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デンマーク酪農研修レポート

<デンマーク農業研修報告>
私はデンマークが好きです   〜Jeg elsker Danmark〜

長谷川 恵美

  2008年5月14日、私は日本を飛び立ち憧れのデンマークでの酪農研修がスタートした。
初めての1人旅に、不安しかなかった機内で必死に覚えた英語。そう、私は英語が苦手だけれど海外に行きたいという思いがあったのです。カストラップ空港に到着し、英語やデンマーク語と思われる標識しかなく、本当に来てしまったのだと実感しました。
こうして私のデンマーク生活が始まろうとしています。

 私の配属農場は、首都のコペンハーゲンから鉄道で3時間、さらに車で30分位の所にあり、農業が盛んな町“LφGUMKLOSTER”にあります。農場の周りには牧場と畑と風力発電があり、とっても静かな農村でした。

 私が1年間お世話になったホストファミリーのGert van den Heuvelはオランダ人で、酪農がやりたくて14年前にデンマークへ移り住んだ家族でした。毎日にぎやかで、私を家族の一員として迎え入れてくれ楽しく過ごすことができました。働き者で迷惑を一番かけてしまったお父さんゲルト、いつもおいしい晩御飯をつくってくれ、色々な所に連れて行ってくれたお母さんアネット、カッコいい少年で空手教室に通い始めた長男オーレ、サッカー大好きでスケボーが上手な次男イープ、一番の仲良しでいつもデンマーク語を教えてくれた3男ペーア、自転車の補助輪が取れて牛舎を走り回る4男ジース、そして肥満気味の犬マギー、野良猫キム、ウサギにモルモット、卵をなかなか産まないニワトリ、可愛い瞳で近寄ってくるたくさんのジャージー牛とともに過ごしました。あと、研修が始まった頃はオランダからの実習生ジェラートがきていて、1か月一緒に仕事をしました。従業員のフレーダは素敵な男性で主に外仕事をしていて、ゲルトの良き相棒でした。

農場の概要
 牛はすべてジャージー種でフリーストールとフリーバーンが1つの牛舎に入っており、その牛舎に哺育牛以外のすべての牛が暮らしています。哺育牛はハッチ〜スーパーハッチと移動しその後牛舎で過ごします。フリーストール側には経産牛が140頭程いて、搾乳は常時125頭程搾っています。フリーバーン側の育成牛は3つの群に分けられ、だいたい授精前・授精適期・受胎牛群に分かれています。乾乳牛も乾乳前期後期に分けられています。すべて1つの牛舎の中での移動なのでかなり効率よく回っている印象を受け、牛の状態も観察しやすかったです。
 糞尿はスラリーや牛舎の床がスノコになっていて、地下に貯蔵されていました。散布するときはコントラがきて大型機械で草地にすき込んでいました。
 牛舎の屋根は、透明な箇所を作っていてすごく明るい印象をうけた。太陽の光が入って来るので、牛床は乾燥しやすく冬でも少し暖かいと思った。

 作付品目は採草地40ha、ルーサン20ha、デントコーン30ha、小麦25haの計115haで収穫作業はほとんどがコントラクターに委託していましたが、自分達で行うことも意外に多くありました。
牧草収穫では、テッターとコンパクトベールの運搬は自分たちでしました。バンカーサイロのシートかけや、詰めている間にもコントラの踏みだけでは不十分とのことで、農場のトラクター2台を使っての鎮圧(私はしていません)や終わってからのシート掛けタイヤのせ、そして1つのバンカーに1〜3番草を詰めるので、めくったりはがしたりと結構な作業でした。

 私の初めての大仕事は、ルーサンコンパクトの運搬でした。トラクターにトレーラーを付け初めての右側走行は、かなり緊張しました。角を曲がるたびに“右右右・・・・”と、唱えながらの走行でした。そして私の前を走っていたフレーダの速いこと速いこと、トラクターはこんなにスピードがでるのか!!と思いながら追いかけました。そしてコンパクトを積んで帰る途中、一車線しか通れない道でドでかいショベルと出会ってしまい、できる限り右により何とかかわして農場につきしばらくすると、右側前輪がパンクしているではありませんか!!まだ1度しか運んでいないのに私の仕事は終わってしまい、申し訳なさでトラクターをさけるようになってしまいました。でもゲルトはこりずに私をトラクターに乗せてくれました。ありがとうございます☆
 夏の小麦の収穫では、アネットと行くはずだったミュージックフェアをつぶして小麦の運搬をしたり、タワーサイロに小麦をひたすら夜中まで詰めたりと、収穫作業に奮闘しました。デンマークでは貨物での運搬はほとんどなく、いつもトラクターにトレーラーをつけての作業だったので、牽引が上達しました。そうして調子にのると牛舎の屋根にトレーラーをぶつけたりと、私はこの農場にたくさんの傷を残してきました。

 私の毎日の作業は、朝4時から搾乳牛追い、ベット掃除をして4時半からゲルトと一緒に搾乳を行います。パーラーは10頭Wのヘリングボーンで個体ごとに餌が出てくるので、ほとんどの牛は自らパーラーに入ってくるため、追い込むことはほとんどしません。牛を呼ぶときには、“カムサッ”とか“キィッシュキィッシュ”と言うと牛はだいたいきます。たまにゲルトはうるさい牛にキレていたので、私も怒られないように頑張って動いて仕事を覚えました。搾乳は2人で1時間半くらいで終わり、ゲルトは哺乳をし給餌の準備をはじめ、私はパーラー内の清掃とベッド掃除をしゲルトと給餌を交代します。

 餌作業ではミキサーに単味の飼料やサイレージを入れ混ぜ、飼槽掃除をして餌を給与します。給餌用のトラクターもミキサーも無駄にでかくて、運転が怖かったです。狭い所を旋回するのでよくぶつけてしまい、最後にはゲルトの目の前で牛の出荷用ゲートを壊してしまい、2人でなおしました。給餌回数は搾乳牛が1日1回朝の搾乳後に行い、育成と乾乳は2日に1回なので、交互に行いました。はじめの頃は麦稈の長さ調整が難しかったです。8時から朝食にサンドイッチを食べます。朝と昼はサンドイッチなので、自分で好きなものをはさんで食べます。私はゴーダチーズとルレペルセというハーブの入ったハムがお気に入りでした。その後9時から日中の仕事です。

 日中は牛移動やバンカーのシートめくりに水槽掃除やベッド掃除など牛舎内のことや圃場管理などの外仕事をよくし、6月〜10月くらいまでの空いた時間で、牛舎周りの砂利道をコンクリートにする作業をひたすらやりました。これはかなりの重労働で、土木現場で働いている気分で楽しかったです。特に地面を平らにする機械がお気に入りでした。生コンも自分達でつくり完成したときはうれしかったです。

 昼は12時〜2時くらいまで休憩がはいるので、いつも寝ていました。午後は2時くらいから仕事が始まり、掃除や発情発見、ゲルトの手伝いをして、4時にティータイムをして、4時半から搾乳が始まります。夕方は私1人の搾乳なので、初めの頃は慣れるまで大変でした。なぜかよく搾乳がストップしたり水が止まったりとハプニングが多かったです。そして6時半位に搾乳がおわって、パーラー内の掃除をしてベッド掃除をして7時半位に1日の作業が終わります。夏の明るいときは8時半位まで仕事をしました。労働時間は1日11〜12時間でした。そして夕食を家族みんなで食べます。夕食だけは手作りでアネットが作ってくれます。主にイモと肉・パスタでした。私はラザニアがお気に入りで、食べたい物を聞かれるとラザニアといつも言いました。その後シャワーを浴びて、ティータイムをして10時には夢の中でした。

 私は研修開始2週間目から語学学校に通うことになり、朝の搾乳後からバスで隣町の“TφNDER”にいき、月水金の午前中は仕事を休ませてもらいました。デンマーク語は未知の世界で、少しずつ分かっていくのがおもしろかったです。初級クラスで知り合ったいろいろな国の人と仲良くなれました。みんな日本のことを知っていて嬉しかったです。年配の方には、北海道・札幌を知っている人もいたり、昔のオリンピックが記憶にあるそうです。学校のイベントで自国の料理を持ち寄り食べるというのがあり、私はみんなのリクエストで巻きずしを作りました。意外にもスーパーには寿司セットというものが売っていて、米やのり、酢などが入っていました。評判はなかなか良かったです。中には、のりを食べられない人もいました。

 私の楽しみは、帰りのバスの待ち時間に街を歩いたり買い物をしたり、図書館へ行き雑誌を見たりCDを借りることでした。大通りにはパン屋さんがいくつもあり、焼きたてのチョコパンがおススメです。通学はバスでバスカードを180krで買い10回乗れるカードでした。バスには学生がたくさん乗るので、毎回混んでいました。

 休日は2週に1回土日が休みでした。はじめの頃は休みのないゲルトに申し訳なくて、朝の搾乳に出たりしていました。あとは家でゴロゴロして外に散歩に行く程度でした。
出かけるにも土日はバスがほとんど運休、店もほとんど開いてなくなかなか出かけずにいました。仕事に慣れてくると、休みの日でも仕事を頼まれるようになり、休みのない月もありました。

