

 研修を終えて思った事は、ニュージーランドの人たちはとてもフレンドリーで仕事も楽しく出来ました。あと、お店は店員とお客さんが対等な立場だったので店員と仲良く会話をしたりして、「こんなの日本にはないし、何かいいな」と思いました。
 それに、野菜でも肉でも果物でも食べ物はやっぱり日本の方がおいしいと思いました。でも、食べ物の値段が安いのでそこはいいなと思いました。
 6ヶ月を過ぎた頃から大分積極的になり、英語もできるようになってきて、英語のできない人の通訳をしてあげた事もありました。
 ニュージーランドで生活して、1番思ったのが「何にでもチャレンジしよう」という事でした。しないで後悔するより、して後悔する方がいいなと自分の中で思いました。
 最初はあまりニュージーランドが好きじゃなかったけれど、帰る頃には大好きになっていました。こうやって思えたのも、いろいろホストファミリーに助けてもらったし、友達も出来たし、それに自分が積極的になれたからだと思います。本当にニュージーランドに行ってよかったと思っています。また機会があればニュージーランドに行きたいと考えています。




アメリカ国旗 <ニュージーランド農業研修報告書>

江崎 佑

1. 派遣期間
2006年1月5日〜3月15日

2.

配属農場について
2ヶ月という限られた期間で可能な限りの経験をしたかったのでひとつの農家で3週間ずつ位の滞在でした。また、大規模な会社経営の農業も見たかったので帰国前に「ウィルコックス」という大きな会社を見学させていただきました。

3.

研修の具体的内容
(1) 1月6日〜27日
  場所:タウランガ
内容:トマト水耕栽培、自給用野菜、豚(約10頭)、果樹など。
規模: 約500(m2)のグラスハウスがメイン。
土地は7(ha)だが、芝生、林、防風林が占める面積は大きい。
家族構成:
グレアム…60歳くらい 元警察官 長身 柔道のコーチ
アン…60歳くらい 近くのナーセリーの従業員(ボス)
3人の息子娘は家を出てオークランドなどで働いている。
 奥さんのアンさんは近くのナーセリーで働きに出ているので、この農家は実質グレアムさん一人でやっている。グラスハウスのトマトの水耕栽培がメインで、夏季には週に2回、その前後は週に1回収穫しタウランガの市場に出荷している。他には自家用の有機野菜と数ヘクタールの果樹園があったが僕の研修期間中は果樹の収穫はなかった。また、豚を10頭ほど(内子豚5頭)飼育していた。豚の餌にはトマトや有機野菜のクズ・雑草のほかに街でもらってきた賞味期限切れのパン・牛乳・乳製品・ハム等を使用しており、豚の餌代はかかっていないようだった。豚がいるので毎日仕事はあったが、一日の労働時間はそれほど長くなく、朝7時半くらいから働き始め昼に1時間弱休憩をはさんで、夕方は6時ごろになると外はまだ明るいのに仕事を終えていた。2人は20年位前に脱サラして農業を始めた。アンは平日は近くのナーセリーで働き、土日は芝刈りなどの仕事を手伝っていた。農業でメシを食っていくというよりは田舎の環境でゆとりのある生活を送りたいという、まさにライフスタイルを追求した上での農業であると感じた。

 僕のした仕事は主に週2回のトマトの収穫だった。僕とグレアム2人で収穫しその日のうちに出荷できるだけの量を生産しているようだった。収穫自体はたいてい5時間くらいで終わった。収穫したトマトはグレアムが大きさと質ごとに手で選別していた。トマトのヘタは輸送中に他のトマトを傷つけてしまうため収穫の時点で落としていた。他に毎日した仕事は豚の餌やり。大量のパンと牛乳・チーズ・ジャムなどをまぜ水で薄めてやっていた。

 とにかく短い期間だったのにグレアムは僕にたくさんの種類の仕事を与えてくれた。草取り、野菜苗の鉢上げ、農薬散布補助、プラムの収穫、芝刈り、機械の修理、割れたグラスハウスの修理、洗車、水耕栽培の水路の掃除、豚の出荷、肥料配合、薪割りなど普通の農作業だけではなくグレアムさんの生活そのものを体験させてもらったと思う。

