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アメリカ国旗 新しい世界、そして新しい自分
<アメリカ・バーモント州ミルボーンファームで1年半実習して>

鈴木 敏文

 2003年3月に帯広畜産大学別科を卒業して、ある一般企業に1年半勤めた後、両親の牧場に後継者として就農しました。しかし家族が作り上げた酪農の基盤を“ただやればいい”という考えの甘さがあると気づき、言葉も生活習慣もまったく異なる地で酪農実習を行う事を考えるようになりました。それによって、自分の酪農への知識と技術の向上、そしてなによりも得難い人生経験ができると思い海外での酪農実習を希望しました。そのとき北海道国際農業交流協会の存在を知りました。
 
 私は隣りの国、カナダの酪農をも体験したいと考え、実習先をアメリカ北東部に希望しました。その後、アメリカ北東部のカナダに隣接しているバーモント州のミルボーンファームでの酪農実習が決定しました。なんて美味しそうな名前の州なんだと思い、出発への期待と不安を膨らませました。

 アメリカ出発前にしたことはやはり英語の勉強でした。中学・高校では大の英語嫌いだったのでこれではいけないと思い、必死に英会話を重視して勉強しました。そして2005年の8月13日にアメリカへと出発しました。まず最初にプログラムの一つである語学勉強のために、ミネソタ州のセントポールで4週間ホームステイしながら、語学学校に通いました。その後、世界各国から私と同じプログラムの人々がミネアポリスで集まり、3〜4日間のオリエンテーションに参加しました。そこでプログラムの規則や実習先での注意点を学びました。
 私は語学学校とオリエンテーションではまったく英語がわかりませんでしたが、かたことの英語とボディーランゲージで気持ちを伝え、沢山の国の人と仲良くできました。まさに生まれて初めての英語を使ってのコミュニケーションでした。そして、ミルボーンファームがあるバーモント州に向かいました。 

 バーモント州は北海道とほぼ同じ北緯に位置し、気候もよく似ていました。東には日高山脈に似たグリーン山脈があり、まるで十勝にいるようでした。この州の主な産業は酪農とりんご、メイプルシロップです。秋には世界有数の紅葉の名所でもあり、世界各国から観光客が訪れます。ミルボーンファームは丘陵地域のショーハム地区にあり160頭の搾乳牛、約450エーカーの畑を持っています。家族は親方のガートと妻のアーダ、娘のケルシー、息子のデニスの4人家族です。

 親方と奥さんはオランダ出身で、結婚後新規就農するために2つの牧場で一緒に10年以上実習していました。この地に入植したのは1999年です。牛舎自体は1989年に建てられ、パーラーは比較的新しく広々としていました。今までに国外から4人の実習生を受け入れ、東洋人は私で初めてだったようです。私がこの牧場に来た当初は従業員が三人いましたが、その後一人になりました。
 私はこの家族の家で一緒に過ごし、朝昼の食事は自分で用意し、夕食は奥さんが作ってくれました。私の主な仕事は搾乳と搾乳牛・育成牛のえさやり、除糞、そしてベッドメイキングです。他には哺乳を行なったり、農機具の修理やメンテナンスなどを手伝いました。ミルボーンファームでは収穫機具を持っておらず、全て委託していました。播種や収穫を行わない分、手間が減り機具の維持費を抑え、なんといっても機具や倉庫がないので敷地内がすっきりしていました。

 バーモント州の牧場では糞尿用の溜め池を持ち、定期的に畑に散布していました。これもまたミルボーンファームでは委託していました。コントラクターが持つ収穫機器やミルク集荷車などは日本とは比べられないくらい大きくてびっくりする日々でした。

搾乳

 搾乳は8Wのへリングボーンパーラーで行い、一日三回搾乳です。私は朝5時に起床、するとすぐにパーラーに入り、搾乳の立ち上げの準備を始めます。次にフリーストールにいる第一グループの牛をホールディングペンまで追い込みます。パーラーへの牛の出入りは比較的スムーズに進みます。第一グループが終わると、第二グループをフリーストールから追い込んできて、同じように搾乳を行います。

 第三グループも同じですが、脚腰が悪い牛が多いので追い込みは無理なく、そして健康チェックも欠かせませんでした。毎朝第三グループを搾乳しているときはたいてい親方が第三グループのペンの除糞とベッドメイキングを行います。搾乳後はパーラーとホールディングペンを掃除します。ミルボーンファームではこれらの作業を全て一人で行います。