 春に1度海外研修生受入機関の集まりがオーデンセであり、他の国の研修生と交流することができました。みんなで吊り橋を渡ったり、迷路がすごく面白かったです。

 冬にデンマークで研修していた女の子、平田さんとみなちゃんと知り合い、何度か集まるようになりました。そして年明けくらいから、休みの日はできるだけ出掛けるようにしました。その時はアネットに駅まで送り迎えをしてもらい、本当に感謝しています。

 2人に列車の料金が安くなる“DSBのWild Card”を教えてもらい半額くらいで列車にのることができてお勧めです。このカードは私の場合インターネットでアネットに手伝ってもらい買うことができました。値段は180krで、18歳から25歳までのデンマークで住民登録している人が買えます。乗車中に見せるよういわれるので、このカードと黄色い住民登録カード、パスポートは常に携帯しておく必要があります。
 黄色い住民登録カードは、デンマーク生活の初めに街のセンターへ行き登録をします。このカードは図書館で本を借りる時や、眼鏡が壊れた時に保険で買い替える時などいろいろな場面で使うので、いつも持ち歩くことが大切です。

 デンマークのイベントでは、6月に夏至のお祭りがあり近所の人たちが料理を持ち寄り、食事会をして最後夜の10時くらいから、木を燃やしました。この時間でも暗くなく変な感じでした。
共進会にも参加しリードした牛が部門で1等をとった時はすごくうれしかったです。

 夏休みには家族が1週間ドイツにキャンプへ行き、フレーダと牛舎作業をしました。夜は1人の家が怖かったのでフレーダが一緒に泊まってくれて安心でした。毎月のようにパーティーがあり、ゲルトとアネットについて行き食事をしダンスも初めて経験しました。デンマーク人はビールが大好きで、お酒の苦手な私はいつもジュースを飲みました。子どもたちの小学校の行事にも、いつも連れて行ってもらいました。学芸会や運動会、学校祭でのお化け屋敷は、リアルで怖かったです。授業も何度か見学させてもらいました。

 11月にはハーニングという街で機械の展示会が行われ、初めて見る機械がたくさんあり大きさもデカイ!ものばかりでした。日本にもいつかこんな大型機械が入ってくるのかなと思いました。

 クリスマスはデンマーク最大のイベントだと思います。10月くらいからラジオでクリスマスソングが流れ、街にはクリスマスグッズが並びイルミネーションがすごくきれいでした。ツリーの周りにはたくさんのプレゼント、クリスマスメニューにクリスマスソングと家でもクリスマス一色でした。ツリーの前でみんな手をつないで歌い、私も日本の歌を何曲か歌いました。プレゼントもたくさんもらい、牛好きの私には牛グッズがプレゼントされました。

 クリスマスが終わってからアネットと子どもたちと一緒にオランダへ行ってきました。アネットの兄弟の家に泊まったり、ゲルトの実家へ行ったりアムステルダムを観光しました。友人の酪農家を見学させてもらい、デンマークに比べて飼養頭数が少なく平均80頭くらいの搾乳牛だと言っていました。オランダの食べ物といえば“パンケーキ”でクレープに似たものと、お好み焼きに似たものの2種類があり両方ともおいしかったです。

 大みそかの31日は、子どもたちが近所の家の玄関に用意されたお菓子をもらいに、みんなで出かけます。その時ありがとうという意味で、ロケット花火や爆竹を鳴らして帰ります。夜も爆竹などで遊びました。夜は近所の家に集まり、夕食を食べて過ごします。クラッカーがたくさん置いてあり、家の中も外もにぎやかでした。12時には街のほうで打ち上げ花火がたくさん上がっていました。
新年は特に何もなく、家族は前日騒ぎすぎでずっと寝ていました。食事はオランダで年越しに食べる“オーリーボー”というお菓子が2日くらい続きました。

 私の思い出は、1人での牛舎作業と留守番でした。仕事にも慣れた頃、フレーダは作業中の怪我で仕事は休んでおり作業は私とゲルトで行っていた。家族はイギリスとオランダへ旅行に行くといい、私1人でも大丈夫だと言われ本当に行ってしまった。出発の日は初雪の降る寒い時期、子牛は急な寒さで下痢がひどく、分娩が近い牛も何頭かいた。いつもゲルトが乗るロールカッターに乗らなければならなく、不安でしかたなかった。牛を死なせないよう、何も事件が起きないことを祈り1週間が始まった。近くの農家さんヘレンが毎朝様子を見に来てくれ、昼食にも招待してくれた。仕事のほうは、落ち着いてやるよう心掛け牛の観察をいつも以上に行った。ロールカッターをつまらせ必死に直したり、パーラーの水が出なく困っていたら外でホースが割れて水があふれていたり、大変なこともあったが普段できない哺乳作業ができたり、牛舎での作業を一通りできるようになり嬉しかった。そして私が休みの日は1人で作業をするゲルトの大変さを知った。家ではいつも賑やかだったのが“シーン”としていて、怖さと寂しさに襲われた。食事は疲れてパンとコーンフレークで過ごしてしまった。意外にもあっという間に終わった留守番だが、研修での一番の思い出だ。お土産にチョコを貰いおいしかったです。こんなことが2回あり良い経験ができました。
 
 デンマーク滞在半年記念にアネットと美容室へ行き、パーマをかけてみたら想像以上にチリチリになってしまい、子どもからは笑われストレートのほうがいいと言われてしまいました。是非皆さんも美容室を経験してみてください。

 この研修はあっという間に終わりを迎えてしまった。農場での仕事はいかに無駄なく動くことかを学んだ。そして仕事1つをするにも、なぜそうしなければならないのかをゲルトは丁寧に教えてくれた。物を大切に使うことも教わった。農場では昔の牛舎をゲストルームとして改築し、30年前のトラクターも大切に使われていた。そして、自分達でできることはするということ。とくにコンクリート打ちは代表的なものだと思う。家族の時間も大切にし、子どもたちの学校の行事には家族みんなで参加し、たくさん出かけた。土日はとくに最低限の仕事(搾乳・給餌・哺乳)以外はしないという感じであった。そして空いた時間は寝るように教わった。でなければ疲れが取れないからだ。環境整備も大切な仕事で、緑の芝生にきれいな花は人の心を落ち着かせてくれた。牛舎内もいつ人が来てもいいように、空いた時間は掃除するのが日課になった。たくさんの農場を見学させてもらうなかで、将来こんな牛舎で働きたいと思える牛舎にも出会った。

 1年間たくさんのことを経験し、デンマークの人たちの優しさに触れ、やさしい家族の中で生活できて本当に良かったです。私はデンマークが大好きです。この研修で得たたくさんの経験を生かして、将来の酪農経営につなげていきたい。そしてお世話になったゲルトファミリーをいつか私の農場に招待するのが夢です。
 日本人を気に入ってくれ、私の次も日本人研修生カズを受け入れてくれ、この先もずっとこの素敵な農場で多くの日本人が研修していくことを私は願います。
この研修をずっとサポートしてくださった、北海道国際農業交流協会の皆さんには英語の指導や準備のことで本当にお世話になりました。ありがとうございます。
日本からいつも応援してくれた友達や家族も本当にありがとう。おかげでホームシックにはかかりませんでした。

 これから研修に参加しようと思っている人は、是非日本を離れた異国の地で、色々な物を見て・聴いて・感じて・食べてみてほしいと思う。




<デンマーク酪農研修レポート>
デンマーク滞在記 〜研修で得た経験と出会い〜

朝日 昇司

 「デンマークは好きですか?」

 デンマーク人との会話の中でよくされた質問の一つです。
はじめ、この質問をされた時「いきなりそんなこと聞いちゃうんですか?!しかも、そんな唐突な質問を・・・」と内心思ったことを鮮明に覚えています。

はじめに・・・
   2006年7月21日〜2008年3月20日までの1年8ヶ月間、私はデンマークで酪農研修を行いました。私がデンマークを研修先に選んだ理由は、“北海道の酪農はデンマーク酪農がモデルになっている”ということを知り、そのようなモデルとなった酪農地帯を自分の目で見ることにより、将来自分の経営に生かすことを多く学べるのではないかと考えたからです。そして私は、研修以前『デンマーク』と聞いて、地理的にも、どのような国かも知らない状態で、せっかく長期間海外での生活をするなら、そのような未知のところへ行くのもおもしろいのでは?という好奇心から、デンマークでの酪農研修を決めました。
 1年8ヶ月という期間で私は、本当に多くのことを体験しました。それは、いいことばかりではありませんでした。辛かったこと、困ったことも多くありました。私がデンマークで見たもの、体験したこと、感じたことをこのレポートに記したいと思います。

 研 修 概 要
2006年 7月  日本を発ち、デンマークへ!
 Stausgaard Mollegaard牧場で研修が始まる。
11月  Stausgaard Mollegaard牧場での研修終了。
 研修先の変更が決まる。
12月  Nordgaarden牧場での研修での研修が始まる。
2007年 1月  新たな研修先で新年を迎える。
11月  研修の延長を決める。
2008年 1月  デンマークで2度目の新年を迎える。
3月  滞在可能期間満了で日本へと帰国。