 最初の休日にアンが、車で40分くらいのところにある観光の街ロトルアに連れていってくれた。マオリ族のコンサートには感動した。その後あちこちをまわって近くの湖の湖畔で昼ごはん。アンが作ってくれたサンドイッチだった。その湖には自家用ボートとキャンピングカーなどで休日を過ごす人達であふれていた。アンが「働くときはしっかり働いて週末は豊かな自然に囲まれてゆっくり過ごす、これがニュージーランド人の生き方だよ」って教えてくれた。とても印象的な言葉だった。この農家ではいわゆる「農業」についてはあまり勉強にはならなかったが、それ以上に「どのような生活をおくるか」ということについて深く考えさせられた。二人とも本当に自然の環境が好きで、多少お金には苦労しても日々の生活を満喫したいという考えで、そのような生き方があるということを知ることができたことは僕にとっては予想外の収穫だった。

ニュージーランドに農業の勉強をしに来たのにと思われるかもしれませんが、このようないい経験が日本でできるかといったらどうでしょう?

(2) 1月27日〜2月15日
  場所:ワークワース
内容:パーマカルチャー(有機農家)
 僕は今まで有機農家というものを体験したことがなかったのでこのパーマカルチャー農家に行くことに決めた。有機農家と聞いていたのでどのような作物を作っているのかと聞いたら、野菜というよりは鶏を飼っているとのこと。どんな農家なんだろうと思いながらワークワースへと向かった。迎えに来てくれたのは70歳過ぎのドロシーというおばあさん。一般道でも平気で100kmくらい出す。まず連れて行かれたのは小さな雑貨店。どうやらこの店も経営しているらしい。そして買い物をして目的地へ向かう。連れて行かれた場所は周りを森林で囲まれた谷間にある農家・・・というより、なんだ?ここ本当に農家なのか?と思ってしまうような不思議な場所。まったく状況がつかめないままワーカー達が共同生活する建物へ案内された。

 話を聞いていくうちに「パーマカルチャー(permaculture)」というキーワードに出会う。植える作物の組み合わせや配置を設計し、自然の持つ本来の力を最大限に引き出すという、究極の循環型農法である。この農家ではそれを実践していた。ただ、この農法では採算の取れる農業経営はできないのが現状。オーガニックの鶏とにんにく以外は自家用の野菜で、外には販売していないようだ。仕事の内容としては基本的にはチキンやダックの餌・水の管理、野菜への水やり、希少価値の樹木・果樹の管理(マルチ)、そして犬の散歩であった。仕事自体は大した仕事ではなかった。でも、この農家の中で循環が行われていると考えると、それらひとつひとつの作業にとても大きな意味があると感じる。植物の本来の生き方を引き出してやる、それがわれわれの仕事であったと思う。このスタイルの農業に関しては直接まねすることはできないと思うが、農薬と化学肥料によって収量を上げる現代の農業者には是非一度見て欲しいと思うことをやっている。

 ご飯は、朝はパン、昼は自分たちで自炊、夜はオードリーかドロシーがご馳走を作ってくれた。働く時間は午前5時間と午後30分のみ、他の時間はまったくのフリータイムで、たいていの場合はいろいろな国からやってくる若者達とそれぞれの国のことを聞きあっていた。近くのビーチに行ったり、アイスクリームを食べるために隣の町までヒッチハイクしたり、常に楽しく刺激的な時間だった。この農家に関しては、農業の研修というよりも世界中の若者たちと出会い交流することのできる場として一度滞在することを強く勧めます。ちなみに私は3週間程度の滞在で10カ国くらいの人達と友達になりました。

(3) 2月15日〜3月7日
  場所:ケリケリ
内容:野菜(ナス、ズッキーニ)、ナーセリー(街路樹栽培)
  ニュージーランド北島の最北端に近い小さな町ケリケリ、各種フルーツの栽培が盛んな町である。私はこの町の野菜・ナーセリー農家に3週間くらいお世話になった。ここのオーナーは28歳、ティム。それにタイ人の奥さんユワン。レギュラーのトラック運転手・事務・職員が数人いるほか、収穫の忙しい時期には10〜25人くらいのワーカーを雇っている。

 面積としては北海道の農家と同じような感覚だった。ある程度大きな面積があるので作物にかける手間は最小限に押さえ、付加価値の高いナスやズッキーニをオークランドの市場に出荷している。収穫・出荷の作業においても日本の農業と特に大きな違いはなかった。日本がまねすべきだと思ったのは、出荷の際段ボールを使用せず、プラスチック製のリターナブルコンテナ(クレートと呼ばれる)が使用されていることだ。ワンウェイの段ボールのほうが農家にとっては使い勝手がいいのだろうが、それでもクレートを使うこの国はさすが環境大国だと思った。水耕栽培のほうが環境にやさしいから水耕栽培を選択する人だってたくさんいる。それに比べて日本は自分の作った作物をいい状態で売ることしか考えていない。外品の基準についても、日本では絶対に外品になるようなものが普通にスーパーで出回っている。何も知らない消費者にすべてを握られているのが日本の農業の現状だと思う。