 最初は5時間から6時間かかっていた搾乳時間が、次第に4時間前後で終えることができるようになりました。基本的に平日の昼と夜の搾乳は従業員が行い、週末は親方や奥さんが搾乳する機会が増えます。私は朝の搾乳を担当していましたが、週に数回は昼も行いました。最初乳房炎の牛を発見したときは戸惑いましたが、すぐ治療できるようになりました。分娩後まもない牛の搾乳もすぐに対処できるようになりました。搾乳中はリラックスできる反面緊張もありました。なぜなら私自身の搾乳方法、日々の牛の健康管理、えさやりによって乳量が変化するからです。乳量が上がった日はとても嬉しかったです。 

牛の管理

 牛舎内の牛のグループ分けは、若いグループとそうではないグループ、脚腰の悪い牛と分娩後まもない牛が混ざったグループの3つでした。フリーストールの除糞は自動のアーリースクレーパーがしてくれます。とても便利ですが、よく故障するので私と親方は糞塗れになりながら修理します。糞尿はスラリーにしてから溜め池に送られます。フリーストールのベッドには週に一度大鋸屑を追加します。ベッド上に新しい大鋸屑を敷き終わった後は牛がはしゃいで、その後気持ちよさそうに横になっているのをみるととても心が休まります。

 私はベッドメイキングがとても大切だと感じました。例えば大鋸屑と土があまりなくて牛が横になって自然にできた窪みに牛体がはまりパイプが邪魔をし、牛自身で起き上がれなく朝の搾乳する前に牛を追い込む際死んでいたということが何度かありました。牛はとてもデリケートな動物だと思いました。だから私は牛の健康を見極める力はありませんが、不調な牛・分娩が近い牛・発情の牛・異常がないか・設備が破損していないか毎日何度もチェックしていました。
 
 フリーストールで生活している牛は蹄がすぐ伸びます。だから削蹄師は3ヶ月に一度きます。日本で見るよりごっつい削蹄用の枠場で40〜50頭の牛を二日間でやってもらいます。乾乳牛は夏は放牧地で過ごし、青々とした新鮮な草を食べながら、自然に近い状態で分娩することができます。冬は牛舎内にあるペンで過ごし、そして分娩もそこで行います。授精はある精液業者の授精師が毎日来て発情の牛がいれば授精するというシステムでした。毎日来るので発情の見逃しが極度に減ります。

 ミルボーンファームでは牛乳や牛体のデータが算出されるミルカーは持っていません。だから乳検や日ごろのデータをパソコンで管理していました。そしてアメリカには農協がありません。だからファームのお金の管理や取引も自分たちで行わなければいけません。私の親方は労働時間やプライベート以外はずっとパソコンの前で仕事していました。まさにマネージャー兼労働者といったところでしょうか。

えさやり


 ミルボーンファームでのえさ代は支出全体の40%を占めています。それはとても高い値だと親方は説明してくれました。主な粗飼料はアルファルファとコーンです。アルファルファはなんと年に3回も収穫できるので時期や栄養を考えて収穫をしていました。高品質の粗飼料を手に入れることで飼料代をうかせることができます。飼料はキャノーラ・プロテイン・コーン・ブレッドミールの4種類のものを使用します。一度に沢山の量を注文するので、安く手に入れることができます。搾乳牛には一日3回TMRをミキサーで与えます。育成牛は一日一回です。

 バンカーサイロはとくかく巨大でした。私はスキッドステアを使い、サイレージや飼料をミキサーに入れます。最初はスキッドステアを使いこなすのにとても苦労しましたが、すぐに慣れ除糞の際もなにをするときもそれを使っていました。スキッドステアは私の仕事をする際無くてはならない存在で、ベストパートナーでした。私の牧場でそれに乗れないのが寂しいです。

バーモント州の夏は日本と同様高温多湿です。酷いときは朝与えた比較的古いえさが夕方には酸っぱい匂いを放ち、採食率を減らします。よって酸っぱいサイレージはいつまでも残ります。夏は特にえさやりが大変で乳房炎になる牛の割合も増え、えさ作りはとても大切なんだと実感しました。
 
 私のプログラムは1年間でしたが、この牧場での実習が楽しくてもっと勉強したいという気持ちでいっぱいだったので、実習期間を6ヶ月延長しました。私は牛のショーが好きでこの1年半の実習期間中、2つの大きな牛のショーを見に行きました。それはウィスコンシン州のマディソンであったワールドデーリィエキスポとカナダのトロントであったローヤルフェアです。