 上記のように私はデンマークで2つの牧場に滞在し研修を行いました。このことは幸か不幸か、非常に珍しいケースで、それ故にさまざまな体験をたくさんしました。
デンマークに渡る前、せっかく行くのだからできるだけ長期(1年半)滞在しよう!という気持ちで向かったわけですが・・・最初のStausgaard Mollegaard牧場では、4ヶ月間という予定よりとても短い研修期間となりました。その期間、精神的にとても辛い思いをしました。その後、移ったNordgaarden牧場は、私にとって非常に居心地が良くやりがいをもって研修を続けることができました。私は滞在が可能な限りその牧場に滞在しました。
 私のデンマークでの酪農研修は、研修先が変更するという思ってもいないようなことがあり、ビザの再発行が必要となりました。再発行の手続きに2ヶ月を要し、その2ヶ月余分に長くデンマークに滞在することができました。その結果、1年8ヶ月という規定よりも長い期間デンマークで貴重な時間を過ごすことができたのです。


∇Stausgaard Mollegaard牧場:2006年7月〜11月
農家概要・人々・生活
 Stausgaard Mollegaard牧場は、オランダから移住し酪農を営む夫婦が経営する牧場でした。Jylland(ユトランド、ユラン)半島北部Haverslevとい小さな町の近くにあり、ホルスタイン180頭、経営耕地面積120ha、飼養方式はフリーストールという、デンマークでは一般的な規模の牧場でした。労働者は夫婦だけ、搾乳は朝(4時半〜)&夕方(3時〜)の2回搾乳、4月頃〜11月頃まで昼間だけ放牧を行っていて、冬期間は1日牛舎の中で飼っているとのことでした。僕が滞在した期間は、放牧をしていました。
 
 この牧場の夫婦Jan-WillemとLudmilaは夢であった酪農を営む為に、母国オランダから新規就農者にとって条件が揃ったデンマークに、私が来る約2年前に移住したのでした。母国を飛び出し、この牧場(酪農)をゼロから始めたこの夫婦は、酪農という職業にとても誇りをもち、仕事に対しては決して妥協を見せない人たちでした。デンマークに移住して約2年という牧場は、2年でここまでできるのかと思うほど環境が整っていて、牛舎や設備、機械類を見て驚いたことを覚えています。
  私がこの牧場でした仕事は、朝&夕方の主人Janとの搾乳と牛舎内外いたるところの清掃でした。とにかく清掃、清掃の毎日でした。
  牧場内の別棟で生活をし、食生活は朝食以外は自炊という食生活でした。労働は朝4時半〜夜7時頃までの仕事、あいだ昼食&休憩3時間ほどをはさみ、実働時間はおよそ8〜9時間という生活でした。当然、サイレージの収穫時期や全頭削蹄の日といった場合は、+2、3時間ほどという日はありました。隔週で土日が休日となり、その休日は、唯一使用が許されていたペダルの壊れた自転車で近くの町までの買い出しや公共機関を使って、Jylland内の大きな町まで一人旅をよくしました。


Stausgaard Mollegaard牧場での研修を振り返って・・・
 この牧場での研修が4ヶ月という期間で終了となってしまった原因として、コミュニケーション不足というのが一番大きかったと思います。デンマークへ渡った当初の私は英会話がばっちり!という訳ではなく“受け身”だったので、夫婦との会話はあまりスムーズにいかなく、だんだん会話に気を遣うという状況になってしまいました。それでも、これでは駄目だ!と改心し、頑張ってこちらから発することを心がけましたが、特に主人のオランダ語なまりの英語は私には理解が難しく、普段の会話は英語が上手な奥さんを通してという不自然な会話状況になってしまいました。
 しかし、仕事の時間はほとんどが主人と共にいる時間で、搾乳時間以外の仕事の時間を私と主人がずらしてするという措置が取られてしまい、コミュニケーションの場は徐々に減っていってしまい、その結果、一緒の時間を互いが苦痛と感じるようになってしまっていたように思います。そんな人間関係では、一緒に仕事する上で必要な信頼関係など築ける訳もなく、毎日注意を受ける日々・・・どうすればいいんだろう?という自問自答の日々になってしまったのです。なにをするにもビクビク、主人の機嫌を伺いながらという生活。心が休むのは部屋での1人の時間という状況でした。

  それでも、牧場としては牛&施設共に非常に素晴らしいものがあった為、そこから得るモノはありました。受精所の人が頻繁に出入りし種牛の選定をしていたり、ヨーロッパの大きなショウでベスト10に残るほどの牛が飼育されていたりしていたので、形の整った素晴らしい牛を見る機会が多々あったのです。いい牛を作る環境、意識という面で学ぶところがありました。
  結果的にクビ同然の状況で、研修の中止(日本へ帰国)or新たに研修先を探してもらうかという選択に迫られ、このまま帰って後悔はないか?という自問自答の結果、もっといろいろなものを見たい!このまま帰ったら絶対後悔すると思ったので可能であるならば研修を続けたいという旨を、両国の協会の方々に頼んだのでした。その後、Nordgaarden牧場への移動が決まり、そこで素晴らしい人間関係が築けたのも、この牧場での経験があってのものだと思っています。 


∇Nordgaarden牧場:2006年12月〜2008年3月
 人々&農家概要
  Nordgaarden牧場はSjaelland(シェランド)中部Naestvedという大きな町から車でおよそ15分の場所にありました。この牧場の人々は、主人Klaus、奥さんMette、Camilla&Pernilla姉妹の4人家族で、私を本当の家族のように受け入れてくれました。特に主人Klausとは互いにまるで友人のような感覚で、仕事の話はもちろん、冗談を言い合ったり、私生活での相談やお互いの国の話、雑談などで気づけば1、2時間立ち話なんてこともよくありました。家族の他に、僕がこの牧場に来た頃にはワーカーが2人いました。僕がこの牧場に滞在した期間でワーカーは最大3人、私だけという期間も半年ほどありました。
 主人クラウスの両親や奥さんの父、その他親戚の人々や娘たちの友達など・・・毎日のように多くの人々が出入りするとても賑やかな牧場でした。

 耕地面積120ha、フリーストール牛舎で飼養牛はおよそ200頭、ホルスタイン(黒白&赤白)、ジャージー牛、Danish Redという赤毛牛、それらを掛け合わせた牛と非常にたくさんの種類の牛を飼っているのが特徴でした。飼養牛のほとんどはその掛け合わせた牛で、Danish Redとの掛け合わせの牛が多かったのを覚えています。このDanish Redという種類の牛は、名前からわかる通りデンマーク特有の牛で、大きさはホルスタインに比べ小ぶりで、乳量は少ないのですが、肉付きが良く脂質の高い牛乳が搾れます。廃用として出す場合にも肉質が多いためホルスタインより価値が出るという利点があるということを聞きました。血統的にも、同一種を掛け合わせているよりも病気等に強いという利点があり、この利点を一番に考えた主人は飼養牛のほとんどを掛け合わせていました。

 この牧場のように、掛け合わせの牛を多く飼養している牧場はデンマークで多く見られました。特にこの牧場、Klausは将来の展望として4、5年で倍の頭数にまで増やしたいと考えていた為、とにかく病気等に強い牛を必要とし掛け合わせの牛を多く飼養しているとのことでした。いろんな毛色の牛、大きさもバラツキのあるのが特徴で、搾乳時片側12頭のパーラー内に13頭入れて搾乳などはよくありました。その他育成牛100頭ほどは近隣の育成牧場に委託していました。

 また、この牧場で興味深かったことは、私が滞在していた間に牛舎の増築を行っていたことでした。しかもその増築とは、イメージできるような簡単なものではなく、乾乳牛を入れていた既存の昔の牛舎の解体から基盤の整備、設計、建築まですべてを自分たちで行うという驚きの展開・・・その道の専門の人が手伝いにきたり、アドバイスにきたり、牛舎建築の為のワーカーを雇ったり、おじいちゃんが友達を連れて手伝いに来たり・・・いつも以上に人の出入りの激しく、非常に賑やかな日々が長く続きました。業者に依頼するより安く済むということから、ほとんどを自分たちで行っていたのですが、その分やはり建築にかかる期間は長く、普段の牧場の仕事ができなかったり、不便だったりということはよくありましたが、その分初めて見る物事や牛舎ができるまでの過程を目の当たりにできました。“できることは自分たちでやる”という姿勢は非常に関心を持ちました。


 牧場での仕事&生活
 私はこの牧場で酪農全般の仕事に携わることができました。牛の管理や搾乳や給餌はもちろん、繁殖管理や牛舎増築の考案など、すべての仕事に関わることができました。この牧場で一番に求められたのが、1人での搾乳でした。とにかく洗い拭き取り→ミルカーをつけるというのを200頭分ひたすら続けるのでした。3時間というある程度決められた時間内で清掃を含めて終わらせるには、牛を覚え、効率よく動くことの必要がありました。