この農家は野菜農家であると同時に、道路の並木などを養殖するナーセリーにも力を入れている。今後はナーセリー中心に展開していくようだ。大型トラックを2台所有し、自分の製品のほか、地域の農家の農産物も積載し運送していた。また、帰り道にもオークランドで空のクレートや植物の苗などを積んで帰ってくるという、効率的な使い方をしていた。
 朝7時半から17時くらいまでが定時だが、収穫期はたいてい残業があり、それは日本の農家でもおなじことだと思う。驚いたのは、収穫のピーク時でも毎週日曜日は定休日であること。日曜日は誰も働かず、作業場から音は聞こえない。日本では働けるときに働いて雨が降ったら休みだという感覚があるが、この国ではこのように定休日をとる農家が結構ある。あくまで自分たちの生活重視で、そのあたりにニュージーランドの国民性を感じた。日本人はもっと考えて働くべきだと思う。
 
 オーナーのティムは高校在学中に自分で土地を借りて農業を始めた。最初はナーセリーの類のものをリヤカーに積んで町で売っていた。リヤカーがオート3輪車、2トントラック、大型トラックと変化していった。しかも約8年という短い間にそれだけの製品を作るだけの土地や資産を増やしてきた。彼は行動が大胆で、売れるとわかったら土地を借りて面積を増やして一気に稼ぐ。逆にもう売れないと感じたら土地を売って縮小する、そういうことを毎年行っている。何が売れるのか、どう売ったら売れるのか、そんなことを常に考えているから成長してこられたのだろう。彼はまだ20代。新規就農を目指す自分にとってはとても刺激を与えてくれた農家でした。

(4) 3月8日「ウィルコックス」
  場所:オークランド近郊
内容:大規模畑作(ジャガイモ、にんじん、たまねぎ)
規模:2000(ha)
 研修の最終日、ニュージーランドの大規模農家を視察させていただいた。ここは2,000(ha)もの広大な農地でたまねぎを中心にジャガイモ、にんじん、柿などを生産している。最初にたまねぎの選別の様子を見せてもらった。この倉庫の中に70人もの従業員が選別などの作業を行っていた。この日はヨーロッパ向けの赤いたまねぎを選別していた。その日ごとで内容が変わるようだ。その後農機などを見せていただいたあとで畑へと向かった。全体の規模としては日本にはなさそうな規模だが、ひとつの畑の大きさは予想していたほど大きくなく、日本でも同じような大きさの畑はあると思う。ちがうのは収穫体制だった。畑に出ているのはたったの5人で、一人がハーベスタを運転、他の4人がハーベスタで収穫されたたまねぎを、コンテナをトラクタで牽引する形で受けていた。他に畑上でも走行できるフォークリフトが数台あった。このように、大型機械を使いこなして効率を上げているようだった。  雨の日はどのようにしているのかと聞いたら、倉庫にある程度たまねぎをストックしておいて雨が降っても選別の作業がとまらないようになっている。また畑に出ている人達は機械のメンテナンスをするようだ。また、この企業も日曜日は定休日をとっているようだ。
 ここで生産されるたまねぎ、じゃがいもなどは収穫と輸送の関係から、皮や実が硬いものが多いようで、調理にはコツがいるそうだ。また、ジャガイモは水で泥を落として出荷するらしい。
 
 規模は大きいが、やっていることは日本の農家の延長であると感じた。日本であのようなタイプのジャガイモが売れるかどうかはわからないが、使っている機械や植わっている作物を見る限り、日本でもこの規模の企業ができてもおかしくないと思った。

4.

日本との違い
 この国には日本のように行間を読まないといけないような微妙なことはあまりなく、いろいろな意味ですっきりしている。オークランドの中心部でも7時には多くの店は閉まってしまう。コンビニエンスストアというものもほとんどなかった。夜と休日は家族との時間を大切にしたい、そういう国民性のようで、日本から見たらとても変な感じがするが、逆にこれが当たり前のことなのかもしれない。しかもそれが農業の世界でも通用することに驚いた。
 お店の店員の態度も、日本のマニュアル式がいかに異常な状況であるかがわかった。日本ではたいていの場合お客さんとの会話はすべてマニュアルどおり。会話といえないような会話だ。NZではまったく知らない人とでも世間話が始まる。働いている間も楽しんでいるかのようだった。逆に、マニュアルがない分、まったくしゃべらないでレジを打つだけの店員もいた。
 ニュージーランドの人達は自然が大好きで、夏季は週末になると山、川、ビーチなどにいって遊ぶ。一軒の土地が大きい分庭も広く、見る限りすべての庭が植物で飾られていた。だから日本以上にガーデニング産業が発達しているようだった。これだけ自然を愛する国民性だからか、日本と比べて日本人の言う「遊ぶ場所」というものは少なく感じた。

5.