 ワールドエキスポでは授精師でもある牛好きな弟がミルボーンファームに遊びに来て、エキスポを一緒に参観しました。両ショーでの出品牛は日本でのショーとは格段にパワフルで体格が大きく、特に乳房の大きさや乳動脈の美しさは格別でした。牛が他の動物に見えました。そして沢山の日本人も訪問しており、色々と話をする機会があって嬉しかったです。ショーでは最新の農機具の展示販売があったり、他の動物のショーやイベントが行われていました。

 私がこの2つのショーで一番思ったことは、農業関係者だけではなく一般の人々が気軽に見学して、市民や子供たちが様々な動物に触れたり見たりして楽しんでいました。農業がとても身近なものでした。日本では見られない光景でした。日本でももっとみんなが気軽に参加できる場所を作らなければならないと思います。そうしなければ、農業の価値が失われ、食や生命の大切さが永遠に軽視されると思います。
 そして私は3つの酪農ツアーにも参加しました。ミルボーンファームがある郡内での付加価値をつけた牧場を見学するもの、カナダの酪農と有名な牧場、最新搾乳ロボットを視察するもの、アリゾナ州の超大規模経営を視察し、その後ネバダ州での酪農の学会に出席するものでした。

 1つ目のツアーでは、チーズやヨーグルトを作る牧場や最新の設備を持つ牧場、州名産のりんご農家を視察しました。同じ地域でも様々な特色を持った農場を見ることができて嬉しかったですし勉強になりました。農業の可能性や希望を与えてくれるものばかりでした。農業を基盤に、本業以外にも力をいれ、農業の楽しさを教えてくれたような気がしました。

 2つ目のツアーでは念願のカナダの酪農を体験することができました。私たちはバーモント州とニューヨーク州、カナダのケベック州の様々な牧場を視察しました。搾乳ロボットを導入している牧場を訪れたときは、そのハイテクさとロボット数に感動しました。その狙いは労働の軽減とゆとりの確保でした。日本にもこの考えを広めてほしいです。

 そしてこのツアーで一番印象深いのは超有名牧場であるコムスターやラ・プレゼンテーション牧場を見学できたことです。とてもゴージャスな牛たちの写真を撮るのに一生懸命でした。そしてその素晴らしい牛たちを作り出すべき設備や飼育方法を聞いたり、調べたりして私の将来に役立てようと考えることができたのは大きな収穫でした。牛が機械で管理され、はたまた商品化されている現状を目の当たりにし、まだまだ日本の酪農は百姓の社会のようなイメージでしか考えれませんでした。
 そしてこのツアーでいくつかの州立大学農学部の学生と一緒に行動し、酪農や牛について会話ができたのが楽しかったですが、日本語も同様英語でも農業の専門用語が沢山あり、聞き取りづらかったし、とても苦労しました。しかし帰国した今でも、伝えようとする気持ちが一番大切なものだと思います。恥ずかしがらず、間違っても問題ないので、気持ちを口に出してみましょう。そして気持ちが伝わったときはとても嬉しいです。

 最後の3つ目のツアーでは、ある酪農研究機関のメンバーと一緒にアリゾナ州に行き、それぞれ3千から8千頭もの搾乳牛を持つ3つの牧場を見学しました。全てアリゾナ州立大学がデザインしたサウジスタイルという屋根もないフリーバーンで牛を飼っていました。そのスタイルは夏でも涼しく高乳量を維持できるそうです。

 訪れたのは3月上旬だというのに、気温は25度(湿度は10%以下)を超えていました。暑さに弱いはずの牛、と思っていた私ですがこれらの牧場では一日一頭当たり75〜80lbsの牛乳を生産しているのが驚きでした。ちなみにアリゾナ州の一頭当たりの平均乳量は約10,000kgで全米2位です。アリゾナ州は乾燥地帯なので糞尿はすぐ乾燥します。だからフリーバーンからの除糞作業がなく、ただ専用の土均し機で均すだけです。しかし逆に、水の確保がとても厳しいようです。

 48頭搾乳可能なロータリーパーラーを2つ持ち24時間稼動させている牧場、50〜70Wのパーラーを持つ牧場があったりと、日本では考えられない次元でした。ただただ牛の数と施設のスケールの違いに驚くばかりでした。これらは牧場ではなくまさに工場だった、と強く思います。大規模で牛乳を大量に生産し、経営を考えたら農家としては理想かもしれませんが、生き物や食べ物を扱っているということでは無機的な感じで機械を作っている感じでした。牧場視察後の学会では講義はもちろんのこと、多くの酪農関係者と話をできる機会があったのでとても勉強になりました。