 主人Klausとはとにかくたくさんの話をし、私の意見もよく聞かれました。その私の意見も尊重してくれました。とても私を信頼してくれて多くの仕事に責任を待たせてもらい、仕事量は多い方だったとは思います。でも、「ショージがいるから、大丈夫だ!」と言ってもらえることがうれしくて、毎日やりがいを持って仕事をすることができ、とても充実した毎日を過ごせました。
 生活の場は私たちワーカーは牧場内の別棟で、朝食だけ家族の家で主人と一緒に食事する毎日でした。昼食&夕食は自炊していました。クリスマスや年越し等は家族に招待してもらい、おいしいディナーと団欒を楽しむこともありました。
 この牧場でも隔週土日が休日で、車を使用することが許されていたので買い物や観光に遠くまで足を伸ばすことができました。


課外活動
 隔週の休みや、バケーション(1週間程度)の休みを利用して、コペンハーゲンやドイツに観光に行ったり、近隣の農家の見学、日本人研修生の牧場に行ったり、家畜共進会に行ったり、積極的にいろいろな所へ足を運ぶことを心がけました。その甲斐あって、観光名所や興味深いものなどさまざまなものを目にすることができました。
  また、課外活動で一番の思い出は、高校&大学と続けていたハンドボールを発祥の地デンマークでできたことです。仕事以外にしたいことはないかとKlausに聞かれた時、デンマークでの研修を決めた時から持っていた「本場でハンドボールがしたい!」という希望を伝えました。結果、近くの町の社会人ハンドボールチームを紹介してもらえて、最初は本当に驚きました。なぜなら日本ではマイナーな競技であるハンドール・・・本場はやっぱ違うなと、簡単にハンドボールをする場所が見つかったのです。

 ハンドボールのシーズン10月頃〜4月頃までの週2回程、練習は夜で仕事の時間も終わって丁度いい時間で、ほぼ毎回行くことができました。初めは、デンマーク語が理解できない私に話しかけてくれる人は限られていましたが、練習を重ねる度に、全員と打ち解け、試合では一喜一憂したことは今でも忘れません。そして、打ち上げではデンマークのお酒“スナップス”でベロベロになるまで飲まされたことを今でも忘れません!その時の記憶はあまりないですが・・・笑。

Nordgaarden牧場での研修を振り返って・・・
 

 Nordgaarden牧場で私は、酪農全般の仕事すべてを任せてもらい本当に多くの知識も経験も積むことができました。そして、この牧場で出会った主人Klausとの生活が私にとってデンマークでの一番の思い出です。Klausと私しか労働者がいなかった半年間、その半年間は毎日本当にやることに追われる忙しい日々でしたが、その半年を頑張って乗り越えたからからこそNordgaarden牧場の家族との距離が縮まり、Klausとはなんでも話し合える関係、そして信頼関係も築けたと思います。ハンドボールができたり、いろいろなところへ観光や見学に行けたのは、Klausや家族の人々の理解があってのことなので、本当に感謝しています。親戚が集まるパーティーにまで招待してくれたときは、「本当に行っていいの?」と思ってしまいましたが、とても暖かく受け入れてくれました。

 クビ同然の状況の私を本当に暖かく迎え入れてくれたときのことは本当に嬉しく、感謝の気持ちで一杯でした。この家族との出会いが、そのような状況下の私だったので、デンマークで研修が続けられるのは、この人たちがいるからなんだという感謝の気持ちを強く持ち続けることができました。なので、仕事がどんなに辛くても、牛に足を踏まれても、Nordgaarden牧場で過ごす日々は、その1日1日が本当に充実していたと思います。

▼私がみたデンマーク酪農

 “自然豊かなところで、小さな牧場で人も牛ものんびりとした酪農”
 これは研修以前、デンマークの酪農についてあまり知識のなかった私が抱いていたイメージ。実際、自分の目で見たものはそのイメージとは大きく違うものでした。

 一番に驚いたのが、日本よりも進んだ機械化でした。デンマーク酪農も近年、大規模化が進み機械化が進んでいました。ロボット搾乳や自動給餌機、自動で搾乳待機場まで牛を追い込むシステムや定期的に1日中動くバーンスクレッパーなど、初めて目にするものも多くありました。そして、データ管理もパソコンで容易に行うシステムが浸透していて、私が見た酪農家の多くは、手のひらサイズの小さなパソコン(?)を持っていました。その中には、飼養全頭のデータや近年のグラスサイレージやコーンサイレージの収穫した日、その畑にどれだけの糞尿を散布をいつしたのか、乳検の結果などなど、多くのデータが入っていました。出生届等の届け出の必要なものは、そのパソコンからデータを送信するだけという容易さに驚いたのを覚えています。

 また、私は研修の中で初めて、“クォーター制”という制度を知りました。デンマークの乳価は日本の約半値で、日本のように生乳の総売上をプールするわけではなく、クォーター制といわれる方法の出荷システムでした。このシステムの下では、牛乳を出荷する為には“牛乳を出荷する権利”というものを購入しなければならず、その権利は売買によって取引されていました。「私は今年○○s出荷します」という権利を購入し、もしそれ以上生産した場合でも申告した乳量分以上の牛乳を出荷することはできない。逆に満たない場合はその分が無駄となってしまいます。年4回更新ができ、いかに適正な分だけその権利を購入するかは、農家運営をとても左右します。

 また、デンマーク酪農と日本の酪農の大きな違いは、日本のような家族経営という牧場は数少なく、牧場を経営する主人がいても、奥さんは別の仕事に就いていたりというように、『主人が酪農家=家族が酪農に従事する』という農家が少ないのです。そして、主人は自ら働くことはあまりせずに人を雇って管理することとデスクワークに就くというまさに“オーナー”“ボス”として酪農を営む形が一般的に広まっていました。『酪農』という職業としてのとらえ方が日本よりも、ビジネス面が強いのだと思います。
北海道の酪農は、デンマーク酪農をモデルとしているということから、すべてが目新しいモノというわけではなかったのですが、そういった意識の面で大きな違いを感じることができました。

▼これから研修へ行く人たちへ

 是非しっかりとした『希望』や『目的』、『期待』といったものを持って研修に向かってほしいと思います。研修先に慣れるまでは、本当に毎日が初めてのことばかりで新鮮で、刺激的な日々が待っています。その生活の中で、意欲的に何にでもチャレンジすること、吸収しようという気持ちを持つことが大切で、それを持ち続けることができれば、きっと素晴らしい研修になると私は思います。そして、受け入れ先農家の人もそういった姿勢を見せてくれることを望んで、私たちのような研修生を受け入れるはずなのです。そういった受け入れてくれた人の望みに応えるのも私たち研修生の義務でもあると私は思うのです。
 また、研修先農家によっては仕事がきつかったり、生活環境が厳しかったりなど、何かしらの困難にぶつかるとは思いますが、そういった面も含めての研修であると思ってください。それを受け入れた上で、そこの人々とのコミュニケーションを取ることができれば、その困難以上のものが得られると思います。一にも二にも、大事なのはコミュニケーションです。

 そして、デンマークでの研修を終えた私が声を大にして言えることは、デンマークは本当にいい国です。海外での研修を考えている人がいたら、私はデンマークを絶対に薦めます。私が研修期間で接したデンマークの人々は本当に暖かく、のんびりとしているという印象です。たいていのデンマーク人にとって、日本人なんて珍しいので興味を持ってくれます。一度、農業研修生としては珍しいということで、Sjaelland地方の農業新聞に取材を受けたことがあります。その新聞記事の大きさにとても興味を持ってくれたことが窺がえました。

▼おわりに・・・ 

 私のデンマークでの研修は当初の予定以上の長い期間滞在することができました。その中で、何もかもがうまくいかない日々もありました。ずっとデンマークにいたいと思えるような日々もありました。振り返ると、悪かった時のことも、良かった時のこともすべてが良き思い出です。特にNordgarden牧場に移り住んでからは、本当に様々な人との出会いに恵まれ、その一つひとつの出会いすべてが私にとって一生の宝物となりました。
  デンマークでの研修を、自分が本当に満足し完全燃焼することが出来たのは、言うまでもなく、多くの人の支えがあったからこそだと思っています。そして、その支えは遠い異国に行くことによってより強く感じることができました。
  特に研修先の変更の時には、私を支えてくれている人々には心配をかけ、両国の協会の方々に本当に尽力していただいたことは決して忘れることはありません。この場を借りて、お礼を伝えたいと思います。本当に有り難うございました。
  その多くの人の支えに応えるだけの経験を、私はデンマークですることができたと胸を張って言うことができます!その経験を将来、私の人生に役立てていきたいと思います。そして、将来またデンマークを訪れることができたらと思っています。


「デンマークは好きですか?」
「はい!大好きです!!」



<怒涛の1年デンマーク酪農研修>

古田 航

  高校・短大在学中から抱いていたデンマーク酪農研修。短大卒業後デンマークへ1年間行くことが決まり、長年抱いていた夢が実現するのかと期待に胸躍る気持ちでしたが、出発の日が近づくにつれてその気持ちは不安へと変わっていきました。この時私は、この先デンマーク研修で待ち受ける様々な困難など夢にも思っていませんでした。