研修の成果
 今回の研修は技術の習得が目的ではなかったので、身に付いた技術などは特にない。2ヶ月という短い期間で3件の農家を回った。僕の見る限り、この国の農業に日本の農業と大きな差があるようには見えない。基本的には同じ条件でやっている。技術面でもそれほどの差はなさそうだ。日本と同じようにこの国でも個人農家は苦しんでいた。日本と同じだから新しいものが収穫できなかったというより、同じであることがわかって、日本の農業をより客観的に見ることができるようになったと思う。とくに閉鎖的な農村社会においては、常に新しい情報を手に入れ変えていく努力をしないと時代に取り残された産業になってしまう。まだまだ未知の可能性を秘めている産業だけにチャレンジする価値があると思った。

 ニュージーランドの農業を肌で感じることができただけでなく、いろいろな人と出会い、いろんな文化を知ることができたこと、これが一番の収穫である。日本にいると当たり前のことがグローバルスタンダードでは異常なこともよくある。自分の視野を常に広く持つことが大切だと思えるようになったこと、これが一番の成果でした。

6.

これから研修を希望する後輩へのアドバイス
 もちろん日本語なんて通じないので英語でコミュニケーションする必要があります。自分の英語が通じないんじゃないかって、最初は不安でしたが、単語をひとつ言うだけでも会話になる。中学の教科書に載っているくらいの英語が話せるようになったら「英語うまいですね」ってほめられます。だからおそれずに自分からどんどん話しかけましょう。話せば話しただけ反応が返ってきてうれしいものです。僕はひとつよい方法を思いつき、実践しました。英語で何ていっていいのかわからないとき、「とにかく話し始めてしまう」という方法です。「あーー」とか、「ええっと・・・」とか日本語でも大丈夫。とにかく話し始めてしまえば話さないといけない状況になります。そういう追い詰められた状況を自分でつくることによって僕はたくさんの人と友達になれたし英語も上達していきました。「Hi!!」「Hello!!」「Thank you!!」「See you!!」って言うときも、とにかく元気に言えば相手への印象もよくなります。うまい英語が話せなくたって大丈夫。とにかくいろいろな人と話をしていろんな世界を見ることが大切だと思います。



アメリカ国旗 <ニュージーランドでの研修を終えて>

桃野 耕一

 僕は2004年の8月20日に日本からニュージーランド(以下NZと略)に農業研修に行きました。始めの一ヶ月はオークランドで生活をし、オークランドインターナショナルランゲージスクールに語学勉強に通い、英語を早く話せるようになりたかったので、午前と午後の両方の授業を受けました。
クラスメイトと教室にて

★ 農業研修のスタート マイクさんのファームでの研修
マイクさんのファミリー
 始めにお世話になったマイクさんのファームは、牛の数が265頭いる、50/50シェアミルカーで、220エーカーの平坦な土地を持つ農家でした。

 NZには自分の土地で酪農をしているオーナーと、土地を持たないが、自分の牛やトラクターなどは持っていて、オーナーから土地を借り、借りる代わりに収入の半分をオーナーに収める、というシステムがあります。このような人達をシェアミルカーといいます。オーナーもただ土地を貸すだけではなく、フードライザーといってパドックに肥料を入れるなど、土地の管理費などをオーナーも負担することになっています。

 僕がマイクさんのファームに行ったのは9月20日で、そのころのNZは春に当たりますが、たくさんの雨が降りまだ肌寒い日も多かったです。仕事の内容としては、朝4時半に起床、4時45分からミルキングのカップを付け始めるという作業でした。

 朝のミルキングは昼に比べて乳量が多いので時間的には3時間程度でした。ミルキングの終了時間は大体8時半でそれからカップを洗ったり、プラントの洗浄などで、僕は牛が入るヤードの掃除をしました。