 私は実習生にもかかわらず、このような数多くの牛のショーや酪農ツアーに参加できました。親方や家族のみなさんにはとても感謝しています。
 
 ミルボーンファームでは付加価値事業として飲むヨーグルトを作っています。パーラーに併設したヨーグルト作り専用の施設があり、オレンジとストロベリー、バニラ味の3種類のヨーグルトをだいたい週一回作ります。朝搾乳した牛乳をそのまま使用します。だからとても美味しく、しかも全て天然の香料や材料を使用しているので、風味がよく滑らかな舌触りでした。そして健康に良い菌が沢山入ったプロバイオティクス商品でもあるので、私は好んでほぼ毎日飲んでいました。でも朝搾乳の担当は私だったので、私の搾乳次第で味が変わったらどうしようかと思い(クレームや注文数の減少も心配)、特に衛生面に気をつけて搾乳しました。
 最初バーモント州だけが販売領域でしたが、ボストンやコネティカット州などから注文があり、販売拡大に成功していました。注文の多いときには週二回作るときもありました。一番大変で人手が必要なヨーグルトをボトルにつめる工程では、私もよく手伝っていました。牛舎に食品会社があるような感じでした。そのときに衛生やマーケティングについて親方が話してくれました。

 牛乳は私たちの力で形を変えることが可能なので、とても魅力ある産物だと思います。そして市販されている牛乳ではなく、私たち自身がこだわりのえさを与え、育て、搾乳した牛乳を使い加工して、販売あるいはお裾分けしてみんなが喜んでもらえるのが、愛を与えたりもらったりする関係なんだと思いました。牛乳はまさに生活だけを豊かにしてくれるばかりではなく心を豊かにしてくれます。

実習生活での一番の生命線は日本から持ってきたパソコンです。日本との連絡手段も日本語と接することもあのパソコンがなかったらとても大変でした。また日本食を家族に紹介するときもとてもパソコンが活躍しました。調理方法を調べたり、聞いたりととても役に立ちました。今までにカレーライスと肉じゃが、豚の角煮、和風スープ、ロールキャベツ、和風野菜炒めなどを作りました。家族のみんなはとても喜んで食べてくれて本当に嬉しかったです。文化鍋で米を炊いて成功したときも最高に嬉しかったです。

 ミルボーンファームに来て半年を経過したころには、車の運転に慣れてきました。冒険心や探究心が強い私は休日、ほぼ毎回夏は湖・ハイキング・ドライブ・博物館・史跡・映画館など、冬はスキーやスノーボードをしに出かけていました。休日なのに家で過ごすのが嫌でしたし、せっかくアメリカにいるわけですから、その土地柄や歴史、大きい町とその地域の機能などを知りたかったからです。自転車で20・40km先の町まで出かけたこともありました。

 一番近い人口8000人の酪農・ショッピング・アウトドアの拠点となるミドルバリという町が一番のお気に入りです。そこには外国語大学があり、そこの学生と友達になりディナーやスポーツ観戦をしたり学内のイベントによく参加していました。とても活発な大学だったので休日は足りないくらいでした。そこの大学には農学部がなかったのが唯一残念なことでした。

 しかし、ある日バーモント州立大学農学部の学生と知り合い、その出会いで私の酪農実習がより濃いものになりました。その大学はミルボーンファームから1時間くらいの州最大のバーリントンという都市にあります。私は彼と一緒にバーモント州の酪農家の実態を調査したり、彼の大学を案内してもらったり、食事もしました。州立大学ともなれば敷地や施設のスケールが日本よりかなりでかく、州内への影響はかなりのものでした。わかりやすくいうと、第一から第三次産業の拠点となる一つの公共施設でした。またアメリカの学生は日本の学生より、夢・志し・自立心をきちんと持っていました。だから年下のはずの学生たちが私より人間として大人だと感じました。そこは私も日本人の若者すべてが見習わなければいけないと思いました。
 
 アメリカで生活して酪農家や学生と触れ合う中で思ったことは、仕事と娯楽をバランスよく保ちきちんと生活の一部にしているところです。アメリカの酪農家は時間の余裕を持ち知人と情報交換したり、パーティーによく参加して時間を楽しんでいました。そして親方は帆船を所有し、平日・週末関係なく、私や家族、知人を連れておしゃべり、時間そして自然を楽しんでいました。冬は家族でスキーにも行きました。これらは娯楽ですが、自然と深く密着しており、自然体験学習ともいうのでしょうか。またアメリカの10代の子供たちは完全週休二日制で日本よりも短期・長期連休が沢山あったと思いますが、子供たちはその都度、自然と触れ合い成長していくものだと感じました。