 パスポート・就労ビザ等デンマークへ行くための準備期間に卒業より4ヶ月かかり、とうとう2007年7月10日デンマークへ向かうため千歳に行き、翌日成田よりスカンジナビア航空でコペンハーゲンへ直行のはずが、直行便が飛ばないということになり、ルフトハンザ機でミュンヘンまで行き、乗り換え、コペンハーゲンへ向かわなければ行けないという前途多難な始まりでした。

 デンマークで研修生として受け入れてもらったSimestedgaard農場は、コペンハーゲンより電車に揺られること約4時間、ユトランド半島の北部に位置するオールボーから約35Km離れたバーマーという小さな町でした。私の、この町に対する率直な第一印象は、”THE・田舎”でした。しかし、私が住んでいる町と雰囲気が似ているためか、とても親近感の持てる町でした。

 私は、農場から少し離れた家にもう1人の研修生と共同で住んでいました。家には、居間・キッチン・バスルームのほか3部屋あり2人で生活するには十分な生活環境で、風が強い日には隙間風が吹いたり、アリの大群が発生し退治したアリの死骸が翌日には消えていたという事件等、私には面白い家でした。そこから3Kmほど離れた農場へ通うため与えられた自転車は足がとどかないもので、ある意味、私の体格はデンマークで規格外のようでした。

 農場には、搾乳ホルスタイン約160頭、肉牛、レッドホルスタイン、羊と飼育しており、フェントトラクター、コンバイン等、様々な機械を所有し、農場から見える畑は、ほとんどがこの農場の所有地と、この町で1番と言って良いほどの大きな農場でした。農場では、農場主、農場主の奥さん、デンマーク人が2人、研修生が働いていました。農場主は、私が帰国する2ヶ月ほど前に息子へと変わり、研修生は契約がきれるたび随時受け入れているようでした。

 1日の仕事の流れとして、AM4:00に起床し農場へ行き搾乳の準備をし、AM4:30より搾乳。搾乳は2人で行い、1列10頭の2列20頭パーラー。搾乳は、約2時間半で終わり、トラクターでの作業、主に給餌や牛床の清掃を行いました。その他、日により発情牛の人工準備を終えAM8:30頃、朝食でした。朝食は、白パン・黒パンにパンに乗せるチーズやハムなどでした。

 朝食後、農場主から指示された仕事や自主的に仕事を考え仕事をした後PM12:00頃に帰宅し昼食。昼食は研修生と当番制で作っていましたが、物価が高く大変でした。PM3:30より午後の仕事へ行き、肉牛・子牛への給餌、牛床清掃を終えた後、PM4:30より午後の搾乳を行い、パーラー清掃をしてPM6:30頃1日の仕事は終わり、農場主の奥さんが用意してくれた夕食、ほぼ毎日じゃがいもに肉でしたが、これをおいしくいただき帰宅していました。夏には、麦乾、コンパクトの積み上げ、牧草の収穫に至っては、PM1:00からPM9:00頃まで牽引でコンバインと並走するという私にとっては、ハードな作業がありました。

 この様な作業を、しっかりとこなせる様になるまでの道のりは忍耐の日々でした。やはりそこには言葉の壁があり、何をどのようにやれば良いのか、説明されても理解できず戸惑う日々。注意されても何に対してなのかわからずに悩む日々。全て私のコミュニケーション不足が招いた事でした。慣れない環境での生活に耐え約2ヶ月たった頃には、仕事にも慣れ、自分の気持ちも片言の英語やデンマーク語ですが伝えられるようにもなりました。気持ちにもゆとりがもてるようになり週に3日ある休みにはオールボーまで行ったりと楽しむ事も出来るようになりました。

 私は休日の移動手段としてほとんどバスを利用していました。バスを利用するには、クリップコートと言う回数券の様な物が便利で、尚かつお得でした。私が住んでいた町からバスで約30分程で オールボーへ行く事が出来ました。オールボーは人口約16万人のデンマークでは4番目に大きな都市で、歴史を感じさせる建物が連なり、活気あふれる街でした。またオールボーには、Jomfru Ane Gade と言う繁華街の様な場所があり、夜から朝まで賑わっていました。

 また、オールボーにはデンマーク語を学ぶ学校もあり、私は週に1回この学校に通っていました。学校では殆ど英語は使われておらず、自分の知っているデンマーク語で会話しながら新しい言葉を学んで行く感じでした。学校には様々な国の人がきているので、言葉以外にもたくさんの事が学べ楽しくデンマーク語を覚える事が出来ると思いますが、私は先生と争い挫折しました。

 約1年間のデンマーク実生活により、文化や言語の違いが時として生活するうえで心の重荷になる事を思い知らされましたが、少しの勇気と時間がそれを解決してくれました。
 研修生活で得た経験や知識をこれから十分に活かして、厳しい酪農の現状の中努力して行きたいと思います。
 最後にデンマーク研修にあたって支えてくれた人たちへ感謝し、その感謝の気持ちを忘れない人でいたいと思います。



<デンマーク農業研修レポート>
〜ツッコミどころ満載のデンマーク王国〜

大西 将弘

  2006年9月23日から一年間、デンマークでの農業研修を行ってきた。正直、デンマークの予備知識がほとんどなく、酪農が盛ん?程度の理由で決めたようなものでした。そのため不安が期待値を遙かに上回っていました。私は英語がほとんど出来ないので、そのことも不安の一端を担う形になっていたと思います。そんな状況から出発した波乱万丈なデンマーク実習を報告したい。

1) デンマークの概要
   デンマークは人口約540万人、ウクライナ人の友人ロマンによると、デンマークにいるウクライナ人は200万人。真偽はわかりませんが、本当だとすると九州よりも小さい面積にその人口密度は通勤ラッシュの山手線クラスではないかと思います。実物は見たことがありませんが。

 四季は夏と冬が短く、春と秋が長いような感じのする気候です。雪はほとんど降らなく、年中、雨、雨、雨ばかり降っています。特に10、11月に雨が降った日は手がしばれて、仕事どころじゃねーとつい口を滑らすほどでした。夏の短さは顕著なもので、7月に近くのロモ島で海水浴をしたのですが、また次の休みに来ようと思いきや8月に入ったとたんに気温が快く秋を迎えられたようで、早々と夏は過ぎました。

 そして、これを書き忘れるわけにはいきません。デンマークの風は俺の天敵でした。普通に風速10m前後が日々吹き荒れ、冬の気温が下がったときには、追い討ちをかけるかのごとく禁断の20mを超えます。それに雨が混じった日には、引きこもりの気持ちが良く理解できます。

 デンマークは基本的にデンマーク語を使います。私はほとんど覚えることが出来なかったので、デンマーク語で聞かれても英語でお返しします。デンマーク人はドイツ語も学校で習うらしく、英語、ドイツ語はほとんどの人が話せます。が、中には、といいますか、お年寄りの方々は基本的にデンマーク語オンリーなわけでして、農場の見学に行ったときは大変な思いをしたものです。

2)

デンマークの人々
 デンマークの人々は、おおらかで、かなりアバウト、それでいてやるときはやる、というようなメリハリのある人達です。休日にアポなしで見学に行っても、「ん?見学?見たいだけ見ていけ!」という具合に懐が深いのです。ただ、例外も当然あるわけで、この適当ぶりに私が多大な迷惑を被ったことがあることは、否めません。

3)

デンマークの食文化
 デンマーク人の主食は、芋です。パンも主食ですが、「芋があったらパンは食べないの!」という硬い意思が彼らを支えています。おかずが欲しい日本人代表としては、肉があって芋がある、そんな食事が望ましいのですが、そんなわけにはいかないことも多々ありました。もう最初は、今日も芋?という感じなほど芋を食べていましたが、その内、私の主食も芋へと矯正されました。

 基本的に毎日の食事は質素なもので、朝食はパンと肉、昼食はパンと肉、夕食は芋と肉という具合でした。ただ、私が実習に行ったところは、食事を作ってくれていたので、作る手間がない分、好きなものを食べることが出来ませんでした。そのため、肉がちゃんと毎日出るわけではないし、食欲の減退するメニューが何度も私の前に出現し、空腹を十分に満たせない日もありました。

 その食事を敬遠させるメニューのひとつは、「何でスープにオレンジ入れんだよ!」と、顔に出てしまったパンプキンスープ。ちなみに書き間違いではなく、本当にオレンジの食感がします。口の中に広がる軽い酸味と、ほのかな甘味、そして口の中でプチプチとオレンジの粒がはじけるような優しい刺激、食事から約2秒で感じた最悪の邂逅でした。

 二つ目がマッシュルームのアルプス盛りです。その名から想像できるとおり、ただマッシュルームをバターで炒めたものです。これだけ聞いたなら「なんだ美味しそうじゃないか」などと欠伸の出るようなリアクションをされるかもしれません。いえ、一言付け加えさせてもらえるなら、私は茸は好きですので、それならどんなに良い事かと思います。そう、このマッシュルーム炒め、何が気になるかといいますと、どうやら奥さんとおじいさんが山で採ってきたらしく、ごみと泥がしっかり洗われていませんでした。一口噛むごとにジャリッ、ジャリッという食感、そしてアルプスを彷彿とさせる大盛り、極めつけは、茸以外は何もなし、オンリー茸でした。
 
 最後に、まずくはないし、むしろ美味しいのですが「今出しますか?」というような、がっかりメニュー、それは苺です。そう、イチゴ。美味しい果物、およびデザートとして名高いこのイチゴ、しかし、夕食の主食として出されたら皆さんどう思います?しかも、仕事でくたくたで、「胃の中を芋のデンプンで満たさなきゃ気がすまねー!」と、意気込んで食卓に着いた後の出来事です。テーブルには、あまりの量でグロテスクにさえ見えるイチゴが、ボールの中にこれでもか!と、入っていました。それをそのままむしゃぶるだけで、お好みでミルクとあえて食べました。美味しいですけどね?