マイクさんのミルキングパーラー
 ミルキングパーラーには、20個のカップが付いていて、両端に20頭ずつで方列ずつ搾りました。もうミルクが来てなくて乳房の張りもなくなったら搾り終わりと判断し、反対側の列に付け替えます。

 ミルキング後朝御飯を食べて少し休憩を取り、10時頃にまた外に出ました。春は草も成長が良く、雑草も伸びる時期でもあった為、"セッソル"という日本で言う"アザミ"を駆除する仕事や、地中に埋まっている配水のパイプの修理などもありました。NZは外飼いの為各パドックには必ず一つ、水のみの"トロフ"という水槽があります。

 乳牛にとって水は凄く大切で、毎日水漏れがないか、水は来ているかなどを調べました。パドックの面積はそれぞれ異なるので、牛が草を食べ過ぎないように、いつも気を使っていました。一回では大きすぎるパドックでは、半分に分けるなど調節するためフェンスアップをしました。スタンドとリールの電牧線を使って、パドックを半分に分けるフェンスを作りました。9月には、草だけでは栄養を取れないので、"メイズ"というデントコーンを朝晩二回与えていました。

サイレージには二通りあって、草のサイレージとデントコーンのサイレージがあります。デントコーンは一年に一回、大体何処のファームでも作っています。マイクさんの所はパドックを4つ、約20haぐらい作っていました。12月頃から植え始め、ファームによって違いますが収穫は3月〜4月の半ば位まででした。デントコーンは炭水化物が多いため牛の体づくりの為に食べさせます。よって、子牛が産まれる前にたくさんの栄養を与え、子牛の成長を促進させます。逆にグラスサイレージは、ミルクの質を高める為に牛に与えます。


ブラットリーと僕
カーフクラブで沢山の賞を取った ステフと
子牛のスウィーティーパイ
 マイクさんの子供達ステファニーとブラットリーも牛が大好きでよくファームのお手伝いをしていました。ブラットリーは「将来は農家になるんだ!」と言っていて、農業に誇りを持っているみたいで、それを聞いて感心した気持ちになりました。

 ステファニーとブラットリーは二頭の子牛を飼育していて、毎日ブラッシングや餌や水などを与えていました。学校のクラブにカーフクラブというのがあり、言ってみれば、子供たちが手をかけた子牛を品評するような感じで、子供たちは優勝を狙って大切に子牛に接していました。

 カーフクラブのような子供が子牛を大切に育てて、そして大会を行うという行事は、子供の時から動物に身近に接する機会としてはすごくいい行事だと思いました。


★ 第2のファームステイ ロブさんのファーム研修
 2005年1月4日マイクさんの家から約20分のファームに移動しました。ロバットさんとワーカーと僕の三人で毎日仕事をしました。朝5時に起き、パドックから牛をカウシードに連れていき、5時45分からミルキングスタートでした。ミルキングは大体8時半に終わり片付けをして9時には朝食を取りました。

 その後、家の修理を手伝ったり、アザミを駆除したりしました。ロバットさんの牛は360頭ぐらいいて朝晩の二回の搾乳でした。午後は3時半ぐらいから牛を追い始めて4時にはミルキング開始でした。ここでは一ヶ月の研修のみでした。

 ある日、パーマストンノースというところでロータリーパーラーでの見学とミルキングも体験させてもらいました。そこは60頭入るパーラーで、800頭を2時間半であっという間に終わらせていました。

 ロータリーパーラーは、少ない人数でたくさんの牛を効率よく搾ることが出来ると感じました。ティッツスプレーが自動で吹きかけられることに興味を持ちましたが、やはり流れ作業なのでしっかりとしたケアなどが出来ない点もあり、乳房炎に掛かる牛も多いと聞きました。


★ 第3のファームステイ ロッドさんのファーム研修
ジャージー牛と農場
 2月の4日に、モーリンズビルから近い町にあるジャージー種が410頭のファームに移動しました。ロッドさんはファームのオーナーではなくマネージャーでした。マネージメントシステムというのは、自分一人で農業をするのが困難になった場合、普通のワーカーを雇うのではなくマネージャーの資格を持ち、ファーム全体のバランスやミルクコンディションを全部オーナーに代わって仕事をすることが出来る人に委託することを言います。410頭の牛とファームも全てオーナーのブライアンさんの物です。マネージャーは、そのファームの今の状態を保つのはもちろん、今のファームをよりさらに良くする事も仕事です。

 ロッドさんは今のミルクコンディションを良くするため、色々な事柄をしていました。

1  パドックの管理
草の伸びを常にチェックして、いつどこに牛を入れるかを決める。
広いパドックは1/2のサイズにフェンスアップをして、牛を入れる準備をする。
牛が一日どれくらい草を食べればよいかを計算し、フェンスアップするサイズを決めます。
アザミ、ラグウォットなどの雑草の駆除。
草の成長が悪い時はフードライザーなどの、肥料を追加。
水はけが悪い畑などは、客土、排水の設備を作る。
勾配が激しいパドックはなだらかにする。
レインの幅を広げるなどにより、パドックに置いてあるトロフの水の量を調整する。
コックは正常か?などをチェックする。フェンスの破損、電牧線に電気は通っているか?