 私にとってアメリカ特にバーモント州は第二のふるさとになりました。初めて迎えた冬に冬季オリンピックがソルトレイクシティーで開催され、私は日本人にもかかわらず、アメリカの選手が味方のように感じました。しかも言葉も文化も習慣も方角もまったくわからない大地で私は1年8ヶ月の間、多くの人と出会い、親切にして頂き、人の優しさや愛のおかげで今の自分があります。

 実習後アメリカの国立公園を巡る旅をしましたが、本当に自然は素晴らしいと感じました。人間として次世代にこの素晴らしい自然をいつまでも残していくのはもちろんのこと、酪農家として何ができるか考えていきたいです。海外から訪れた日本に慣れない方々にも優しい助けをあげたいです。

 外国人は日本や日本人を知りたがっています、話したがっています。そのためにも私たちは日本をもっとアピールすべきです。そしてもっと英語を勉強するべきです。私たちが生活する場所は日本だけではありません。地球規模です。私はアメリカで実際に体を使って酪農実習することで、新しいスキルと知識を得ることができました。英語とコミュニケーションの能力を伸ばすことができ、将来の視野が広がりました。これからも親方やアメリカの友達と連絡を取り合い農業や文化について意見交換したいです。

 日本に帰国して「あのときもっとファームのことを考えて行動しとけばよかった」や「もっとやるべきことがあったんじゃないか」と感じます。しかし、親方を始め多くの方々が暖かく接してくれました。私の実習生活が半年を過ぎたころには沢山の仕事を任され、その責任の重大さをかみ締めながら充実した日々を送ってきました。きっとミルボーンファームの歴史に大きく残ると思います。この実習は私にとって最高の思い出となり宝です。とにかく色々なことを勉強でき体験できて本当にありがとうございますミルボーンファーム、いやミルボーン大学。 
 “まいにちまいにち”これが農業・酪農の好まれない一つの理由かもしれませんが、私は、それだけこの“農”というものが生活の中にとけ込んでいるのだ、と胸を張って言うことができます。自信を持って言えます。「動植物の生命」を肌で感じることによってその大切さを知り、そしてそれらを介して「人の生命」を育んでいることへの誇りこそが酪農の一番の魅力であると言えます。

 支えて頂いた両親や友達、農業関係者にはとても感謝の気持ちでいっぱいです。感謝しても感謝しきれないくらいです。私はまだまだ一人の大人として未熟ですが、アメリカ・ミルボーンファームで得たことを将来に、そして農業の未来に最大限活かしていきたいと思います。 



アメリカ国旗 <アメリカでの研修を終えて>

今野 達雄

 私はアメリカでの2週間の英語研修を終了した後、ノースダコタ州のジェームスタウンにある家族所有の大規模経営の農場に派遣されました(1965年創立)。現在ここの農場では、大豆2,600エーカー(1,053ha)、トウモロコシ1,500エーカー(608ha)、ひまわり600エーカー(243ha)、小麦150エーカー(61ha)などの栽培がされています。

 ここは、自家の経営と比較して機械や経営の規模がかなり違う事に最初驚きました。私は、テレビのニュースでアメリカの小麦の収穫作業を見たことがありますが、本当に実際に体験した事は私にとってすごく貴重な体験のひとつとなりました。
 収穫では、大豆ととうもろこしといった二大穀物を大型コンバインで9月と10月の二ヶ月間かけて収穫作業を行いました。コンバインのオペレーター作業はアメリカでの体験が初めてであり、最初は農場主さんと共にコンバインに乗り大豆畑で操作方法を教わりました。

 収穫作業は5台の同じ機種のコンバインが同じ畑で一斉に収穫を行うシステムをとっており作業機械も大きく、さらに収穫面積が広い為1日約86エーカー(35ha)のペースで収穫作業をしました。収穫作業時には機械のメンテナンスがとても重要な作業であり、毎日始業時に機械のオイル類の点検と各連結部分にグリスを注す給油作業が収穫時の仕事として与えられました。また、収穫時は常に危険が伴い慎重さが求められ自分の操作した農業機械に対して責任を持ち作業をする事の重要さを再確認することになりました。そして、今回のコンバイン収穫作業体験は私が自家で経営していく中できっと役に立つと思います。
 
 その他、私の日常の主な仕事は運搬車のトラック、トレーラーの修理とオイル交換などの仕事を行い、機械の修理作業ではコンバイン、トラクター、タイヤショベルの修理が主になりトラクターやタイヤショベル機械の油圧部分の交換があり、時には溶接機械を使い連結部分の破損箇所の溶接作業を行いました。