 ここまでがデンマークで、ありえないでしょと、思った料理です。そしてデンマークで美味しいと思った料理は、ねぎトントロ(自称)です。生の豚肉に、刻んだたまねぎとオリーブオイルをあえ、塩コショウで味付けしたもので、パンにのせて食べる。実際、ネギトロと同じような味がする。その味とパンがこれまたよく合い、この料理が出ると、朝食が著しく進みます。牛肉からよく出汁が出ていてすこぶる美味い肉団子と芋のスープもお勧めです。休みの日に食べる、ハンバーガーなどのジャンクフードが地味にうまかったです。チューリップという店のハンバーガーはディスマーゴト。

4)

ホストファミリーとワーカーたち
 私のホストファミリーは、恐らくかなり歪です。なぜなら、ボスはデンマーク人ですが、奥さんと、奥さんの祖父と祖母がドイツ人でした。ボスのステファンが買った農場に奥さん一家が移り住んだようで、家の中は常にドイツ語です。子供のセットレイクはデンマーク人だそうですが、おじいさんのヨハンとおばあさんのオマーがドイツ語しか話せないので、デンマーク語より先にドイツ語を覚えると思います。

 ステファンはデンマーク語、ドイツ語、英語を話すバイリンガルな人で、奥さんのドーターも同じ3ヶ国語を話します。ただ、英語で話すのは面倒なのか、よくステファンにドイツ語を訳させていました。デンマーク語は少し勉強して行ったのに、これはかなりの不意打ちで、「ドイツ語なんか知らんて」と言う感じでしたが、帰るころには少し話せるようになりました。オマーがよく話しかけてくれたおかげだと思います。

 オマーはとても私によくしてくれましたが、そのことでドーターによく怒られていて、なんか可愛そうでした。オマーは足が不自由で歩くことは出来ますが、ほんの少しの時間しか歩けないみたいでヨハンがよく付き添っていました。 
                         
 私はホストファミリーと同じ家の一室にウクライナ人のワーカーと同室で放り込まれました。しかし、楽しくはあったので悪くはありませんが、狭いんでワーカー用のプレハブ立てろと思いました。そのウクライナ人ロマンこそ、このデンマークでの最高の友人です。彼からはたくさんのことを教えてもらいました。

 ウクライナ人が全てそうなのか、彼が優れているかはわかりませんが、ロマンはものすごく機転の利く奴で、その辺をステファンも買っていました。ウクライナの公用語はウクライナ語とロシア語で、ロマンは映画が好きらしくよく部屋でロシア語に吹き替えした映画を見ていました。そのときに少しロシア語を教えてもらいました。スパシーバ、ロマン。

 そして、ドイツ人のワーカーが一人で、最初はワーカーが3人でした。このドイツ人のユラと言う女の人がすごいのです。もう搾乳から子牛の世話、注射もドスドスぶっ刺していました。「ここまでいかんとだめなのか」と彼女を見てしり込みするほどに洗練されたワーカーでした。彼女に少しでも追いつこうと毎日躍起になっていたと思います。1年たっても彼女に追いつけたとは思えません。

5)

仕事
 ステファンの牧場の概要は、搾乳牛が約150頭、未経産牛約100頭、耕地面積200ha、70haがデントコーンで残りが牧草です。デンマークでは普通の大きさの農家ですが、唯一アブノーマルなのが三回搾乳という点です。そのため労働力が余計に要るので、ワーカーが3人もいるわけです。3回搾乳をしている理由を聞くと、「治療牛にはこれがいい」とか「乳房にいい」などとモゴモゴ言っていましたが、複雑な英語はわからないので、要は金が欲しいのだなと、こちらで勝手に要約させてもらいました。

 私の休みは隔週に3日、金、土、日に休みを貰っていました。でも、三回搾乳しているので、色々仕事が重なると2日になったり、搾乳だけは仕事をしたりと、普通に3日休めない日もしばしばありました。それに、一緒の家に住んでいるので、休みの日はなんとなく落ち着きませんでした。3日休みということは、一人足りない状態で、3日間の通常どおりの仕事を、通常どおりの時間に終わらせなければならないということです。そのためロマンが3日休みのときは残像が残りそうなぐらいの速さで仕事をしていました。

 私の仕事は1日約10時間労働で、早朝から夕方までのパターンと、朝から夜中までのパターンと二つのパターンがあり、ロマンと1週間交代で交互に仕事をしていた。朝番をしたあとに夜番をしたりするためなかなか生活が安定せず、慣れるまでに時間がかかった。朝からのときは朝6時から9時、9時半から12時、1時から6時まで、夜中までのときは朝9時半から12時、1時から6時、8時から11時半までとなっており、夜搾乳が朝遅いとはいえ辛かった。
 
 私の仕事内容は、搾乳、牛押し、給餌、掃除です。搾乳は基本的に昼が私の担当で、朝はドーター、夜はステファンが担っています。ユラが辞める前はユラが昼と晩の搾乳をしていた。朝と晩の搾乳もステファンやドーターが用事などの時にはすることもあった。ただ、二人の結婚記念日には、二人とも「今日、私たち仕事は一切しないから」とのことで、三回の搾乳を一人ですることになった。少々腹が立つので、会場に乱入してやろうかと思いました。

 牛押しは、パーラーに牛を押し、牛床を掃除して藁をいれる仕事です。これは比較的簡単で、実習に行った日からこの仕事を教わった。まず、牛をある程度押した後にゲートを閉め、牛床の糞や汚れた藁をシャベルで取り、タンカルを牛床にひき、スタイキャットという小さいショベルのようなものに、藁を入れながら床を掃除する特殊な機械を取り付けて使います。運転に多少のコツがいるので、難しかったです。

 給餌は主に私は作るだけで、給与するときはステファンが給与していました。といっても、昼の搾乳担当になってからは、給餌はほぼステファンだけでしていました。ステファンはバンカーサイロが足りないらしく、スタックサイロがひしめき合っていました。このサイロがやっかいで、タイヤではなく土を載せてあるので、取り除くのにえらい手間がかかります。しかも、ビニールを傷つけないように取るために、手作業でシャベルを使って土除けするので、しんどい思いをしました。将来は有望な土木作業員になれそうです。
  
 ステファンの仕事の信条は「アクティブではなくイフィクティブに仕事をすること」だそうです。つまり効率的に仕事をしろということで、仕事を工夫すれば急がなくてもきっちり終わらせることが出来ることを学びました。

6)

一番の大仕事
 私がデンマークで経験したことで一番印象に残っていることは、牛の解体です。日本でも解体くらいしますが、ステファンとこで見た解体は、「しばらくお待ちください」と画面に出そうなほどのヌチャグロぶりでした。解体前日、ステファンが「明日、牛廃用にするから朝見においで」というので、牛が家畜車に乗るのを見てどうするのだろうと思っていました。

 そして次の日、業者の人が来たというので行ってみると、家畜車ではなく、冷凍車に肉屋のおじさんにしか見えない人がいて、牛を連れてくるやいなや、まさか、と思ったときには時すでに遅く、牛の喉をナイフで裂き、血抜きを始めました。うわっと思っている間に、あれよあれよとバラバラになる牛だったもの、私も足を支え手伝いました。

 ヨハンは、牛のタンを取ろうと舌を引っ張っていました。いや、引っ張っても取れないでしょ。業者の人がそれをナイフで切り肝臓と一緒に搾乳に使うバケツに入れ、「そのバケツ洗ってないよ」と言うまもなく家の中に連行され、その晩レバーが食卓に出た。生ぐさくて食えないから。どうやらデンマークでは自宅で解体するのはさして珍しくないようです。

7)

まとめ
 私のデンマークの一年間は、ものすごく濃厚な一年間で、一年をこんなに長く感じたのは初めてでした。あらゆるものが新鮮で、見ること聞くこと全てが勉強になったと思います。それは仕事ももちろんそうですが、日常の生活の中から多くのことを学びました。デンマークの友達は残念ながら出来ませんでしたが、ロマンと友達になれたことは、私の人生でも大きな財産となることでしょう。ウクライナやロシアの文化も彼から多くのことを教わり、ロシア人の考え方、生き方はなんとなく日本人と似ているなと感じました。
機会があればウクライナにいってみるつもりです。