2 

餌の管理
フィーダーワゴンでの餌やり風景
 僕がロッドさんの所に行った時は、2月頃だったので、まさに真夏でした。NZは冬に雨がよく降り、夏は乾燥する気候でした。ロッドさんの所では初めて見る餌を与えていました。トゥーナップスという飼料用のカブで、5枚の畑をトゥーナップスにしてそれを毎日決まった分量牛に与えていました。ロッドさんは、カブを与えるとミルクの質が良くなると言っていました。

 ファームを、1herd、2herd(群れ)という風に大きく2つのエリアに分け、1herdのエリアと2herdのエリアを作り、カブの畑も二つに分かれていて別々のエリアに牛を入れます。

 3月半ば、草の伸びも最悪でパドックの回転を遅くしました。グラスサイレージの量も増やして、カブ、メイズのサイレージ、"パームクーノル"というヤシ、コーヒー粕などを粉末にしたものなどを与えました。デントコーンの収穫もして大きいストックを作りました。季節的には、牛の体内にいる仔牛が大きくなり、段々と乳量が減ってくる季節でもありました。

 パドックは全部で約60箇所、約151ヘクタールで、パドックシフトのペースは30日のサイクルでした。春など、草が良く伸びる時期は、25日のシフトサイクルでした。春は草の伸びが早いからといってあまり草を伸ばし過ぎると、牛がパドックに入った時草が多すぎて全部綺麗に食べきれずに草が残り、次に新しい柔らかな草が生えてこなくなり乳質も落ちるという事でした。餌の管理は一番大変だと思いました。NZみたいに放牧だと気候に凄く敏感でロッドさんは雨が降ると凄く喜びました。僕も雨が降ると嬉しかったです。

3 

牛の管理

 2ヶ月に一度、ハードテスティングといって日本で言う乳検が行われます。ハードテストの人がファームに来て機具をプラントに付け、一頭一頭の乳量、プロテイン、脂肪、その牛が乳房炎にどのくらいなりやすいかの数値などをデータとして出し、その数値があまりにも高い場合は乳房炎になっていないかをもう一度チェックします。

 牛は意外にあっけなく死んでしまう事があると思いました。ちょっとしたファーマーのミスで次の日牛が死んでいるという事もあります。例えば、ドレインにフェンスを張るのを忘れそこに牛がはまり次の日死んでしまったり、丘で横転し首の骨を折って死んでいたりなど、ファーマーは常に危険な所を見つけてそういった事故を未然に防ぐというのも大切な事だと思います。


ニュージーのすばらしい朝焼け
 NZのファーマーは6月から新しいシーズンが始まります。その為、大体のワーカーが、新しい仕事場を探して移動を始めます。ロッドさんも、新しいワーカーを探して、何人もの若い人達を面接していました。NZでは、ファーマーは人気の仕事です。

 NZの生活は、始めは慣れるまで大変だったのですが、ゆったりとしたNZの人達の生活はとても過ごしやすかったです。自然が綺麗で、良い人が多かった様な気がします。

 NZでは3軒のファームに行きましたが、毎回自分が気にかけていた事は、そのファームごとに生活の仕方が違う中で、自分がどれだけ合わせていけるかと言う事でした。自分では伝えなくてもいいと思える事でも、周りで生活している人は意外に気にしていたり、研修生の気持ちを知りたいと思っているのではないかと感じました。感情は素直に顔に出し、表現することが大切だと思います。

 自分がやった事がそのファームの歴史にずっと残ると思うと、毎日大きな仕事をやらせてもらえているんだなぁと思い一つ一つ大事に、仕事をさせてもらいました。会う人会う人皆温かく迎えてくれて、僕はNZの研修を凄くいいものにすることが出来ました。今は、ある農場で牧草の仕事を思いっきり勉強、仕事、としてやらせてもらい、NZでやってきたことを活かせたらいいと思います。

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