 私は農場で働く専門技術員さんに付きロシアからきている3人の研修生と共に機械の回転部分のベルトやチェーン類、プーリーなどの破損箇所の修理などを手伝い技術向上に励みました。修理作業には大型ドリルや金属切断機なども使用し常に安全を確保し慎重に作業を行いました。
 さらに、農場外の体験として農場主さんと共に多くの農業機械の展示会や農作物の説明会に出向き新しい大型の機械視察や新品種の作物の説明を聞きました。 

 ノースダコタでの生活では住居としてトレーラー型の家(通称;トレーラーハウス)という住居が与えられ毎日の食事は自分で購入し調理を行い自炊していました。食事は朝食、昼食、夕食の3回を自分で料理をする事はとても大変な事だし、忙しい時に料理をすることが嫌になることも時々ありました。また、ご飯を毎日作るのは大変だと母に感謝しました。
 
 ここでは自動車の運転免許証の取得にも挑戦してテストを受けてノースダコタ州内有効の免許証をなんとか取得することができ毎日の通勤と食料の購入の足として自動車を購入しました。そして、よく週末には農場主さんが私を食事に誘ってくれて、日本食レストランやメキシコ料理レストランへと農場主さんの家族と一緒に食事に出かけ、また農場主さん宅で農場主さんのご自慢のお手製料理をたくさん美味しくいただきました。
 
 農場主さんには、3人の子供さんがおり9歳と7歳の二人の息子さんと5歳になる一人の娘さんがいて時には一緒にテレビを見て外ではサッカーやキャッチボールなどをして遊び楽しい時を過ごしました。また時にはダンスパーティーにも招待され恥ずかしながらも楽しく過ごしました。ここでは、2005年6月から12月までの約7ヶ月間お世話になり。多くの技術向上とたくさんの楽しい思い出を作る事ができました。 
 その後、私の次の研修場所としてフロリダ州の北に位置するタラハッシーと言う町にある家族経営のハンティング大農場に派遣されました。(2005年12月から2006年3月まで滞在。)

 現在ここでは、松材生産10,000エーカー(4,050ha)、のウズラの生息環境、カモの池、母屋の近くには多年草庭園と温室があり、狩猟管理と木材生産や多年草庭園3エーカー(1.2ha)の管理が主の経営内容です。また、温室ではオダマキ、パンジー、スミレ、ケシ、キンギョソウ、カメリアといった数多くの花が栽培され、庭園の花壇に移植されています。ここでは冬の間は、松の樹木の刈り込みや庭園植物の手入れ、多年草の植え付け、温室での播種作業を冬季の主な作業として行いました。
 
 また、一年生植物の植え付けと枯れた植物の摘み取りは庭園の美しさを保つ大事な仕事の一つです。庭園にある針葉樹の刈り込み作業は造園師さんに樹木の刈り込み方を教わり、枝の伸びた部分を選定ハサミとエンジン付きのバリカンを使って刈り込み作業を行いました。刈り込み作業は慎重に必要な分だけ刈り込まなければならない難しい作業ですがとても興味が湧き楽しく作業を行う事ができました。

 他の作業としては花卉、野菜、植木の移植作業と潅水管理と植物に液肥散布を行う温室管理が主な作業でした。移植作業は花と野菜の苗をセルトレイから5インチ(12cm)のポットへ移植し、潅水作業と液肥散布は造園師さんから指示された植物に適切な量を施用しました。ここでは芝刈り機、トラクター、樹木用バリカンなどの造園機械の操作技術と管理技術を身につける事ができました。
 
 今回のアメリカ研修では畑作部門と園芸部門の農場2つの農場に入り専門的な作業に従事し機械操作やたくさんの技術を得る事が出来ました。そして研修では各国から来た沢山のすばらしい目標を持った友達が出来た事が一番の思い出です。
 時には意見の違いで喧嘩もたくさんしましたが、お互いいろんな意見や夢などを話したりそれを実現させる為にアメリカで一緒にがんばった仲間といい思い出と貴重な人間関係が作れて良かったなと思います。

 今後、自家ではアメリカで見てきた経営体系や機械利用体系などの考え方や操作技術を応用して農業経営をしていき、後に地域の青年部に入りアメリカでの体験を活かし地区の優良農家を目指して活動していきたいと考えています。