 デンマークにいる間、周辺の農家を10軒以上観て回った。似ているところもあれば異なるところもあり、とてもいい勉強になった。英語がうまいと褒められたときもあり、有頂天になったこともありました。ただ、ステファンには一度も英語は褒められていないです。どの農家に行っても、アポなしにも関わらず「おう、観てけ観てけ!」というようなのりで、ああ、いいところだなぁと感じた。デンマークには綺麗なところが多くあり、昔ながらの民家や教会など、建物にも趣が強く感じられ面白かった。

 まだデンマークの全ては見ていないですが、多くの人々と触れ合うことでデンマークのことをほんの少しかもしれませんが理解することが出来た。

 最後に北海道国際農業交流協会の皆様にはとてもお世話になりました。この経験を活かせるように日々努力していこうと思います。本当に色々とありがとうございました。



<私を成長させてくれたデンマークでの出会いと発見>

泉田 舞

 2005年10月27日から一年間、私のデンマーク酪農研修が行われた。研修に対する不安よりも期待する気持ちの方が大きかった。私はデンマーク酪農だけではなく、デンマークという国にも興味を持っており、それについても報告したいと思う。

1) デンマークについて
  <デンマークの概要と環境>
 デンマークは人口約540万人、国土面積が九州よりも小さく、500近い島から出来ている小さな国だ。四季はハッキリしていて、緯度は日本より高いが、近くを流れる暖流の影響で冬でも気温はあまり低温にはならない。
 デンマークには山がほとんど無い。一番高い山でも海抜はたったの147mだ。平地や緩やかな丘が広がり、北海道の十勝平野を軽く波打たせたようなイメージが近いと思う。地震はほとんど起こらない。雨が少なく、湿度も高くないため過ごしやすい気候だった。風の強い日が多い。
 日本との時差は−8時間だが、サマータイム制を導入しているため、夏場は−7時間となる。夏は明るい時間が長い。白夜にはならないが、夜11時頃まで昼間のように外が明るく、その後薄暗くなった空が、夜中2時頃から再び明るくなってくる。逆に冬は暗い時間が長くなる。
 デンマークの公用語はデンマーク語だが、多くの人が英語も話すことが出来る。デンマーク語は英語とドイツ語に共通する部分が多く、英語とドイツ語それぞれに似た単語が混じって使われているという印象だった。
 
<デンマーク人>
 私の出会ったデンマーク人達は親切で明るくユーモアがあり、気さくで親しみやすい人達だった。デンマーク人は年齢の上下が関係なく、親しい仲同士ではお互いに名前で呼び合う。日本人なら年下が年上の人を呼ぶ時「〜さん」と呼ぶが、デンマークでは「さん」付けで呼ぶことは少ないそうだ。私がオーナーを呼ぶ時も名前で呼んで良いと言われた。
 デンマーク人はオランダについで、世界で2番目に平均身長の高い国で、私の周りの人でもやはり身長の高い人が多かった。そのため台所や机、シャワーやトイレの便座なども日本のものより高く設計されており、身長があまり高くない私には高すぎると感じる場所がいくつかあった。しかし食卓のライトは私でも頭がぶつかることがあるくらい低い位置に吊るしてあり、さらにその明るさは全体的に暗かったため研修開始当初は違和感があったが、その環境に慣れてくるとデンマーク人とは全体を照らさず影の部分も楽しむという心のゆとりを持っている人達なのだと理解するようになった。またキャンドルも日常生活では欠かせないもので、クリスマスや食事会などの行事があるときはもちろん、普段の夕食時にもキャンドルに火を灯してその優しい明るさを楽しんでいるようだった。
 多くのデンマーク人は花が大好きで、どの家を訪問しても家の中には花が飾られていた。さらに国旗も大好きで、家族の誕生日の時には庭にあるポールに国旗を掲げたりメッセージカードに国旗のシールを貼ったりし、祝い事や行事がある時にもたくさん飾られていた。
 デンマーク人の休日の過ごし方はのんびりしている。天気の良い日は庭で日光浴をしたり、ガーデニングや庭の手入れをしたりとゆったり過ごしていた。また、部屋の改装もよく行っており、何でも自分達でやってしまうという印象だった。
 
<食生活>
 食事は家で作って食べるのが基本で、外食はほとんどしない。食生活については、食事内容の順番が各家庭によって異なるそうだが、私のホストファミリーの場合は、朝は白パン(小麦パン)にジャムやチーズを乗せて、昼は黒パン(ライ麦パン)に様々な種類の具を乗せて食べ、夜はジャガイモと肉中心の温かい料理が出された。デンマーク人の中にはやはり肥満を気にしている人が多く、普段飲む牛乳はたいてい低脂肪乳だ。ホストファミリーは脂肪分0.5%の低脂肪乳をよく飲んでいた。デンマークの低脂肪乳は低脂肪でも甘みが感じられ、ほのかに草の香りもしてとても美味しかった。デンマークの牛乳や乳製品(特にチーズ)は種類が豊富で、様々な味の製品が売られていた。
 デンマークの多くのお菓子の中には「ラクリス」と呼ばれる、漢方の一種であるカンゾウのエキスを抽出したものが含まれていた。日本人の私には少し苦手に感じられた味だったがデンマーク人はみんな大好きだった。デンマークに行ったら、ぜひ試してもらいたい。

<デンマークの休日と買物>
 一般的に土・日曜日、たいていのお店は閉まっている。例外として、大きな街の鉄道駅内のお店や大きなショッピングセンターは開いていたりするが、開いてないお店の方が多いため、買い物はできるだけ平日の空いた時間にするように心掛けた方が良いだろう。これは宗教が関係していて、週末に教会でお祈りをするためだそうだ。
 ちなみにデンマークの通貨単位はDKK(デンマーククローネ)で、普段はkr(クローネ)で表示されている。(1kr = 約20円)

<各種手続き>
  デンマークでの生活が始まると、最初に近くにあるコミュニティーセンターへ行き住民登録をする。住民登録が完了すると、数日後に自分の番号と名前、住所が記載された黄色いカードがもらえる。デンマークで身分を証明する時はこのカードが必要なのでいつも携帯しておく必要がある。

 研修生には、毎月研修手当が支給される。その時、お金の管理が簡単でオーナー側にも都合が良いということから、私の場合は銀行に口座を作り自分の口座に振り込んでもらった。デンマーク内にある銀行の中では「Dansk Bank」や「BG Bank」などがデンマーク国内どこにでもあり、ATMもたくさん設置されているそうなのでお勧めだ。また、帰国時に口座を解約する際、自分の口座の残額を簡単な手続きをするだけでそのまま日本の自分の口座に転送してもらえるので、お金を移す手段としては一番安全で確実な方法だと思う。

<デンマーク鉄道の利用>
 デンマーク国内では鉄道がかなり発達している。(デンマーク国鉄:DSB)研修生は移動する時の交通手段として、列車を利用することが一番多いのではないかと思う。そこで、「ワイルドカード」をぜひお勧めしたい。このカードを持っていれば、通常料金の半額で乗ることが出来る(一部区間を除く)。手続きは大きな駅の窓口で、指定の紙に必要事項を記入し175krを支払えば作ることが出来る。ただし、デンマークでは列車が遅れることは珍しくない。5分、10分遅れるのは普通で、時には30分〜1時間以上遅れる事もある。そのため乗り換えをする時は、乗り換え時間に余裕があるように時間設定をする必要がある。

<クリスマス>
 デンマーク人の宗教はキリスト教で、一年で一番大きい行事は12月のクリスマスだ。12月になる前から町や各家々ではクリスマスの雰囲気が漂い、12月になると、毎週末は親戚宅に呼ばれたり、自宅に親戚を招いたりして食事会が行われた。また、子供達には伝説の小人から毎日お菓子や小さなプレゼントが届けられた。クリスマスイヴの夜には家族・親戚が集まり、食事をした後クリスマスツリーの周りで歌って踊って、クリスマスプレゼントの交換が行われ、とても賑やかで楽しい時間を過ごした。

2)

ホストファミリーについて
 私のホストファミリーは酪農を経営するオーナーと、幼稚園で働く奥さん、学校に通う三人の子供達で、とても明るく楽しい家族だった。過去にも外国人の研修生を受け入れたことがあり、私のことは家族の一員として迎えてくれた。親切で心優しいホストファミリーの気遣いのおかげで、すぐに打ち解けることが出来た。私は、ホストファミリーと同じ家の一室を自分の部屋として使わせてもらい、食事もホストファミリーと一緒に食べさせてもらった。この家族は自分達のプライバシーなど一切関係なく、いつも本当の家族のように接してくれた。一つ屋根の下でのホストファミリーとの生活は、デンマークの生活・文化そのものを直に体験させてくれる最高の環境だったと思う。

3)