アメリカ国旗 <米国農業研修報告書>

吉田 隆徳

 僕は、2005年6月の始めから次の年の6月まで約一年間アメリカで実習しました。実習した所は、バーモント州(2005年6月中旬より9月中旬までの3ヶ月間)とカリフォルニア州(2005年9月中旬から2006年6月中旬までの9ヶ月間)の2つの農家でした。
 最初のバーモントの農家さんは、酪農を楽しもうという感じがした所でした。アグリツーリズム等、非農家の人との交流を大切にしたり、たくさんの種類の動物を飼ったりするなどして経営を楽しんでいるようにも見えました。あと面白いのがムーブハウス(動く小屋)で、鳥小屋なのですが、トラクターで引っぱる事が出来て、毎朝牛の牧場の移動とともに小屋を動かすユニークな仕事もしました。その小屋も手作りで、手伝いに来た大工の人と一緒に仕事の話などをしたことも良い思い出です。

 あと、この農家さんの特徴は、牛をより自然の環境で育てようとしていることです。その結果、牛のストレスを減らすことができ、さらに支出も減らせることです。僕がこの牧場にいた時はまだ準備段階でしたが、いろいろ興味深い話を聞かせてもらいました。
 次の農家はカリフォルニア州にあり、たくさんの牛を飼っていました。僕の仕事は、搾乳や餌やり等、基本的な仕事の繰り返しでした。この農家は前回の農家とは違い、乳量をどんどん増やし、そして乳質も良くしていくというものでした。いい牛をどんどん増やし、悪くなった牛をすぐに出す(処分)という経営の仕方で、これは僕の理想に近いやり方でした。だけど、実際にやってみて疑問に思ったのも事実です。

 ここの農家さんの特徴は、ボスが酪農をする前は牛の繁殖の研究をしていたらしく、繁殖の事はとても詳しい人でした。だからこの牧場にはたくさんの優秀な牛がいて、中にはある部門で全米ナンバーワンを取った牛もいたほどです。ミーティングを週一回一時間程していたのですが、その時間を使っていろいろと繁殖の事や血筋の事などを教えてくれたりもしました。英語の理解に苦しんで、少ししかわからなかった事が残念でした。

 ここの牧場は、僕の他に8人の海外実習生が働いていました。彼らと9ヶ月生活を共にしていろいろな事が学べました。各国の家庭の違い、文化の違い、仕事の違い、それに日本に対する考え方(イメージ)も少し理解できたように思います。家は狭かったけど、おもしろく思い出深い日々でした。各国の料理を作って皆で食べたり、中には僕の名前を入れた歌を作って歌ってる人もいました。彼の国の言語で歌っていたのでどんな意味なのかはわかりませんでしたが。

 今回の研修で得た成果・収穫はたくさんの経験を重ねた事だと思います。仕事だけではなく、友人や出会った人達との交流も僕はこの研修の収穫だと思っています。
 これから研修を希望する後輩へのアドバイスは、写真をたくさん持っていくとい良いと思います。両親、家族の写真や農家の方ならトラクターや変わった機械、特徴のある建物等々。(僕が持っていった写真は行く直前に撮った両親とその時にいた家族の2枚だけであとで後悔するはめになりました。)
 しかし、とても楽しかった一年間でした。



アメリカ国旗 <アメリカの農業研修で、自分を見つめ直す。>

今野 大吾

 2004年春・・・北海道農業大学校を卒業後、アメリカへの農業研修の話が決まった。5月20日に日本を離れ、ミネソタ州(ミネアポリス)で2週間の英語研修、またオリエンテーションを経て農場へ派遣された。農場はアメリカの協会の方で要望を通して選定して頂き、私のアメリカ生活が出発した。

  私がたどり着いたのは、アメリカ東部・ニューイングランド地方。アメリカでもっとも面積の小さい、そして海に囲まれた自然美しいロードアイランド州だった。私が滞在したのは、ここショートナーファームだった。ここは約80haの面積を所有し、種類多くの野菜類の生産・ハウスにおける花の栽培・ストロベリーやブルーベリー畑を管理している。また自家に店や花屋を他に4店舗所有し、ファームで生産された野菜・花が店頭に並べられる。





 私はここで他国からの研修生と丸1年の月日を過ごした。ハンガリー・ブルガリア・ブラジルなど、約10人と・・・、時には性格や文化の違いで気に入らない所もあったけど、同じファームで過ごす者だけにわかる仲間意識だとか生活の違いから人間性を尊重するようになり、いつの間にかまるで兄弟のような関係になった。
 
 「俺らは国の代表として国と国をつなぐ架け橋なんだよなあ〜」と真剣に話したこともあった。馬鹿みたいに飲みまくったり、ふざけあったりしたあのときが今は懐かしくもあり恋しい。でも他国に友達がいる自分は幸せを強く感じている。これからも大切な友達であり続けたい。