滞在農家の概要、私の仕事内容
 私が滞在した酪農家ではデンマークジャージー搾乳牛約120頭、レッドホルスタイン搾乳牛約15頭を飼養しており、デンマークの酪農家の規模としては平均的な所だった(デンマークの酪農家の平均的な規模:搾乳牛100〜150頭)。年間乳量は7,000kg。畑作地面積は80ha、牧草地50ha、トウモロコシ畑40ha。
 ちなみにデンマークで飼養されている搾乳牛の品種割合は、ホルスタイン:約60%、ジャージー:30%、残り10%がその他の品種(レッドデニッシュ、ブラウンスイス等)だそうだ。
 牛舎はフリーストール、搾乳は1日2回のパーラー搾乳、給餌はTMRで1日1回ミキシングフィーダーにより給与していた。フリーストール内の除糞は、バーンスクレイパーが1時間に1回自動的に作動し、糞尿を牛舎中央の床下にある貯留槽へ押し流し、装置が届かない隅の方は人力で寄せていた。糞尿はスラリーストアに貯蔵し、春に溜まった糞尿を業者に頼んで畑に散布していた。
 夏には朝の搾乳後3時間程度放牧させていたが、2006年の夏はデンマークでは約30年ぶりの暑い年となり雨が少なかったことで牧草の伸びが悪く草量が少なかったため、例年より放牧時間を短くして対応していた。
 一部の農地管理では、小麦と牧草を混播して先に伸びた小麦が熱い日差しから牧草を守り、収穫期に小麦を刈り取った後は残った牧草で放牧地として使用できるという効率的な農地利用を行っていた。
 ジャージーの牛乳は乳成分が濃いため、チーズ工場に送られ加工に用いられるそうだ。私がいた農家の牛乳もチーズ用に使用されており、2日に1回集乳されていた(生乳は毎日集乳される)。集乳毎に乳成分の検査が行われ、乳量・乳成分により乳代は毎回変動するそうだ。
 私は隔週ごとの土日に休みをもらい、労働日は約8時間仕事を行った。私の仕事は、主に仔牛の世話全般(哺乳・給餌・給水・小屋掃除・体調管理)、育成牛の給餌、除糞、搾乳、発情牛の観察で、その他随時機械修理の補佐や、牛舎内の清掃等を行った。
 仔牛の世話についてオーナーは「仔牛がいなければ成牛はいない」と話しており、酪農経営における仔牛管理の重要性を教えてくれた。私は仔牛の世話をほとんど任せてもらっていたので、その嬉しさと共に、日々仔牛たちの母親のような気持ちになって接し、仔牛の管理に責任を持ちながら仕事をすることが出来た。また、私の要領が悪くて仕事に時間がかかってしまい落ち込んでいた時、オーナーは「動物を飼養している仕事で、速く仕事をすることは良いことではない。速さに重点を置いていると肝心なことを見落としてしまうことがある。大切なのは時間ではなく仕事の中身だ。」と教えてくれた。
 搾乳では、オーナーが朝の搾乳、私が夕方の搾乳を行い、パーラーは8頭ダブルのヘリンボーン式で、1回の搾乳時間はおよそ2時間程度だった。デラバル社製のこのパーラーでは床が上下に可動式で、身長の低い私でも床の高さを調節することで高さを気にせず搾乳することが出来た。しかし私はパーラーでの搾乳経験が無かったため、オーナーは、搾乳者の無駄な動きを出来るだけ省き、搾乳牛がパーラー内に滞在する時間を短くすることで、除糞と汚れたミルカー洗浄の手間を省き、搾乳時間を短縮させるという方法をアドバイスしてくれ、日々の仕事の中でもより効率的に働く方法を考え実践しているということが感じられた。
 普段の牛舎内作業では、「ストールキャット」と呼ばれる小さな牛舎内作業機が大活躍で、人が重労働をする代わりにほとんどストールキャットで作業を行っていた。飼料を運ぶ、餌を寄せる、小麦ワラを運ぶ(掴んで運ぶ)など、作業内容に合わせてアームの先を交換でき、小回りが利くため重宝されていた。

 デンマークには日本で言うコントラクターに当たる、農作業請負組織が存在し、牧草・コーンサイレージ調製、畑の管理、畑作物の管理・収穫等において、多くの酪農家がこの組織を利用している。これはたいていの酪農家で経営に携わっているのが一家のお父さんだけという形態が多いため、一人では牛舎管理の他に草地や畑地管理となると手が回らないことと、組織に依頼し作業を請け負ってもらっている間に別の仕事ができるという利点が大きく関わっているようだ。

 デンマークの農家をサポートする団体として、デンマークの農協から年に数回、農家にアドバイザーがやってきて、乳質検査結果や粗飼料の品質検査、その他経営状況に応じて細かくアドバイスを行ってくれる。また、依頼すると経営に関する経理も行ってくれるため、農家にとって農協は心強い存在であるようだ。
 デンマークの農業学校のシステムについても報告したいと思う。デンマークの農業学校では、まず入学後2ヶ月間学校で勉強した後1年間農家で実習を行う。その後5ヶ月間再び学校で勉強した後、別の農家で2年間実習を行う。そして最後に5ヶ月間勉強して卒業となり、農業経営者の資格を得ることができる。学校で勉強した知識を実習の中ですぐに実践し確認できるため、より理解しやすく身につきやすいシステムになっている。

 デンマークの効率的な酪農経営は、機械の上手な利用による省力と時間短縮、力強いサポート団体の存在、そしてデンマーク人は家族との時間を大切に考えているため、作業時間をきちんと決めできるだけその時間内に作業を行うようにするための計画性から実践されているのだと感じた。

4)

思い出
 研修中の1番の思い出は、ホストファミリーと一緒に参加した全デンマーク共進会だ。私のホストファミリーは、毎年家族総出で共進会に取り組む「共進会家族」で、オーナーは共進会の審査員の資格を持っており、日々の人工授精から本格的に育種に取り組んでいた。近年は毎回良い成績を取っていたそうだが、2006年は例年以上にすばらしい結果になった。私達の出品牛は、各部門でそれぞれ上位入賞し、その中のジャージー牛1頭が、2006年のミスデンマーク(最優秀賞)に選ばれた。また、私は自分の名前と同じ「MAI」と名付けられたレッドホルスタインの育成牛を引っ張らせてもらい、歩行訓練の成果も出て、その部門では見事1位を取ることができ、自分が世話して育てた牛と一緒に1位を獲得できたことが心から嬉しかった。
 共進会中に感じたことは、共進会の裏方にたくさんの若い人達が関わっていたということだ。会場設営や出品牛の世話などの仕事に、若い人達が興味を持ち、自ら志願して積極的に参加していたことから、デンマークにおける農業の人気と意識の高さが感じられた。

5)

デンマークでの研修生受入機関のサポート
 私がデンマークでの研修を希望した時、北海道国際農業交流協会はデンマークで研修をしたいと考えている様々な国からの研修生を支援する受入機関と協力して研修先を探してくれた。受入機関を通じてデンマークで研修を行った人は150人以上に上るそうだ。受入機関では年に数回、海外から来た研修生達を対象にした行事を計画し、デンマーク内の有名な場所を訪問したり国内の行事に参加したりすることで、デンマークの歴史や文化への理解を深め、海外研修生同士の交流の場を設けている。私は受入機関の行事に積極的に参加し、デンマークで研修する様々な国出身の研修生と仲良くなることができた。集まる研修生の研修内容も野菜栽培、養豚農家、酪農など様々だったことから、自分の研修内容や母国について話し合い、とても刺激的で興味深い時間を持つことができた。

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研修のまとめ
 デンマーク研修での一年間は、本当に時間があっという間に過ぎてしまったが、短い期間の中で私はたくさんの素敵な人達と出会うことができた。その中には、帰国した今でも連絡を取り続けている人達がいる。たった1人でデンマークに行ったということもあり、研修が始まった当初は1人で出歩くことにまだ少し不安があって外に出かける機会が少なかったのだが、ある時に何事も自分から行動しないと始まらないし、せっかくデンマークに来たのにじっとしているのはもったいないと考え、限られた時間の中でいろんな経験ができるようにと、休みの日にはできるだけ外に出るように心掛けた。様々な場所に出かけることでいろんな人と出会い、デンマークの歴史・文化に触れることで、デンマークをより理解することができたし、一人で行動することに自信が持てるようになった。デンマークで感じたことは、国や人種が異なっても、人がすること・考えることは同じであるということだった。私がデンマークで生活していた中で、デンマーク人も日本人も同じだなと感じる場面が多々あったからだ。
 この研修のおかげで人と出会うことの喜びを知り、自分の中の新たな一面を発見することができた。また、オーナーの一言一言がとても勉強になり、たくさんの思い出を作ることもできた。今後もデンマークで出会った人達との交流を続けて行きたいと思う。
 また、このレポートがこれからデンマークに行く研修生の皆さんに少しでも役立ててもらえたら嬉しい。これから研修に行く方へ:研修では時間が経つのが驚くほど早いため、決められた時間内でできるだけ多くの経験を得るために、いつも積極的、行動的になることを心掛け、一日一日を大切に過ごしてほしいと思う。
 
 最後に、この研修をサポートしてくれた北海道国際農業交流協会の皆さんとデンマークの受入機関、研修中に日本からいつも励ましてくれた家族・友人に、心から感謝したいと思います。この研修での経験は、これからのわたしの人生に大きく役立つことと思います。貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。


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