 1年のアメリカでの農業生活を振り返ると、店では夏場に畑で採れる野菜がずらりと並んでいた。たとえばレタス、ブロッコリー、にんじん、食用ビート、カブ、ほうれん草、トウモロコシ、イモ、トマトなどまだまだ沢山の作物の生産をしている。またハウスは約50mハウス12本。少しはずれの敷地に5本。例えば春先にはパンジー、チューリップ、ユリなど、それから夏場にかけてはキク、秋からはクリスマス用のポインセティアなど。実にシーズンなく、数え切れない程の種類に圧倒された。

 また、このようなガーデニング用の花だけでなく切花・フラワーアレンジメントでもお客様に提供している。店の周りにも他に庭木も種類多く売られている。店の中も野菜を中心にプレゼント用の小物やベーカリー・古い家具も店に並んでいる。

 国道沿いに位置するこのファームは、いつも多くのお客様でにぎわう。ファームでは多くのイベントが年間通して開催された。6月下旬からイチゴ狩りがはじまり、このシーズンが終わるとすぐブルーベリー狩りがはじまる。

 9月にはフォール・オークションという庭木やガーデニング用資材がオークションにかけられる。この後、10月31日のハロウィンまでの期間、約1ヶ月余り(週末にかけて)パンプキン・エクスプレスが実施された。トレーラーにお客様を乗せトラクターでファームを案内しながら畑に並べられたカボチャまでたどり着くもの。ファームで生産された新ジャガを使ったフライドポテトの販売も行った。

 11月下旬からはクリスマスに向け花はもちろん、クリスマスリースの作成を自ら行い、ファーム産の種類多数の松が使われる。また、クリスマスツリー畑を持ち、お客様が選び、自ら切り倒す。・・・などなどファームではこのようなイベントが沢山ある。そのほかにも祝日に向けた花の栽培には力を入れている。





 私は毎日を過ごす時の中で、このファームに強い魅力を感じていた。それは私がこちらにやって来た当初から研修を終えるまでいつも感じていた。それはやはりこの様な土地(場所)・気候条件・多くのイベントなどの条件を最大限に生かしたお客様(消費者)とのコミュニケーションだった。お客様とのふれあいをいつも大切にし、そして農産物を提供していく。消費者との壁を作らず、安心・安全の言葉が前面に伝わってきた。今の日本と言うよりこれからの日本の課題に直面したように感じた。また、これが我々次世代を担う者の任務にも聞こえてくる・・・。


 1年と言う時間の中で、私はすべてのファームでの仕事に従事させてもらった。振り返ると、本当に中身のいっぱい詰まった生活を過ごせる事が出来た。すべてが初めてで、すべてがとても新鮮に思えた。一人の自分と周りの温かい人たち・・・。ほんの少しの事ではあるけれど、行動一つにしても、考え方一つにしても、何か新しい自分に出会えた様な気がする。

 実は私がアメリカ行きを希望した理由は、もちろん農業研修、そして自分自身をもう一度見直せるチャンスだと思ったからだった。もう一度、自分の輝いている姿に出会いたいと強く思ったからだ。何も知らない世界に飛び込むのは簡単なことではけしてなかった。しかしそこで過ごした時間は、何にも変えられなく、ただ自分の中にだけはっきりと刻み込まれている。今本当にいけてよかったと思うし、本当に自分は幸せに感じる。その背景に存在する両親には感謝の気持ちが尽きない。

 いつの日か、私が1年生活したアメリカのショートナーファームに両親を連れて行ってあげたい。これからそんな両親と今野家の農業にいっそう力を入れると共に、今野家5代目としてこれからの農業をしっかり見つめていきたい。


〜これからの研修を希望する後輩へ一言〜
 あんまり上手く表現は出来ないけれど、海外研修を通して自分自身を成長させられると思う。今まで気ままに生活していた奴・自分自身をしっかり持っていた奴・色んな奴がいるけれど、海外生活していく中で日本人の感覚とまた違った沢山の人と出会う事だろう。考え方・見かた1つにしても違った面に触れることと思う。今までの自分とこれから感じる自分の姿みたいなものを感じる時、自分のことを見直すことが出来るだろうし、新しい自分を発見するだろう・・・。海外ではしっかり自分を持って欲しいし、しっかり自分を表現してもらいたい。それが1番大切だとはっきり言える。

 農業についての知識を持っているのにこしたことはない。何もかにも違う環境の中で、新しい発見に驚きを感じることもあるだろうが、すべてが勉強だし、挑戦ということを忘れないでほしい。


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